真夏の夜の陰で…

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真夏の夜の陰で…

 ……おい、空気読めよ。  どうせ見てたんだろ、俺が(たちばな)さんと飲みに行く約束をしてたところもさ。だったら今日くらい遠慮とかできねぇのかな、そういう融通もきかせられねぇやつは、せいぜい顔が見えないところでイキるしかないやつなんだろうな。  しばらく、着信音は鳴り続けている。 「……っせぇんだよ」  音量設定を変えて、案の定パストからだった着信音を聞こえないようにして待つ。あくまで気付かなかった(てい)で通しておくことにしたのだ。 「あっ、お待たせ~! ごめんね、誘っておいて!」 「いやそんな気なんて使わないでくださいよ! 今日も誰かのフォローしてたんでしょ?」 「バレた?」 「橘さん、人がいいってか、いい人ッスからね~」 「あれ、言うね、佐々木(ささき)くんだってわたしがフォローしてたんだよ?」 「うっ、まぁ、そっすね……。あの頃はほんと、橘さんには感謝しっぱなしでしたよ」 「ふ~ん?」  歩きながらそんな懐かしい話をして、飲み屋街に入る。あ、ちょうどいいし、昨日見つけた店に行ってみるか、比較的静かな店だったし、料理だって旨かったから、橘さんを連れていったって恥ずかしくはないはずだ。  とりあえず個室を頼んで、話に遠慮しなくていいようにしてから飲み始める。酒が進んでくると、橘さんが少しずつ絡んできた。 「あのさ、佐々木くん、佐々木くんはさ、最近どう?」 「どう、どうって、まぁ……仕事も順調ですし、体調とかもそんなに悪くなく過ごせてますかね」 「そうじゃなくてさ~」  言いながら、橘さんは頭を俺の肩に乗せてくる。ふわ、と漂うシャンプーの香りに、少し胸が騒いだ。 「もちろんそっちも大事なんだけど、最近恋とかしてるのかな~って?」  上目遣いになって見てくる橘さんは、仕事中の明るい姉貴分みたいな部分も残しつつ、甘えるような面も見せてくる。そういうとこだぞ、と言いかけはしたが、まずはゆっくり話を聞くことにするか……。 「橘さんは最近どうなんです、そっち?」 「んぅ~、相変わらずかな、まだもやもやしてる」  あぁ、まだ付き合ってんのか……。  橘さんは、私生活で親しくしてる男がいないわけではないらしいことは前に聞いてはいたが、どうもそいつが浮気性というか、あちこちに愛想を振り撒くやつらしい。  その愚痴とかもたまに聞かされていたが、俺からしたら橘さんみたいな彼女がいたら他に目なんて向かないような気がするから不思議でたまらない。なんならそいつの顔を見てやりたいようだった。  どうも、だいぶ凹んできてるらしいな……、ったく、なんでそうなってまでそいつにご執心なのかね、この愛すべき先輩は。 「俺からしたら、信じらんないッスけどね」  俺なら、橘さんがそうなるようなこと―――― 「でしょ!? ほんっと信じらんないよねぇ! 付き合ってんでしょ、みたいなさぁ!」 「た、橘さん、まぁ飲みましょうよ、落ち着いて落ち着いて……」  続けようとした言葉は遮られてしまったが、まぁ、気を許してもらえてるってことでよしとするか……。追加の注文をしたところ、やって来たのは昨日の店員。昨日来たばかりだからか、なんだか少し気まずそうにされながらも注文を済ませて、ふたりで飲み続けた。  そのまま閉店近く、終電ギリギリくらいの時間帯になって俺たちはいつも通勤で使う駅に辿り着いた。楽しそうで何よりです、橘さん。 「あ~、佐々木くんといると楽しくて、つい飲み過ぎちゃうな! あ、ちょっとお手洗い行ってくるね」 「あ、はい」  そんな律儀に言わなくていいのに……と微笑ましく思いながら足取りの覚束ない橘さんが駅のトイレに向かうのを見送る。辺りには俺たちと同じように飲み屋で楽しんだらしい通行人たちが歩いていて、ぶつからないか少し心配にはなったが、まぁなんとかなったみたいだ。  そして、何の気なしに開いた携帯の画面には、履歴が埋まるくらいの数になったパストからの不在着信と、アプリで送られてきたメッセージ。 『オシオキ』 「は……?」  背筋が寒くなった俺の耳に、橘さんの悲鳴が飛び込んできた!
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