パスト

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パスト

「だ、誰だよ、あんた!?」  聞き覚えのない声、と言ったが、より正確に言うなら聞き覚えがあるかどうかさえ定かではない声だった。わざとイントネーションをチグハグにして、そのうえ変声器まで使っているようだ。  電話越しに聞こえたのは、ひと昔前のバラエティで見かけた、ヘリウム吸引をした芸能人みたいな声だった。 「哲也(てつや)くン哲也クん、哲也クンは、もシカして誰かかラの電話なのカナって期待しタかい?」 「――――――っ」  いきなり図星を突かれて、思わず言葉に詰まってしまう。からかうような声音に腹が立つと同時に、なんだか不吉な予感に鳥肌が立ってくる。  どうしてだろう、早く(たちばな)さんに連絡しなきゃいけないような気がする。その為に、早くこいつとの通話を終わらせなければ……! 『あァ、心配シなくてモいいヨ!』 「は?」 『哲也くんガ好きなヒトには、何もしナいからサ!』 「……っ、てめぇ……!」  こいつは何者なんだ、誰なんだ!?  俺が橘さんのことを好きなのを知っていて、それで昨日俺たちが連絡先を交換したことも恐らく知っていて……ってことは昨日あの飲み会にいたやつか? 「なぁ、お前田口(たぐち)か? それとも大崎(おおさき)か? いつもキツい冗談ばっか言ってるけど、それはほんと笑えねぇからな? マジでやめとけって」  そのメンバーの中で、この手の冗談(・・)を好むやつなんて限られている。同期の田口か、あとはよくわからないが根暗そうな大崎。何考えてるかわからないようなやつで、もしかしたら酒に酔った勢いでこんな電話してきてるのかも知れない。田口ならまだ『ははっ、悪い悪い、びっくりさせたくてよ!』なんて返してくると思うが……。 『へェ、そう思うのカイ?』  返ってきたのは、どこかせせら笑うような声音。思わず携帯を壁に投げつけてしまいそうになるのをどうにか(こら)えて、「誰なんだよ」と少し声を低くして尋ねる。 『君ハ、忘れッぽイねぇ』  ――――、また、俺を嗤うような声だ。 『ボクが誰かなんテ気にしなクていいサ! 言っタだろ、君の好キな人には何モしなイよ? ボクとのお喋リを続けテくれたらネ』 「……何がしたいんだよ」 『哲也くンと話をしたイのサ』 「なんで」 『話シたいからだヨ?』 「なんの為に」 『楽しク話すのニ、なんの為、なンてあるノかい?』  あぁ、こいつとは会話が成立しそうにない。  苛立って何度も通話を切ろうとしたが、もし仮にこいつが大崎だったら、何をしでかすかわからない。確かあいつ、橘さんのマンションの近くに住んでるとか前に聞いたことがあるし……!  そもそも、『話したい』ってなんだよ、なんの話をしたいんだよ、こいつは!  虚しくなるほど何も得られない会話を続けて、『はァ、今日は楽しカッたな! また明日連絡すルね、哲也クん!』と電話向こうのやつがのたまったのは、壁掛け時計の短針が下向きになった頃だった。 『チャんと出てヨ? じャナいと……ネ?』 「うるせぇ」  数時間話しても目的の見えない会話に疲れきって、もう反抗する気力も萎えかけていた。なんなんだ、こいつは? 不快だし、不気味なやつだ。早く終われ、そう思ったとき。 『ボクの名前! 教えテなかッタね! 【パスト】って登録してオイて!』 「は?」 『パストはパストさ、past(パスト)だよ、過去(パスト)だトしか言い様がなイヨね! パスト、パスト、パスト!』  何か興奮したように声が大きくなる、パスト。声を変えているせいでただでさえ割れている音が、耳を壊さんばかりに響いて痛い。  そして気付くと、通話は終わっていた。  そうして、俺は『パスト』と電話で繋がることになった……。
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