第1話 友達の彼女

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第1話 友達の彼女

 僕の大好きな人は、僕の友達の彼女だ。  普通に考えると上手くいくのは有り得ない話で、僕がどんなに悪い男になったとしても彼女の気持ちは翻りそうにない。  彼女の彼――つまり僕の友達である北澤は文句なくいいやつで、高校時代からの付き合いになるがどんな女の子に言い寄られた時も、またさよならをする時も「誠実」を絵に描いたような対応だった。  付き合う女の子はもちろん大切にしたし、付き合っている女の子の笑顔は幸せそうだった。  そんな北澤の彼女を「いいな」と思ってしまったのは何かの運命なのか? それとも試練なのか? 「こいつ、高校時代からの友達の西。いいやつだよ」 「西くん?」  彼女はくすりと確かに笑った。僕は自分におかしなところがあったかと、焦った。どう考えても初対面だし。 「ああ、笑ったりしてごめんなさい。北澤くんから聞いてたの、西くんの話。あのね、わたし東弓乃(あずまゆみの)って言うの」 「東さん……?」 「そう、それであなたは西くん。親戚みたいよね」  そうか、名前がおかしかったのかと合点が行った。東と西、確かに面白い組み合わせだ。ころころと笑ったかと思うと、北澤の方を向いて何か話をして微笑む、そうして僕は彼女に置き去りにされた気になる。  北澤の顔を見ながら笑う彼女の横顔は生き生きとして魅力的だった。彼女は小動物のように表情をくるくる変えて笑った。 「じゃ、また」 「あ、西くん、今度はランチ一緒にしようよ」  おい、弓乃、と初対面の僕を誘う彼女を北澤が窘める。彼女が僕をそういう意味で『誘おう』としているわけじゃないのに、彼女を離したくないんだな、と思う。そりゃそうだ、自分の彼女が離れて行くのが好ましいやつはやましいことがあるやつだけだ。 ◇ 「西くん」 「あ、ああ、東さん。どうしたの、一人で?」 「(かける)の講義、終わるの待ってるの」 「まだ始まったばっかりだよ?」 「そうなんだよね……」  彼女は下ろしてた髪の先をつまんで見ていた。……何か気の利いたことを言った方がいいんじゃないのか? 明らかに彼女は手持ち無沙汰だという顔をしていた。1時間半の講義を待っているには日差しが眩しすぎた。 「暑いよねー? 西くん、暇なら一緒にアイスコーヒー飲みに行かない? わたし、ひとりでああいうお店に入れないもの」 「入れないの?」 「うーん、カフェとかレストランとか映画館とか無理。だからいつも翔と趣味の合うお店しか行けない」  これはチャンスなのかもしれない……。けど、飛びつくと何かの仕掛けでしっぺ返しがあるのかもしれない。こういう時、思い切って「じゃあさ」と言えない自分が恨めしい。 「『じゃあさ』って言ってよ。女から誘わせるなんてさぁ」 「……じゃあさ、どこの店に行こうか?」  東さんはようやく、霧の晴れたような笑顔で、にこっと笑った。既に東さんには北澤がいるのに、そんなんでいいのかな、と同時に思う。東さんの考えてる事はわからなかったし、北澤を怒らせることになりはしないかと考える。 「翔は授業中だから気にすることないし。だってその授業中にコーヒー飲みたくなっちゃって、でも誰かと一緒じゃないとカフェに入れないんだから仕方ないじゃない?」  座り込んでいた学部脇の植え込み前のベンチからイタズラっ子のような顔をして彼女は勢いよく立ち上がった。うーん、と腕を上に伸ばす。気持ちよさそうな伸びだ。 「あのさぁ、学食の上にコーヒーラウンジがあるの知ってる? 教授たちがコーヒー飲みに来たりしてて敷居高い雰囲気なんだって。そこに行かない?」 「いや、その……」  そんなに敷居の高いところに入る度胸はない。緊張に勝てる自信がない。 「わかった、わかった。西くん、困らせてごめんね。正門前のカフェに行こう? あそこなら大丈夫だよね?」 「……ごめん、意気地無しで」 「……。わたしのノリに、『うん』って頷いてついてきてくれる人、いつもいないんだよ。気にすることないって。コーヒーラウンジも北澤くんにも却下されたんだよ。落ち込むことないって」 「――行こう。コーヒーラウンジ。東さん、たかが学食だよ。学食で教授がランチ食べてることも多いし、大して変わらないよ」  え、西くん? と驚く東さんを置いて、僕は覚悟が変わらないうちにスタスタと歩き始めた。僕にはこうと決めたら揺るがない、悪いところがあった。西くん、待って、という声が聞こえて、東さんは僕の手をしっかり握った。  驚いた。  女の子と手を繋いだなんていつ以来だろう。  受験で忙しくなってから、僕には彼女というものがいなかった。  でも勘違いしちゃいけない。あくまで東さんは北澤の彼女なんだ。  そう思って彼女の顔を見ると、僕に置いていかれないように必死の形相だった。上目遣いの彼女と目と目が合う。なぜか悔しそうな顔をしている。 「……思ってたより、強引」 「東さんが行きたいって言うから」  彼女の足は石畳の上でぴたりと止まって、こう言った。 「それは西くんが仕方なくわたしのワガママに付き合うってことなの? そこまで良くしてもらう理由はないけど」 「そうかもしれないね。でもほら、この階段を上がれば憧れのコーヒーラウンジだよ」  東さんの憧れのコーヒーラウンジには、赤いふかふかの絨毯もなければ、ゆったりした体が沈み込むようなソファもなかった。あるのは丸テーブルと、形だけのソファ。  どこかの教授だと思われる威厳と言うより幸薄そうな人が眼下に見える学生たちをそれとなく目で追いながら、コーヒーを飲んでいた。もちろん知らない教授だった。
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