05 涙のカレーうどん

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 無事に退社をしてきました。うどん屋を目指し、いそいそと足を速める。  陽が落ちるのが一段と早くなった。そろそろ厚手のコートを出すべきかもしれない。ぽうっとまたたく橙色の灯りの元へ行き、引き戸を開ける。 「いらっしゃいませ」  ちょっとかしこまった声が、すぐに砕けた雰囲気に変わった。 「こんばんは、茉莉さん」 「こんばんは」  言葉を返しながら、カウンターの一番奥に座った。目の前に、すっと湯呑み茶碗が置かれる。ちょうどいい熱さのほうじ茶だった。こまやかな心遣いが、とてもうれしい。 「おいしいね、このお茶。とっても香ばしくて、やさしい甘味もあって」 「そりゃあ、そうでしょう。ぼくが淹れたお茶だもの」  ケンちゃんが、いたずらっ子のように目尻を下げる。 「待っていてくださいね、研究したんですよ。新作を」 「新作?」 「カレーうどんです」  わあ、と歓声を上げたわたしを見て、ケンちゃんの顔がますますほころぶ。 「今夜のお客さん、みんなに食べてもらいたくて。がんばりました」  そう言って、きつね店主が背を向けた。手際よく動く後ろ姿を見ているだけでも、幸せな気分になってくる。  すぐに鼻先を、鰹出汁(だし)の匂いがくすぐってきた。奥の方からは、様々なスパイスの香りも漂ってきている。  ほどなくして、ケンちゃんが振り向く。 「お待たせしました」  わたしは置かれたお盆の上を見て、子供のように両手を胸の前で合わせている。 「いただきます」  みるからにたっぷりと、とろみのあるカレーうどん。丼いっぱいに広がったルゥからは、斜め切りされた白ネギと細く刻まれた油揚げが見える。お盆には他にも、温泉玉子が入っている小鉢とかやくごはんの茶碗があった。 「わあ……」  カレーうどんに箸を入れると、つうんと濃いめの鰹出汁の香りがした。くったりとルゥの色に染まった薄切りのかまぼこと、とろけかけた小指の爪くらいの大きさに刻まれた豚バラ肉。  唇の中に、うどんの麺が鰹出汁とカレーを絡めて入っていく。ひとくちひとくち、大事に啜っていたいのだけれども。ついつい、はしたなくなってしまう。食べるスピードが速くなるのだ。  温泉玉子を丼の中に入れると、とろりとした黄味がカレールゥの風味を変えていく。つるつるしたうどんの麺と絡まる風味が微妙に変わって、これもまた捨てがたい。これから先の一生涯、一日三食、このカレーうどんを食べることができたなら、どんなに幸せになるだろう。  至福の時間を、ゆっくりと味わっているのみの自分。 「ふう」  なるべく綺麗に食べているつもりなんだけど……正気に返ったわたしは、ケンちゃんを上目遣いで見つめた。 「お代わりしません?」  ケンちゃんのやさしい声に、無防備に甘えたくなった。 「うん」  うなずいたとき、引き戸を開く音が聴こえた。
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