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この店の定番ランチメニューのひとつ。
鶏のタルタルソース掛け、いつ頼んでも飽きない……と、いつも思う。
しっとりと揚げられた鶏ムネ肉には甘酢がかかっていて、更に上からタルタルソースがほどよい分量で載せられている。あっさりしているムネ肉だからこそ、いろんなメニューが広がるのだろうか。
赤だしのお味噌汁も好物なので、本当は時間をかけて味わいたい。短い昼休憩時間が恨めしく思えるのは、こんなときだ。
しかし今。今日、このときだけは三十分休憩でもいい。
……真横には、ぴったりと身を寄せてくる後輩がいる。ついさっきまでは彼女に対して、なにかあるなら話を聞こうと思っていたけれども。しょっぱなから訳のわからない追及めいた会話からはじまるなんて、思ってもみなかったよ。
蕾ちゃんは、がっくりと肩を落としながらわたしを見つめた。
「わけわかんない、って思ったでしょ。先輩」
「ちょっとだけね」
わたしは「全然まったく気にしてないよ」という意味の笑顔を、一所懸命に作ってみせた。
「あらためて茉莉先輩に聞きますけど。昨日は東堂係長とデートの予定とか、なかったんですか」
「ないない」
ないもん。
わたしは、ぶんぶん首を横に振った。蕾ちゃんが落胆したようなため息をつく。
「なら、いいんですけどね」
おずおずと切り出してみることにしました。
「なんだかよくわからない、ちゃんと説明してくれたらうれしいんだけど」
「ああ、そうですね。たしかに今までの言葉だったら先輩もイミフですよねえ。すみません」
蕾ちゃんは椅子に座り直し、付け合わせの刻みキャベツに箸を伸ばした。
「昨日、わたし残業だったんですよね。それで、無理を言って東堂係長に手伝ってもらってて」
「うんうん、それで」
言いながら、腕時計を見遣った。時刻は十二時十二分だ。まだまだ休憩時間はたっぷりある。
「定時を過ぎて一時間半くらいだったかなあ。そわそわしまくってた係長に、それとなくカマかけしてしまったんですよ」
「それとなく」
「『デートですか。野々村さんとですか』『仕事を放り出してもいいんですか』って。それも茉莉先輩の名前を、思いっきり強調しちゃった」
蕾ちゃんは箸を置いて「あーあ」と言いながら両手で顔を覆った。
「言わなきゃよかったって、今さらなんだけど反省してます」
「誤解してると思う、蕾ちゃん。東堂くんは同期だけど、仲がいいだけで全然そんな対象じゃないよ」
言われた相手が「でも、ですね」と言い、顔を上げた。
「それでなくても、かなりショックなことがあって。それの八つ当たりを係長にしてしまったので。とてもキツい言い方だったと思う、わたし」
「『かなりショック』のほうが、気になるんだけど」
彼女を気遣う言い方をしながらも。わたしはケンちゃんのうどん屋で、東堂くんを待っても待っても来なかった理由がわかったから、ほんの少しだけ安堵の吐息を漏らしている。
「おととい、わたし有給休暇いただいてたじゃないですか」
「うん。たしか社内の」
「そうそう」
蕾ちゃんのきれいな瞳が、ちょっと曇った。
「経理の渡辺さんっているじゃないですか、あの人の披露宴に行くために取らせてもらったんですけど」
「ああ。渡辺亜希子さんだっけ?」
「うちの会社からの披露宴参列者、なんでわたしに決まったか知ってます?」
「なんで?」
後輩が、わたしの耳へと唇を近づけた。とてもちいさな声で、ぽそっと。
「クジ引き」
なんで?
驚いて体を離したわたしに、蕾ちゃんが「ですよねー」と苦笑した。
「わたしね、入社してから一番はじめに配属されたのが本社経理なんですよ」
「あ、そうだったのね。道理で仕事が出来る人だと思ったわ」
「茉莉先輩に言われたら、素直にうれしいんだけど」
蕾ちゃんは自分の複雑な感情を持てあましているように、口元をゆるめる。
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