04 ケンちゃんは素直でマイペースなきつねです

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 ケンちゃんが、こちらの心を察したのか。そうっと話しかけてくる。 「場所を変えます?」 「いいよ、別に」  どういう意味に取ったのかは知らない。けれども相手は「ふうー」とため息をついて、わたしの手に自分の手を重ねてきた。 「明日は、ちゃんと学校に行きますから。安心して」 「わかった」  わたしはゆっくりと顔を上げて、ケンちゃんの頭に乗っているきつねのお面をコツンと叩いた。 「お客さんを心配させたら、だめだからね?」 「うん」  きつね男子は、目線だけを伏せた。その眉毛が、八時二十分のかたちになる。本当に素直な子なんだなあ……しみじみと感じると同時、知らないうちに吹き出してしまった。 「なにかおかしいこと、しました?」  きょとんとしたケンちゃんを置いたまま、ベンチから立ち上がる。 「おかしくないよ」  わたしは、ひらひらと手を横に振って見せた。ケンちゃんも満足そうな表情で立ち上がり、お尻の辺りをぱんぱんとはたく。 「陽が翳ってきましたね」 「あら、ほんと」  朝から青空が広がっていたけれど、ちょっとお日様が隠れている時間が長くなっているみたい。  わたしたち二人は言い合わせたわけでもないのに、駅の方向へと歩いている。  ランチ前に東堂係長と待ち合わせた喫茶店まで歩く。ここを曲がって歩いて行くとケンちゃんの仕事場、露天神社だ。  商店街の入り口で、ケンちゃんが笑顔で手を振ってくれる。 「茉莉さん、今度の火曜日の夜は絶対に来てね」 「もちろん」  すーっと振り向いた彼が、人の波にまぎれていくところをずっと見ていた。  なぜか知らないうちに、わたしの鼻の頭がツンと熱くなる。なんでだろう、と思うよりも先に、ぽろっと涙が出てきている。 「ああー」  思わず声を上げて、目尻を拭う。  あんなこと、言わなければよかった。  わたしが持っている子供時代の記憶なんて、他の人と比べると圧倒的に温もりに貧しくて惨めなものだ。それを、うっかり……。  いや、たぶん、そうじゃなくて。  ケンちゃんの前だったから、ずっと閉じ込めていたものがぽろぽろと出てきてしまったのだ。  閉じ込めたままで“オトナ”と呼ばれる年齢まで来てしまったのだ。  だから、さみしいな、と思うときがたくさんある。  でも、なんとなくだけど。  これから少しだけ、さみしくなくなりそうな気がする。何の根拠もない、あやふやな予感だけど。 「さて、帰ろっかー」  あしたから、仕事だもの。  がんばらばくっちゃね。
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