運命のアルファは金色に輝く

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 懐かしい匂いがする。  両親とルカと湊だけの小さな世界で嗅ぎ慣れた、深い森の。いや、深い森ではない。日本のあの山の中の匂いであり、そうではない。森の匂いであり、竹林の匂いであり……。  ―――ああ、そうだ。尊人の匂いだ。  金色の線で繋がった先、ふわふわの金色の毛並みをした子狐がいた。ふんわり薫る子狐の匂いが心地よくて、抱きしめたくなった。けど、知らない奴から急にそんなことをされたら警戒されてしまうし、一生懸命我慢したけど、本当は抱きしめてみたかった。父が軽く抱き上げたのを見て、簡単にできてしまうのが羨ましくて悔しくて、なんだかちょっと泣きたくなったくらい。  成長した尊人のふわふわ毛並みは変わってなかった。尊人の匂いも変わってない。  安心するような、そわそわするような、不思議な匂い。  日に日に匂いは強くなっていってる気がする。ステファンの硬質な薔薇の匂い、イサークの雪を思わせる匂いも微かに感じられるようになってきたのは、タイムリミットが近づいてきているせいだろうか。  まだ何も解決していない。今はまだダメだ。  焦る気持ちとは裏腹に、封印が解けてしまったいま、成長の過程として成熟へと近づこうとする時間を止められない。止められないのを分かっているのに、なぜか「まだ大丈夫だ」と根拠もないのに落ち着いている自分もいた。 「湊さま、今からイサーク様たちとの相談に向かいますので」  ルカに話しかけられて、ふっと思考が途切れた。 「最近、食事の量が減っておられますが、このくらいは平らげてくださいよ?」  目の前には読みかけの本、サンドイッチが数切れ、カップに入ったコーンスープ、カットフルーツ、冷めてしまったお茶、ページを捲ろうとして止まっている指がある。  具だくさんの美味しそうなサンドイッチなのに、見ただけでお腹いっぱいになってしまって溜息が零れそうなのを押し止めた。 「食べるよ」  おしぼりで手を拭いてサンドイッチを口に運ぶ。じっと見られているので、スープでサンドイッチを流し込んだ。喉を通っていく感触があり、味覚もあるのに、どこか実感が伴わない。ここには見慣れた森も金色の子狐の姿もない。目に映っているシルシュスタイン邸の部屋の方が非現実で、あの森にいた小さな自分の方が現実だと思ってしまったほど、深く入り込んでいたようだ。  ふっと気づいた。 「ちゃんと食べるし、部屋でじっとしておくよ」  食べながら本を指差した。  湊の服を着、銀髪の鬘をつけたルカが心配そうに見つめているのを、ちょっとうとうとしてたから、まだ胃も寝ぼけてるだけと笑ってごまかした。  このルカの格好はイサークの案だ。魔王一家と交流を持ってもいいだろう魔族を選別する相談でルカ達が三人で逢うためには、湊のフリをして逢うのが自然だろうということで、鬘も用意してくれた。背格好は多少違うが、使用人達はいつも遠目で観察するだけなので、そこを利用して入れ替わり、ルカが湊の格好をして部屋の外にいる間は、湊が部屋に籠る。 「ドアに魔法をかけておきますので、触れないようにしてくださいね」 「分かった。ルカも気を付けて」 「はい。では、行ってまいります」  パタンと閉じられたドアに魔法がかかっているのかいないのか、湊には判別できないが、昨日から何度も念押しされていたので、ルカが帰って来るまでドアに近づかないことにする。一人になった途端、食べる気は失せたが、とりあえずはお皿の上を片付けないと。スープとお茶で無理矢理流し込んだ。  重たくなった胃とともに、思考が沈みそうになる。  皆は動いているのに、また自分は何も出来ていないな……と。