02 おきつね男子ケンちゃん

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 “神社のきつね”、ケンちゃん。  見た目は十代後半か二十歳(はたち)そこそこ、と言った感じ。切れ上がった二重の目、スッと通った鼻筋の端正な男の子だ。  彼は週二回だけ営業する、うどん屋の店主でもある。このうどん屋、外に出している提灯が見える人と見えない人に分かれるのだ。  わたしを連れてきた東堂はケンちゃんのことを“この世のものではない存在”だという。しかも、わりと最初から“きつね”だと、わかっていたっぽい。  きつねが作る、きつねうどん屋。わたしね、そのうどん食べちゃったよ。とても美味しかったから、いいんだけど。でもさ。  自分の頭が、おかしくなっているとしか思えない。  けれど東堂も、わたしと同じ経験をしている。  東堂は、ごく当たり前のように今夜の出来事を受け入れている。それもまた、不可解だった。  でも実際に、眼前にいる“きつねくん”からは、とても素朴で純粋な雰囲気が伝わってくる。彼が話すたびに漂う空気が、ほわほわ和んでくるような気がする。  ケンちゃんは、東堂を待っていたと言っていた。  待たれていた側は飲み会の帰りに露天神社を掃除していて、敷地内に置かれていた人形を磨いたことがあるらしい。磨き終わった人形の顔が、ケンちゃんそっくりだったと聞いた。  そういうキッカケがあったからこそ、東堂は、このうどん屋の存在がわかったのだろうか。  おそらく大多数の人には見えない、橙色の灯り。ひっそりした空間の入口扉に掲げてある、提灯のともしび。  わたしと東堂は、いつのまにかケンちゃんに深く興味を抱いていた。聞いてみたいことは、山ほどある。同じように、うどん屋店主にも。誰かに聞いてほしかった話がありそうだった。 「ぼくがここにいる理由も聞いて行ってほしい」  そう言われたときから、わたしと東堂の気持ちは決まっていたと思う。彼の話を最後まで聞きたいだけではなく、きつね店主そのものに心が惹かれているのだ。  あとのことは、なんとかなるんじゃないかな。  最悪の場合は明日の朝、上司に「休みます」と電話をすればいいのだもの。  そこまで考えて、笑い出しそうになった。わたしの上司って、東堂くんじゃないの。休む理由もテキトーでいいかあ、なんて。  交わされている東堂とケンちゃんの遣り取りを眺めながら、少し思った。  ――夢と(うつつ)の境い目が、こんな感じなのかもね。  手の中にある湯飲み茶碗からは、ほのかな温もりが伝わってくる。腕時計の文字盤が、ふっと視界に入ってきた。日付は、すでに変わっている。  ケンちゃんのやさしい声が聞こえてきた。 「茉莉(まり)さん」 「あっ、はい」  前に顔を向けると、東堂がわたしの肩を叩いた。 「聞いてた? ここが週二回の営業しかしていない理由」 「ごめん。もう一度、教えて」  ケンちゃんが、白い歯を見せた。 「本業があるから」 「本業って、神社に常駐すること?」 「そう、そうです」 「でも週二回は、うどん屋なんだよね。『探しもの』と関係あるの」 「ええ」  ケンちゃんは応えながら、東堂とわたしの前に御猪口(おちょこ)を並べた。ふと東堂を見ると、彼はコートを畳んで膝に掛けている。 「東堂くん、寒いの?」 「足元だけね」 「まさか日本酒をケンちゃんに催促したわけじゃないよね?」 「ち、違うよ」  東堂が手を横に振った。本当かなあ、という気持ちで店主を見る。視線を受けたケンちゃんが、口元をゆるめた。 「奢りですから、気にしないでください。それと、さっきの続きですけど」 「うん」 「茉莉さんは、神社の狐にも差異があることを知っていましたか」 「初耳」 「ですよね」  なんでも神社に鎮座しているきつねの像、神さまの使いとして神社に降りるための学校があるらしい。ただ、学校という言い方は、あくまでも物の例えみたいなんだけど。 「へー。神さまの使いをするのにも、勉強が要るのねえ。それでケンちゃんは、もしかして教育期間中なの」 「はい。だけど、ちっとも出来が良くなくて。おまけに神さまから、お預かりしていた鍵を失くしてしまったんです」 「鍵? なに、それ?」  声を上げたわたしに、東堂が口をはさむ。 「神社にある狐像は、人間界で言うところの道具を持っているのさ。持っているというかね、口に咥えているんだよ。それらは玉だったり、鍵だったり。ちなみに京都にある伏見稲荷大社の狐の像は、玉と鍵の他に巻物と稲穂を咥えているお狐さまの像がある」 「そんなに注意深く、神社の狐を見たことがなかったわ」 「まあね、日本全国の稲荷系神社が狐の像を設置しているわけではないから」 「ふーん」  言ったあと、わたしは首を傾げた。
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