あの日

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「どこで、話そうか?」 柔らかい夏美の声は、田中を落ち着かせようとしているようにも聞こえるし、田中の悩みなど気にもとめていないようにも聞こえる。 「神社に行こうよ。あそこなら、静かだから」 「うん、そうしよう」 夏美が言うと、田中は夏美に手を差し出し、夏美もその手をしっかりと握りしめる。 手を繋ぐのは、2人の習性みたいだった。 そうしなくてはいけないくらいに、仲が良い。 だからこそ、僕は夏美が消えた後の田中の態度が腑に落ちなかった。 こんなに仲が良くて愛しいものを見る目でお互いを見ているのに、どうして、夏美がいなくなったとき田中は僕に言ったのだろうか。 「しかたがないのよ」 仕方がないって、どういう意味だったんだろう。 田中は、そうやって僕に言ったことを覚えているだろうか。 そうやって僕に言ったとき、田中の表情はひどく嫌味な感じだったことを僕は思い出したのけれど、田中は覚えているだろうか。 田中は今、どんな景色をしてみているのだろうか。 田中と夏美の背中を追うように僕は神社に向かう。 境内の石段のあたりで、2人は並んで腰掛けた。 夏美の細くて白い足が見えるとき、僕の呼吸が苦しくなる。 痛い。心が痛い。
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