何も出来ないのなら、皆の邪魔にならないようにしたり、皆が動きやすくなるように協力すればいい。発想と視点を変えてみよう。  お皿を片付け、お茶を煎れ直した。  ルカは湊を尊人の部屋で匿ってもらおうと主張していた。が、尊人の部屋で服を交換する=着替えるのには抵抗があって反対してしまった。その代わりに部屋から一歩も出ない約束をしたけれど、全部脱ぐわけでなし、男同士で、なぜこんなに抵抗感があるのか?なんてことを、一人のせいか延々考えてしまう。  いや、延々と考えていいのだと思う。いつまでも「まだ大丈夫」でいられない。ステファンにも言われた通り、先入観などを捨てて自分の心の動きに素直になれば、僅かでも進めそうな気がした。開いていた本を閉じて椅子に深く腰掛け、深呼吸を一つ。ゆっくり紐解いていこう。  徐々に嗅ぎ分けられるようになってきた、この屋敷にいるアルファの薫り。陽だまりの匂いがするルカは勿論、ステファンもイサークもいい薫りだ。でも、一番身近に感じていたいのは尊人の放つ薫りで。時折、強く薫る瞬間があり、ドキッとしてしまう。  基本は落ち着かせてくれる匂いなのに、竹林に吹く風のように胸がサワサワする。  暮らし慣れた日本を感じさせてくれる薫りだからだろうか。  考えているうちにざわつき始めてしまった心を落ち着けようと目を閉じ、瞑想に入ろうとするのだが、浮かんでくるのは尊人のことばかり。  長い前髪で隠されていない黒瞳は間近で見れば、金色が混じっている。ペンを持つ手の骨の動き、指の長さ、肌の上をチリチリ這う蒼白い炎、微笑む唇の形、真っ直ぐな黒い髪。真剣な表情や笑ってる顔、照れ臭そうに、けれども芯を持って語る夢の話、耳障りの良い声。  思い浮かべていると、口角が上がってしまう。一人でニヤついてるのが恥ずかしくなって、ふるっと頭を振った。頭を振ったくらいでは尊人の面影は去ってくれない。  過ごしている時間なら、ステファンもイサークも尊人と過ごしているのと同じくらいの時間をともにしているし、ルカなら生まれる前から一緒にいる。  なのに、最初に浮かんでくるのは尊人だった。  尊人のことを想うと胸の奥がじんわり温かくなり、頬が熱くなる。傍にいたいと願い、同じ分、眺めていたいと思う。そして同じ分、胸が疼くようにチクリと痛む。  ステファン、イサーク、ルカ、両親、次々に浮かべてみた。胸が温かくなり、穏やかな気持ちになり、話したいし話してほしいし、今の関係を続けていきたいと思うけれど、胸は痛くならなかった。魔王やエドアルト、ラドゥ、魔王城での出逢いも驚いたり感心したり、感情は色々動いたけれども、温かなものが残っている。  湊に対して無関心なベスニクやロイス、悪感情を抱いているルシアンには戸惑いや困惑があるだけで、傷つけられたといった痛みは感じていない。  尊人に向かう感情だけが違う―――これを知りたくなくて、蓋をしてきた。  チクチク疼く胸の痛みが、早く正解を出せとせっつく。  本当は知っている。いや、知らない。これが正解なのか分からない。だって、湊のこれまでにはなかったものだから。  ドキドキ脈打つ胸に重なる、チクチク疼く胸の痛みは甘くて。  書籍やネットで読んだり見たりしてきたものと違い、ときめくほどの輝きはないけれど、同じものなんだろうか。 「これが『誰かを好きになる』ってこと……?」  口に出してみて、目の前が明るくなったと同時に、腹の奥に沈む重たい塊が疼く。  認めてはいけない、まだ突き詰めて考えてはいけない、自制してきたのは、両親のことがあるからだ。たった一人を深く想い過ぎ、慕ってくれている者や我が子まで忘れ、壊れていた母の姿が湊の中に重たい塊として圧し掛かっている。  黒髪だった頃の湊には、我が子の歳を数えるのを拒否し、この世を去ってしまった父を待ち続け、湊のためには生きようとしてくれなかった母の姿しか残されていない。  