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「うっ、寒い」
梅田新道を渡りながら、蕾ちゃんがつぶやいて肩をすくめる。ビルが立ち並ぶこのあたり、この季節に吹き抜けてくる風はとてもつめたい。
わたしは言った。
「お初の商店街の中に入る? 広くて居心地が悪くないところがいいよね」
チェーン展開しているお寿司屋さんの名前を挙げた。ランチタイムでは手頃な値段でメニューを提供してくれるので、周辺企業の多くの人たちも利用している。
「いいですね。そこなら先輩と、じっくり話ができそう。あそこの鶏肉タルタルソース掛け、好きなんです」
「じゃあ、そこにしよう」
お初天神裏参道を抜けて商店街に入ると、すぐに目指すお寿司屋さんがある。自動ドアが開くと、和服姿の女性店員が「何名様ですか」と聞いてくる。
「ふたりです」
わたしが言うと、店員さんはサッと店内を見渡した。
「お好きなところへ、どうぞ」
「ありがとう」
ぱっと見て、十二時過ぎたばかりだというのに。それほど混んでいないようだ。
一緒にいる後輩の話をしっかり聞かないとならないと思ったので、カウンター席を選んだ。蕾ちゃんも同じように思っていたっぽい。広いテーブル席だと、互いの距離がありすぎる。
オーダーしてからすぐ、待ちきれない雰囲気いっぱいの後輩女子が顔を近づけてくる。
「茉莉先輩。先に謝っちゃいますね、午前中は愛想がなくって、すみませんでした」
「そんなに、かしこまらなくても」
「いえ、やっぱ茉莉先輩には言っておかなくっちゃって思ってですね」
「なにか、あったの」
蕾ちゃんの頬っぺたと耳たぶが、さっと赤くなった。
「そ、そんなに言いづらいことだったら。無理して言わなくてもいいのよ?」
こちらの言い方がよほど深刻に聞こえたのか、蕾ちゃんは「うーん」と言いよどみながら背筋を伸ばす。
「なんて切り出したらいいのかな……ま、茉莉先輩。東堂係長のメアド、知ってます?」
「は?」
「知ってますよね? 昨日の夜、何通かメール受け取ってません?」
「えっ知らないよメールなんて」
あちらのあまりにも真剣な眼差しは、迂闊な答え方をすれば蹴り倒されそうな迫力があった。
……そういえば昨夜にケンちゃんとこから帰ってから今まで、メールチェックなんてしてなかったわ。でも一体ぜんたい、どういうことなのよ?
お茶を飲んだ蕾ちゃんが、たたみかけてくる。
「でもメアドは知ってますよね?」
「ちょ、ちょっと待って。それと今日の蕾ちゃんの勤務態度と一体どんな関係が」
うろたえるわたしに、蕾ちゃんはちょっとだけ羨望の光を流し目で寄越した。
「おおありだー」
後輩女子は「降参」とも言いたげに両手を天井に向けた。やけに茶目っ気たっぷりに誤魔化した言い方をしているが、わたくしといたしましては一体ぜんたい、なにがなにやら。さっぱり、ちんぷんかんぶんなんですけど。
「落ち着いてくださいよう、高梨さーん」
相手の湯呑み茶碗に、お茶を注いであげているとき。ふたりが注文した料理が運ばれてきた。
鶏肉のタルタルソース掛けと、白いご飯。豆皿には白菜の一夜漬け。そして赤だしのお味噌汁だ。
「ま、まずは食べて落ち着こうよ。ね?」
「落ち着いていますがなにか」
蕾ちゃんの双眸からは、キラキラと屈託ない光が満ちあふれている。顔だちが美しいだけに、まるで天使のようだ。
でもなんだか、今のキミは怖いぞ。
「ほんとに?」
「決まってるじゃないですか」
後輩女子が「いただきます」と両手を胸の前で合わせて、お味噌汁に箸を伸ばす。どきどきしながら、彼女に合わせて食事をはじめた。
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