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素朴な疑問が口をつく。
「そのぅ、神社の狐たちが咥えているグッズって。ちゃんと意味があるのよね」
ケンちゃんが神妙にうなずく。
「玉は稲荷神の霊徳の象徴、鍵は、その霊性を身に付けようとする願望であるとも言われます。他にも玉は民草が収穫した稲を蓄える蔵であり、鍵は蔵を開くためのものとも」
「ああ、なるほど。霊性を開く鍵、宝物を開く鍵ということなのね」
「はい」
「そんな大事なものを失くしちゃったの? どこに? なんで?」
「それが」
ぽつん、と言ったきり。相手は唇を閉じた。なんだか相当に、言いにくいことみたいだなあ。
やがてカウンターの内側から徳利がひとつ、出てきた。
「どうぞ。これと一緒に」
ほっそりした指が、切り干し大根が盛られた器を置いた。
東堂の喉が、ごくりと鳴る。わたしは箸をつけず、続けて問いかける。
「ずっと探しているのに、見つからないのね」
「そうなんです」
ケンちゃんは眉間に皺を寄せた。
「学校に通いながら『神さまの鍵』を探していたときです。父母とも、ぼくの不祥事のことで……周りの責めに耐え切れずに、神職を降りました」
「ご両親も、神社のきつねが仕事だったの?」
「ええ。それに両親は学校の教官だったんですよね。だから、ぼく以上に周りの目線も気になったと思う」
いつのまにか東堂が、切り干し大根を噛みしめながら食べていた。こちらの会話に口を挟まず、黙って聞いているつもりらしい。
「ご両親とは、一緒に住んでいるのでしょう?」
「いえいえ」
彼は首を横に振った。
「我々は一度、神職を降りてしまえば神界に生きていけません。この世界……茉莉さんや東堂さんが暮らすどこかに、いると思う。『鍵』は勿論だけれども、両親も探したい。少しでも、安心してもらえるようになりたい」
「いろいろと複雑なのね」
つぶやきと一緒に、ため息が漏れていた。
そりゃあ誰だって大切な人から預かったモノを失くせば、大変なことになる。ましてや稲荷の神さまからの預かりものだ。神さまの部下というか手足というか、そういう立場で「やらかしてはダメ」なことだったのだろう。
だけど両親までが、今まで生きてきた世界を追われるほどの出来事なんて存在するんだろうか。こっちの世界の横領とか詐欺やらの犯罪じゃあるまいし。
でも現に。目の前にいる、あやかし店主は。とてもしょんぼりした感じ満載なわけで。
あちらの世界では、大罪にも等しい事件だったのか……きっと、そういうことなんだ。
ご両親が住んでいたところも追われるくらいの、すごいことなんだね。もしかしたらケンちゃん自身も、こちらの想像を超えるほどの経験が、ひとつやふたつあるのかもしれない。
わたしも両親が立て続けに亡くなっている身なので、ケンちゃんの喪失感はどこかしら理解できるような気がする。
しんみりとした空気を変えたのは、東堂のサバサバした声だ。
「じゃあさー。俺や茉莉ちゃんが、きみに呼ばれた理由ってのも、そこにあるわけだな?」
「はい」
ケンちゃんはパッと頬を赤らめて、東堂を見た。
「きっと協力してもらえる、そう思っています」
「ふうん」
東堂が、少し怪訝そうに鼻先をこする。
「なにをすれば手助けになるんだ。俺たちは、ごく普通の生身の人間なのに」
「別に大層なことを、お願いするつもりはありませんよ」
「そうなのか」
「はい」
ケンちゃんの表情が、さっきよりも明るくなった。
「あのう、信じてもらえないかもしれないですけど。ここの提灯が見える人に、来てもらうことが一番の大事なんですよ。お二人には気軽に、ここに寄ってほしい」
わたしは言った。
「それが『神さまから預かった鍵』と、ご両親を探す手掛かりになるってことなのね」
「ええ」
ケンちゃんは、わたしと東堂を見ながら何度もうなずく。
「鍵を失くしたことで、学校も辞めさせられそうになって……それで、神さまから特別に言い渡されたんですよ。学校を辞める必要はない、『鍵』も両親も自分で探しなさい。下界で色々な人間を見てきなさい、って」
「ふうん」
言いながらわたしは、こめかみに指をあてた。
「神さまでも、失くしものを探せないことってあるのね」
東堂が、くすっと笑う。
「そりゃそうだろう、どんな人間にも得手不得手があるように神さまにだって」
「ああ、言われてみたら。安産祈願と国家安穏は違うわね」
なるほどそうか、それもそうだね。東堂の言うことは、間違っていないよね。
「でもねえ、そもそも。ケンちゃんが失くした『鍵』って、本当に紛失とか遺失なのかな。盗難じゃなくって? それも考えてみた?」
ふっと思いついた疑問を、ありのままにぶつけている。
「んー、でも」
ケンはうつむき、指先で目尻に触れた。
「他の誰かを、疑うのはイヤなんです」
「けど、それで。ご両親が出て行ったら、なんにもならないじゃないの」
「そうなんですけど」
彼の声が、ちいさくなった。東堂が耐えかねたように、わたしに身を向けて唇をひらいた。
「まあまあ。この子なりに、一所懸命に考えているんだよ。そういう疑問も当然なんだけどさ、まずは俺たちで応援してやろうよ。こういうのも、縁なんだしさ。日々おもしろくない日常だけど、誰かのためになれることなんて、そうそうないんだからさ。ね、茉莉ちゃん」
なぜか、俺たちで、という言葉が強く聞こえた。
「そうね、東堂くんの言う通りにするよ」
ほっと肩の力を抜いた笑みを浮かべたケンちゃんが、わたしと東堂の御猪口に酒を注いでくれる。
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