しかし、母の魔法が半分解け、元の姿に戻った湊には、両親の仲睦まじい姿や溢れる愛情を注いでもらっていた思い出がある。  二つの記憶が融合した現在、母の遺言状に対する気持ちにも変化が出てきた。  父と同じ銀色の髪に戻った湊を守りたかった。そう思い続けてくれたのが、両親からの贈り物であるブレスレットだ。そっと右手でブレスレットに触れると、応えるように震えた。  鬩ぎ合っていたんだろう。最愛の人の血を引く子供を愛し続けている気持ちと、最愛の人を追いかけたい気持ちと、どちらもが強すぎて母一人では受け止めきれなかった。その結果が長寿を保つ薬を断ち、緩やかな消滅への道へ進みながら湊の傍に居続けてくれたんじゃないか。  たった一人の魔物のオメガとして生まれてきた湊を守るために魔法をかけてくれた。  銀色の髪と瞳の湊のままでなく、黒い髪と瞳にした理由は、銀髪だと目立ってしまい、そこからオメガだとバレるのを避けたからなのか、銀色の鬼を連想されずにシルシュスタイン一族に受け入れてもらうためだったのか、今となっては分からない。  魔界での色んなことが落ち着いたあと、人間界に戻って湊だけで生きていく際に黒髪黒瞳の方が溶け込み易かっただろうと考えてしまう。  知らず重たい溜息が零れた途端、ゴロッという音が聞こえて慌てて窓の外に目を向けると、黒い雲が広がりつつあった。  シルシュスタイン家の館が建っている付近の天候はほぼ変わることがない。なのに雨雲が広がりつつあるのは確実に湊のせいだ。ゴロゴロ鳴り始めた空に、使用人達のざわめきが遠くに聞こえてくる。  落ち着かないと。椅子に深く座り直し、深呼吸を繰り返した。今まで考えていたことを頭の外へ追い出す。 「湊さま?!」  ドアが開き、ルカが入って来て急いでドアを閉めた。 「どうされましたか?!何かありましたか?!」  鬘を脱いで駆け寄って来るルカの声と姿にホッとして力が抜けた。近づいてきていた黒い雲が遠ざかっていくのが見える。 「ううん―――、ちょっと母さまのことを思い出してただけ」 「そうですか……」  湊に何もないのを確認し、窓に近づいて雨雲が遠ざかっていくのを確認したルカがカーテンを閉めた。 「お留守番ありがとうございました」  自分の服に着替えながら、まずはイサークの実家に招待し、様子を見てから交渉を持っていく魔族のピックアップが済んだことを話してくれた。話し合いがスムーズに終わったのは、三人がそれぞれ名前を挙げた魔族がほとんど同じだったからだとも教えてくれた。 「魔王様には黙っておいて、エドアルト様にだけ話しておこうというのも一致しておりました」  魔王にこの計画を話したら潰される可能性が高いので、エドアルトを巻き込んでおくのは良い手だ。 「うん……そうだね」  話を聞きながら、落ち着こうとして気もそぞろな湊をじっと見つめていたルカが、思い出したように言った。 「尊人様から湊さまへお話があるそうですよ。部屋に来てほしいとの伝言をお預かりしていますが、訪問されますか?」  急にルカの口から尊人の名前が出てドキッとした。 「尊人、が、話があるって?………」  名前を聞いただけで動揺してしまい、目線や声が上擦ってしまった湊の様子に、着替え終わったルカが近づいてきて椅子の横に跪き、左手をそっと両手で包んだ。ドキドキしている脈の速さを知られてしまうんじゃないか、なぜ動揺したのか、不審に思われるんじゃないか、後ろめたいことなんかないのに、そわそわしてしまう。しかし、握られた手を引っ込める方が変だろうし、どうしたらいいのか迷った。 「どんなお話かはお聞きしませんでしたが、行かれた方が良いと思いますよ?」  行きたい。