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一人の男の子が蹴ったボールが、横断歩道を転がっていく。それを取りに行こうと、自身も横断歩道に向かった。次の瞬間、一台の青いスクーターが左折して交差点に進入してくる。
「あ……」
ドン、と嫌な音が辺りに響く。母親たちが振り返った時には、男の子は数メートル近く吹き飛ばされていた。
そこで敏司は現実に引き戻される。手元を見ると、もうそこに蝶はいなくなっていた。
「えっと……」
山の中にあるこの小屋に、電気など通っているわけがない。敏司は四隅の行灯に火を灯すと、漆で仕上げられた箪笥の、一番上の小引き出しからこの島の地図を引っ張り出した。先ほどの場所を探していると、後ろで誰かが敏司に呼びかける。
「導きの儀か?」
振り返ると、ぼんやりと行灯の明かりが人形を照らしていた。無表情だったはずのその口元が、僅かにつり上がっている。
「お目覚めですか、みちびき様」
「あぁ」
敏司は深く頭を下げる。みちびき様と呼ばれた人形は、許しを与えるように応えた。
「今日はどのあたりだ?」
「華丸団地周辺の交差点かと」
「南のほうか」
「はい」
敏司は素早く、この小屋から団地までの道のりを思い浮かべる。地図の上で山を下りたところで、何かが戸口に置かれる音がした。見てみると、木桶に入った食事が置かれている。
「食事にしましょうか」
敏司がそう言うと、木桶を中に引き入れた。
みちびき様を膝に抱え、敏司は箸を口に運ぶ。傍から見れば行儀が悪いのだが、これは昔からの習慣となっていた。それに、ここには叱るような大人もいない。
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