05 涙のカレーうどん

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 手の中にあるものは、たった一枚の履歴書だ。  その用紙を記入した人物が、どんな「越し方」をたどってきたのか知ることができるのが「履歴書」だと、わたしは思う。  そこには二十歳になったばかりの少年の、生まれてから今までの概要が乱雑に記されていた。  入学したのは都会の小学校だが、卒業した小学校が遠く離れていること。中学は三年間、転校もせずに卒業できているが、高校生活がはじまるまでにブランクが二年ある。せっかく入学した高校も一年で中退して、それから二年後の今現在。  プロフィールは中卒のままだ。  彼は困窮極まった末に、血縁にあたる伝手(つて)を頼って入社を決めた。そんな印象を受ける。  連絡先に書かれている人の住まいは、わたしや他の社員が研修で教わるヒトミグループ会長のプロフィールとは縁もゆかりもなさそうな地方都市。連絡先欄に書かれている氏名はといえば、これまたわたしたちが知っているものではない。  この人が産まれてくる、少し前。  会長の孫娘……つまり、履歴書を記入した少年の母親……は、とある芸能人と婚約をしていた。だが、その芸能人は反社会的勢力と結びついてしまっていた。それらの報道は、社内の人間が予想していたものよりも大きかった。男性芸能人が然るべきところに収監される前、既に子を産んでいた会長の孫娘は、たったひとりで姿を消した。  心ない人は面白おかしく話を作って、メディアへと提供をし続けた。他に大きな事件が起きるまでの間、多くの人たちの興味の対象が大きく動きはじめるまでの間……複数のメディアは会長自宅スリッパの色までほじくり返して報道を続けた。  わたしがヒトミグループに入社して、しばらくしてから。服役を終えていた元芸能人が、またしても同じような事件を起こした。そのときに匿っていたのは、ずっと行方をくらましていた会長の孫娘だと言われている。この社屋の周りには、大勢のメディアの姿がふたたび張り付くこととなった。  国内だけでなく海外にも幾つかの拠点を持つ企業の失脚は、なんの変哲もない生活を送っている人には格好の餌食になる。  どんな些末なことでも、彼らの暗い愉しみのためにはネタになるのだ。この少年も、実の家族が知らないところで好奇の目線に晒されてきたのかもしれない。  わたしは、ひっそりとため息をついた。  履歴書を入力するという単純な仕事なのだけれども、いったん記録してしまえば退職しても五年間はデータが保管されることになる。  興味本位で彼のデータを外部に漏らさない人はいない、とは言い切れない。そこまで情報管理などを考えることは、明らかにわたしの仕事ではないとは言え。やっぱり気は重くなる。 「だから人事部長が直々に書類をチェックしたのね、これ」    
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