でも、尊人が好きかもしれないと思ったら、尻込みしてしまう。  今はまだ淡い想いであっても、どんどん深く重たくなっていって、尊人を困らせる感情に育ってしまうだろう。それは嫌だ。湊が勝手に抱いている想いを尊人に知られたくないとも思う。友達として仲間として、良い関係を築いている最中なのに、妙な感情のせいで拗れて嫌がられたら……怖くて、背筋に冷たい汗が流れた。 「お一人の時間に考え込んでらしたんですか?」  机の上の本は閉じたままだ。パソコンも開けてない。ちらっと確認したルカが、ふっと微笑む。 「何か、答えを見つけられたんですね」 「答え?」 「ええ。お顔が赤くなったり青くなったりしてますよ。話せない、話したくないことなら話していただかなくても結構です。……ああ、こんなに手が冷たくなって」  緊張と怯えで冷たくなった手をルカが温めようと摩ってくれている。優しくて柔らかい触れ合いに、震える手でぎゅっとルカの手を握った。  たとえルカであっても、こんなことを言うのはいけない。余計に心配させてしまうだろう。喉に痞えるものを飲み込もうと必死に堪えてるうちに、せっかく遠ざかった雨雲が近づいてくる気配がしてきた。 「大丈夫ですよ。深呼吸してください。いま温かいお飲み物用意しますね」  言われた通り深呼吸しようにも、喉が震えて上手く呼吸できなかった。飲み物を煎れるために去ろうとしたルカの手を握りしめて止めた。  無理に飲み込もうとするから、こんなふうに不安定になって隠しておかなければならない力を簡単に露呈させてしまうのだ。だったら、無理に抑えつけずに吐き出さなければならないんじゃないか。  震える喉から細く息を吐いた。部屋の外で使用人達がざわついているのかもしれないが、湊の耳には届かなかった。  手を握ったまま、背中を摩ってくれるルカの温かさだけが伝わってくる。 「……怖いんだ。こんなふうに思うのは初めてで……怖い」  やっとで声を出すと、雨がポツポツ窓を打つ音が聞こえてきた。 「初めてのことは誰だって怖いものです。湊さまが怖いと思われて当然です」 「本当に……?」 「ええ。経験してないんですから、何が起こるのか、どうなるのか、分からなくて不安であり、恐怖であり、希望であるんです」 「希望……」 「どう転ぶのか分かりませんよね?良い方向に転んで欲しいという希望、結果はどっちになっても、経験できるという希望。怖いのは、それだけ初めてのことを慎重に取り扱いたいからです。怖がっていいんですよ」 「でも……、」  堪えようとしても震えてしまう声に、ルカが頷く。 「だから最近、あまり食事が進まなかったんですね。気づかずに失礼しました」  頭を下げられて、違う、と首を振った。 「俺が黙ってたから……、自分で解決しようと思ってたんだ。解決できるわけもないのにね。だって、俺は母さまの子だから」  顔を覗き込みながら、ルカが首を傾げた。 「同じことをしてしまう。一つのことに囚われて、周りが見えなくなってしまう。誰の声も届かなくなってしまうんだ……怖くて……あんなふうにしかなれないんだったら、知らないでいたい……ずっとそう思って……っ、でも」  泣いたら雷まで呼んでしまう。降り始めた雨が強くなっているのに、雷まで起こしてしまったら、せっかくドラゴンが現れる前に戻ったのに、湊が防御陣を壊すことになってしまう。滲んでくる視界を消すためにぎゅっと目を瞑った。 「―――湊さま」  痛いほど手を握られた。情けない湊に怒りが湧いたんだろう。呆れたのかもしれない。縮こまる湊の背中を軽くポンポンと叩く。 「なぜ、そう思われるんですか?」 「なぜって、俺は母さまの子だから……」  ふう、と聞こえるほど溜息をつかれた。 「母子ではありますが、湊さまとお母様は同一人物じゃありません」  当たり前のことを言われて、そんなことは分かってると目を瞑ったまま首を振った。 