第4話 知ったかぶり

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第4話 知ったかぶり

「……わたし、世界史って大嫌いなの。ゲーって感じ。西くんは好きなの?」 「知らないことを知るのは好きだよ。どんなことでも、知識に幅が出る」 「……知識ってそんなに大事? わたしは興味あることにしか動けないんだけど」  東さんは質問タイムにスイッチが入った。こうなるともうローマ人とはお別れだろう。短い付き合いだったが、続きを読む時間は一人の時にたっぷりある。焦ることはない。  とりあえず目の前のコーヒーを飲む。 「僕はただいろんな知識を身につけて『知ったかぶり』したいだけなのかもしれない。東さんは東さんらしいやり方で知識を吸収すればいいんじゃないかな?」  そうかな、と小さな疑問が聞こえた。 「わたし思うんだけど、大学まで来て『これは好き』、『これは嫌い』っていうのはあんまりじゃないかな? 大学って知の探求をする場所でしょう? 与えられてばかりじゃダメじゃないかな?」 「ほら、答えが出たじゃない。それが東さんの質問に対する、東さんが出した答えだよ」 「なんかそれって狡くないかなぁ?」  声のボリュームが次第に上がってくる。ここへ来て彼女の興奮は抑えられなくなり、僕はコーヒーを飲み干して涼しいラウンジを後にした。  ありがとうございました、と言われて狭い階段を下り、地上に戻る。学生たちの喧騒に混じる。  興奮気味な彼女は今度は僕の手を握ることもなく、本をしっかり抱えていた。 「西くんは、なんでも知ってるのね」 「買い被りすぎ。『知ったかぶり』だって言ってるじゃない?」 「そうかしら。たった数回会っただけなのに、わたしのこともよく知ってる気がする」  じーっと、僕の向こう側まで見通せそうな目力で見つめられる。その視線を受け止めるのはちょっと困難だった。  僕が東さんのことを知ってる? 知ってどうする。どうしようもないんだから、不必要な情報を身につけても仕方ない。 「あなたはわたしを誰よりもよく知ってるみたいな気になるの。……あ! 少女マンガ的展開」  顔がくしゃっと崩れると、彼女はラウンジでその話をした時とは違って、思いっきり気持ちよく笑った。  僕が君をそんなによく知ってるわけないよ、とその間考えていた。東さんの素直なところは確かに好きだって認めてもいい。でもそんな僕を君は本気で好きなわけじゃないくせに。 「あ、そんなにつまらなさそうにしないで。笑ってる自分だけひどくバカっぽい」 「つまらなくないよ。東さんは人を退屈させないね」 「そうなのかな? 西くんに言われるとそんな気がしてくる。でもさ、それって西くんも退屈してないってこと?」  その無邪気な目で見るのはやめてくれ。それはものすごく微妙な問題なんだから。正直、それについては考えたくない。答えもいらない。答えがないうちは変な期待をして右往左往しないで済むから。 「わかったのは」 「うん」 「東さんはコーヒーラウンジは卒業ってこと」 「ない! それはないよ!」 「何もそんなに強く否定しなくても……」 「……今度はちゃんと本も読むから」  落ち込むなんて彼女らしくない。そうしているのが僕なんだとしたら、相当罪なことだ。 「本のことを言ってるわけじゃないよ。もう少しおしゃべりしやすいところがいいよね。また機会があれば、だけど。僕だってそんなに何度も君と二人で会って、北澤に言えないことを増やしたくないんだ」 「うん、そうだよね。わたし、翔の彼女だから、翔の男友達と仲が良すぎるのはまずいよね。うん、それはわかる。西くんの好意に甘えちゃってごめんなさい。軽率だったと思う。けど、楽しかったし、勉強にもなったよ。ありがとう、もう行くね」  僕は青空の下、できるだけ人の良さそうな笑顔を作って映画のワンシーンのように手を振った。彼女も一度振り返って、100パーセントの笑顔で僕に手を振り返した。  周りの人たちは僕らのことを仲のいいカップルだと思ったかもしれない。そうっと手を下ろしながら、一体僕は何をしているんだろうと思った。 「西くん!」  後ろから聞き覚えのある声がかかる。振り向きながら記憶を探る。誰の声だっけ? 思い出せない。 「わたし、わたしよ。南野静佳(みなみのしずか)、覚えてないかなぁ? (たえ)ちゃんの……」 「ああ、覚えてるよ。妙の友達の南野さんだね。E組だった」 「そうそう、西くんは理系クラスだったけど、理学部? 工学部? ……まさか、医学部じゃないよねぇ?」 「普通に理学部。南野さんは?」 「わたしは文学部。西くんが同じ大学だってことは聞いてたんだ。一年以上、よく会わなかったね? 広いとはいえ、同じキャンパスなのに」  自然に僕らは歩き始めて、図書館前の大きな木の下にある日陰のベンチに入った。 「そっか、理学部か。ちょっと離れてるね。理学部は奥にあるもの」 「そうだね、それで会わなかったのかもね」  これまではあまり話したことのない人だった。いつも妙と一緒にいたけれど、妙と僕が会うとサッと気を利かせてその場を離れる人だった。妙が僕のことをいろいろ相談していたかと思うと、なお近寄りがたかった。
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