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例えば立ち止まってただそれを眺めるだけとか。
例えば何かまだ出来ることがあるだろうとか。
空白を空白として満喫すべきか、もしくは少しでも気を回すべきか。
考えてる間にも時間は過ぎていくばかりで、気が付くと終わってしまっているもので。
人生というのは得てしてそういうものだろう。
学生寮、その自室にある小さなキッチンのアルミ製の作業台の前に立ち、片側だけが寝癖のように跳ねた茶髪の青年、緋神恭介は光のない青い筋の入った黒い瞳で静かに作業台の上にある、紙で蓋をした丸い容器を見つめながらそんな事を考えていた。
とは言え飲食を忘れるほどずっとという訳でも無く、ついさっきの出来事だ。
そばにある銀色のヤカンを横目で見ても、ただ白い蒸気を吐くばかりで、何も返してくれない。待つべきか動くべきか、それは自分で決めろと言わんばかりに。
……何か、現状より前に見落としは無かったか?
容器に入っていた小さな袋は全て取り出した。容器の側面に書いてある指示に従って袋の中身を開けた。あらかじめヤカンで沸かしておいたお湯を注いだ。
お湯を、注いだ……?
そうふと考えついた時、彼の頭に一つの疑問が過ぎった。
「そもそも、お湯の量これで良かったのか?」
初めてやるんだよな、と次いで小さく漏らしつい紙の蓋をめくってしまう。たしかにお湯は容器の内側にうっすらと刻まれた線に沿って張ってある、それは慣れている者からすれば当然のように正解なのだが。初めてだからこそ、正解が正解すらも分からない。うーむと頭を捻らせて静かに蓋をまた閉じる。
「興味本位で買ってみたものの、意外と難しいな、カップ麺ってやつは」
いや、お前はカップ麺を一体何だと思ってるんだ。
袋の中身を容器に入れ、内側の線までお湯を注いで、数分待ったら出来上がる携帯性と利便性か簡易性の集大成。それの何が難しいと言うのか。
事の始まりはふらりと学園の購買部に立ち寄った時だ。
「今日はジャムの気分だし、コレとコレと……お?」
昼食用にいつも通り菓子パンと紙パックの野菜ジュースを手に取った後で、ふと何ら変わった所のないカップ麺の容器が目に入った。
「どうしたんだい?そんな所で黙り込んで」
「あ、あぁ……わりぃ」
白いエプロンに三角巾をかぶったおばちゃんに声をかけられて我に返る。そういえばクラスの奴らも当たり前のように買っていたな、と思い出す。食事なんて体に入れば別に何を食おうがどうでもいいとは思っているものの、彼の性格上知的好奇心はそれなりに強く、明日は授業が休みだからその時に試してみてもいいだろうと思い買った次第だ。
恭介にとってはカップ麺を作る事自体が初めてだった。
まずは容器を覆う透明なフィルムを剥がす前に全体を観察する。その目は真剣と慎重そのものだった。漢字だらけの商品名、緑色がメインのパッケージデザイン、成分表……意外とカロリーが高い、たしか濃厚背脂豚骨と書かれていた。それと食品表示とついでに書かれている作り方。なぜこんな重要な事をこんな事のついでのように載せておくかは理解が出来なかったがそれはそれ。
次にフィルムを剥がし、作り方の指示に従いお湯を注いで蓋をする。
そして空白の時間が訪れ、冒頭に戻る。
再び蓋を閉じてから数分、静まり返った空間を終わらせるかのようにピピピ、と電子音が響き渡る。
「これで完成、か?」
髪の蓋を最後まで剥がし、その全容を露にする。麺にほぐれた様子は無く少しだけ心を不安にさせ、事前にいれたかやくという乾燥した小さな野菜と肉は水分を含み瑞々しさを取り戻……してはない気はするがこういうものだ。お湯には何故かいつの間にか大量の油が浮いていた。
「え、何だ?この油どっから湧いてきた?でもこれは捨てるような説明はどこにも無かったし……まぁいいや、さてと残りは……」
揚げ麺だから当然だ。ここで早まってお湯を捨てなかったのは恭介のファインプレーとも言えよう。
完成はもう間近。よし、と意気込んで後はスープの素と後乗せオイルを注いでよくかき混ぜるだけ、なのだが。
問題が発生した。
「脂が固まってやがる!?絞り出すしかないか……」
彼は知らなかった。そういうのは、大体お湯を注いで温まった蓋の上に乗せて温め、脂を溶かして注ぎやすくするものだという事を。
答えに辿り着くのはもう少し先の話として、指で必死にぐりぐりと袋を絞って残った脂をスープの中に落とす。後乗せのオイルは固まっておらず、若干の疑問と不満を覚えた恭介だった。
かき混ぜるとすんなり麺はほぐれた。杞憂とはこういう事だったのかを実感した。
出来上がったカップ麺を小さなテーブルに運びいざ実食。
思い返すと大した事では無かった。だが、たたが数分されど数分。この体験はこのカップ麺のような、濃厚で味わい深い体験になった事は間違いなかった。
「今度、もっかい買ってみるか」
次こそは、と意気込んで買ったカップ麺がそばでまた頭を悩ませるのは別に話。
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