「湊さまは湊さまです。オーフェリア様と同じなわけがありません。こう言っては何ですが、湊さまは私が育てました。ご両親でもなく、私が、です」  ハッと目を見開いた瞬間、怒った表情のルカがいた。 「私がお育てしたのは湊さまだけです。オーフェリア様には別の育て親がいらっしゃいます。ですから、同じになるわけがないんです」  はっきり言い切り、にこっと笑う。 「ミルクを飲ませたのも、おむつを替えたのも、ご両親よりも私の方が多いんですよ?算数も国語も理科も社会もお教えしたのは私です。湊さまはよくご存じですよね?」  頷いた。確かに、勉強は全てルカから教わった。ルカでは補えない部分は本やネットで、生きていくために必要なことはルカが整えてくれた。両親が健在だった頃からずっと。忘れてしまっていたけど、父が亡くなり、母の時間が止まった当初、哀しくて淋しくて傷ついて泣いていた湊に寄り添ってくれてもいた。 「これと決めたら頑固なところはお母様譲り、穏やかな性質はお父様譲り。未熟な私が手をお貸しすることに不安も戸惑いもありました。正直、小さな湊さまを育てられるのか……熱を出されるたび、成長の過程で必ず起こるものと分かってはいても、私が至らないせいで病気になられたんじゃないかと怖くて怖くて仕方がありませんでした」  当時を思い出しただけでも震えてしまうようだ。 「ところが、どうですか。私がお育てした湊さまはこんなに立派に成長された。あんな狭くて窮屈な世界だったのに、他者を思い遣れる心優しい方になってくださった。自慢して見せびらかしまくりたいんです」  胸を張るルカは湊が引いてしまうくらい自慢気で。そんな自信を持って自慢されるようなほどじゃないのに…と尻込みするくらいだった。 「ですので、何も心配されることはありません。心配するのはむしろ私の方です。純粋培養に育て過ぎたな、と。これは心配というより反省?」  眉間に皺を寄せ、首を傾げられても……ルカが思っているほど、純粋ではないと思う。  再び窓の外の雨雲が遠ざかっていく。 「湊さまは湊さまの表現方法がありますし、捉え方、感じ方も違いますから。表現の方法は他者は勿論、血が繋がっていても同じになるとは限りません」 「うん……」  回りを気にしてしまうところ、慎重なところはルカに似たんだろう。  母の全てを否定したいわけじゃない。あれだけ一途に唯一の相手を想い続ける強さには憧れる。 「ありがとう、ルカ。俺の傍にいてくれて」  パチンと大きく瞬きをして、にっこり微笑んでルカの、背中に回っていた手が抱きしめるように力が入った。 「嫌がられても、私が納得するまでは傍に居続けますからね。覚悟しておいてください」  育ての親として、兄として、友達として、いつも湊の傍にいてくれるルカに甘えてばかりではいられないのに、今はルカの言葉に甘えておこう。情けなくて不甲斐ないけれど、虚勢を張る余裕がないほどな現状だ。 「よろしくね。でも、疲れたときはちゃんと言ってほしい」 「そのときは猫の姿で伸び伸びさせてもらいます」  二人で笑い、立ち上がったルカが湊の手を引いて立ち上がらせた。 「私の自慢の湊さま。素直な心で立ち向かってください。伝えなければ、何も始まりませんよ?もし、どうにもならないようでしたら、いくらでも愚痴を聞きますし、尻を叩かせていただきますし、慰めてあげますからね!」  一人きりの部屋で湊が何を想い、考えていたのか、ルカにはお見通しだったんだろうか。  ちゃんと思い出した。父から、母から、ルカから、温かさを貰っていた。哀しくて辛くても寄り添ってくれる温かさはいつも湊を慰め、奮い立たせてくれた。ひととは温かなものだと教えてもらっておきながら、傷ついたことしか覚えていなくて申し訳ないと反省する。  