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手元の履歴書写真と名前を、あらためて見つめる。
――山下皇帝。
ふりがな欄には「やました かいーざ」と記されていた。
日本の戸籍というもの、書類に新生児名の読みがなは記入しない。だから、どんな呼び方をしてもいい。だが、出生届には新生児の名前と読み方を提出しなければならない。役所に提出して受理された瞬間、その名は住民票にも反映される。
わたしも茉莉、なんて名前なんだけどさ。両親ともに、花を育てるのが好きだったらしい。もしも女の子が生まれたら、母親は自分の好きな花の名前から取りたいと考えていたという。
「茉莉」って名前のレベルでも、すぐに読めない人が大勢いるのに。かいーざ、だって。可哀想に、という言葉しか思い浮かばないよ。まったく。
貼り付けられた写真も、見る人によっては顔をしかめてしまうものだった。
真っ黄色に染めた髪に、鮮やかな赤や緑のメッシュが幾筋も入っている。右耳に大ぶりの金色ピアスが二つ。眠たそうに開いた二重の目は、みるからにどんよりしていた。分厚い唇の左端っこにもピアスが入れてある。それを軽く尖らせているのは、こんな会社に面接など来たくなかったという意志表示なのかもしれない。
しかし、あまりにも履歴書らしくない写真だ。三分間写真スタンドの外側に貼ってあるサンプルとは太陽と月の距離ほど、かけ離れすぎている。
人事情報を入力するのが、わたしの仕事だとはいえ。これ、山下さんが退社しても五年間はデータに残るわけでしょう。心の奥が、ちくちくしてくるんですけど。
「十分あれば、終わるでしょ」とは言われたけどね……うーん。入力したくない。この履歴書は学歴というか転居履歴だけが、みちみち詰まっているだけなので、取りかかったら十分もかからずに係長に返却できることは確定なんですけどね。
考えすぎかなあ、わたし。
気がつくと、右隣にいる同僚男性が声をかけてきていた。安藤さんだ。週に二日くらいしか出社してこないプログラマー。他にも仕事を掛け持ちしているとか、していないとか。謎めいたところがある、知的な男性だと思う。
「野々村さん、どうしました? 気分が良くないの?」
「あっ、いえ。なんでもありません」
わたしは履歴書を引き寄せ、引き攣った笑みを作った。相手の心配そうな瞳が、眼鏡の奥でキラキラと光る。
「我慢しないで早退してもいいんじゃないですか? 係長に、言いづらい?」
「大丈夫ですよ、ちょっと捻挫したところが痛くなっただけだから」
大嘘つきのわたしは、わざとしょんぼりした表情を作って右手をぷらぷらさせてみせた。
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