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06 恋カラ豚バラ大根
午前中の仕事、やりづらかったなー。
蕾ちゃん、なにかあったのかな。
いつもの彼女なら、こちらに書類の束を持ってくるときは気分転換も兼ねているので、業務外の話題なども振ってくる。わたしにも良い気分転換になるので、ありがたい。
それが今日は、妙によそよそしい。
目をそらしつつ純粋に用件のみを伝えて、さっさと自席に戻ってしまう。こんなこと今まで、まったくなかったよ。
わたしの毎日の業務は、蕾ちゃんから渡される様々な書類を入力することだ。よほどのことがない限り、こちらへと回してくれる書類は、日付とともに『要入力・高梨蕾』と赤字のスタンプが押されている。
ヒトミ食品本社に集まる膨大な人事書類ほぼ九割は、蕾ちゃんチェックが入らないとデータベース入力ができない。あとは東堂係長やら、急に出張や出向が決まった社員が所属する部署の人とか。それらも蕾ちゃんのスタンプがないと、わたしは「記録する」という仕事ができない。
たまに彼女が休んでいるときに、東堂係長が「要入力」スタンプの蕾ちゃんの名前を赤の二重線で消してくることがあっても、昨日の「山下さん」履歴書のようなケースは、とても稀なことだ。
あ、もしかして。
山下さんの書類に目を通すことができなかったから、あの子はご機嫌ななめなのだろうか。いや、まさかね。そんな歪んだ嫉妬心みたいなものは、蕾ちゃんには縁遠いものだろう。
じゃあ、なに? 心当たりが、ないんだけど。
……ま、いっか。わたしと全然まったく関係ないことで、彼女の機嫌が悪いのかもしれないし。それだったら、こっちがクヨクヨしているのは損だよね。
さっさと外の空気を吸いに出よう。
パソコンのアイコンを開き「休憩」と記載されているところのラジオボタンを押した。真っ白な丸印の中に、ぽちっと黒い丸が入ったことを見届けて席を立つ。
執務室ドアに向かって歩こうとすると、背後から呼ばれた。
「茉莉先輩、ちょっといいですか」
蕾ちゃんだ、と思って振り向く。すると彼女は、ぎこちない笑顔を浮かべていた。
「なあに」
「一緒にランチいいです?」
断る理由なんてない。むしろ、こちらがお願いしたいくらいだった。渡りに船だ。
「いいよー」
一個下の後輩が、ホッとした様子でデスク上の書類を片付けはじめた。わたしは、のんびりと声をかける。
「急がなくていいよ、そんなに遠くには行かないから」
「でも六十分しか休憩時間って、ないじゃないですか」
「そりゃあまあ、そうなんだけど」
いそいそと横に並んだ蕾ちゃんが、わたしを申し訳なさそうな瞳で見上げてくる。
「なにかあった? もしも、わたしが蕾ちゃんに済まないことしてたら、謝る。ごめん」
蕾ちゃんは立ち止まって、何度か首を横に振った。
「別に先輩が悪いとかじゃあ、ないんですよね。わたしの方こそ、仕事に障るようなことしてたから謝りたくなっちゃって」
「あとでゆっくり聞かせてもらうね」
「はーい」
ふたりして会社の外に出た。陽が出ていても、吹く風が強くつめたく感じられる。
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