臆病な自分が悪かったのだ。跳ね除けられても自分の心に真っ直ぐに突き進んでいたルシアンの強さが羨ましい。 「湊―――!」  ノックもなしにドアがバンッ!と開いた。  青ざめた顔に汗を浮かばせた尊人が走り込んで来る。 「何かあったのか?!」 「えっ?!」  突然のことに驚く湊とルカの顔を見回して、二人に何事もないのを確かめたあと、脱力する。 「よかった……あ!ノックもなしに入ってきてゴメン!」  珍しく乱れた髪で頭を下げる。 「湊が来るのを待ってたら、部屋の外で使用人が騒いでるのに気づいたんだ」  生まれたときから人間界で過ごしている尊人にとっては急な天候の変化なんて珍しくないので気にしていなかったが、シルシュスタイン邸に棲んでいる者達からすれば、朝と夜以外の変化はありえない現象になる。パニックを起こしている使用人を捕まえ、事情を聞いて、湊が起こしている現象だと気づき、駆けつけてくれたのだった。 「すいません、すぐにでも尊人様にお知らせすれば良かったんですが」  恐縮するルカに手を振って応える。 「俺がすぐにここに来たら良かっただけだから。話し合いは纏まった?」 「はい。とりあえずの順番も決めました」  魔王との交流を持ってもらう予定の魔族がどんな者なのか、折々に話していってくれると言うルカに頷き、尊人が振り返った。 「話っていうのは、前に湊がステファンさんとイサークさんに援助を申し出てみたら?って言ってくれただろ?ダメ元で話してみたら、具体案を提供してもらった上に、援助も受けられることになったんだ」  良い話でよかった。何の話だろう?と身構えてたのもあって、余計にホッとした。 「尊人の夢の実現に近づいてよかった」 「本当、驚いたよ。情けないけど、ぼんやりとしたイメージしかなかったんだ。それが、持ってたイメージを聞いただけで、全部リアルに繋げてもらえた。さすがだよな。負けてらんないなって力が湧いてきたよ。背中を押してくれてありがとな」  嬉しさいっぱいの尊人を見てるだけで嬉しくなってくる。 「背中を押してくれたのはステファンさんとイサークさんで、俺は話を聞いただけだし……」  尊人の話を聞いて、アイデアの一つも思い浮かばなかった。知識も経済力もない湊では尊人の役に立てる手段がなく、だったら両方を兼ね備えてる二人に相談した方がいいと、ただステファンとイサークに丸投げしただけだ。 「湊に言われなかったら、俺は二人に話してなかった。迷惑じゃなかったら、これからも相談に乗ってほしい」  スッと右手を差し出された。 「こ、こちらこそ、聞いてるだけ状態だけど、聞かせてもらえたら嬉しい……」  がっつり握手を交わした時だった。  控えめにドアがノックされ、ルカが応対する。 「ご当主様からルカに連絡が入ってます」  ―――きた。三人、目配せをし合い、ルカが呼びに来た使用人について出て行った。 「ちょうどいい時に来たな。ステファンさんとイサークさんに伝えてくる」 「うん、俺は次の準備始める」  ベスニクから連絡が入ったら、イサークに連れ去られるフリをする。 「気をつけて」 「尊人もね」  再び握手を交わし、手を離そうとしたら、逆にぎゅっと握られた。驚いて尊人を見上げると、険しい顔で湊を見つめていた。 「何があっても、俺が―――俺達が湊を守るから」 「っ、あり、がとう……」  触れたところが静電気でも起こっているかのようにピリピリする。尊人は細かな反応に気づいているんだろうか。聞こうとする前に部屋を出て行った。  小さな痺れが残る右手を反対の手で握り締める。  左手首にしているブレスレットは何の反応もしなかった。
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