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BANANA
暑苦しい熱帯夜も白み始めたころ、作田の部屋に舎弟の山下が駆け込んで来た。
「若頭大変です、オヤジがおかしいんです!」
「オヤジが?」
見れば山下は青ざめ、唇を震わせている。彼のこけた頬には点々と血の痕があり、何か尋常でないことが起きたのを物語っていた。
「トオルはどうした?」
「それが、オヤジがトオルを殺っちまって……」
「ハア?」
「とにかく来て下さい!」
作田は慌てる山下に急かされて自室を出た。
あの懐深いオヤジがトオルを殺すなんて信じられない。オヤジは最後の愛人として、トオルを溺愛していたからだ。
エントランスにあるエレベーターへ乗り込み、最上階である五階へ向かった。このビルは丸ごと組の持ち物で、三階以下は組事務所、四階には作田と幹部の部屋、そして最上階は組長、つまりオヤジの別宅になっている。
エレベーターが停まった。
扉の向こうはすぐリビングだ。作田は滲む汗を散らすように、拳を強く握りしめた。
「……うっ!」
扉が開いた瞬間、ひんやりした冷房とともに、濃厚な甘さと生臭さの混じった臭いがした。
リビングは荒らされ、イタリア製の豪華なソファが血飛沫に染まっている。あたりには人間の手足が放り投げられていた。
「トオル……?」
青白い二の腕に刻まれたトライバルのタトゥーに見覚えがある。つまり、トオルはバラバラにされたのた。
「……オヤジ、いるのか?」
自分の声が僅かに震えるのが作田自身にもわかった。ヤクザになって長いが、こんな猟奇的な場面は初めてだ。
「若頭……」
「オヤジを捜せ」
「でもこれ、フツーじゃねえっすよ、ケーサツに」
「バカ野郎、オヤジを売る気か!」
組員が組長を差し出すなどあってはならない。何としても隠蔽しなければ組そのものが瓦解してしまう。
作田はビビる山下を一発蹴り、リビングの中へ進んだ。
散乱したグラスやつまみを跨ぎ、血の染みを避けなからユーティリティを覗く。気配はない。そっとトイレのドアを開けてみるが無人だ。風呂は開け放たれて、こちらも無人だった。
ということは、山下が向かった寝室のほうにいるかもしれない。
気をつけろ――声を掛けようとした矢先、山下の悲鳴が響いた。
「山下!」
慌てて寝室へ向かい、半分開けられたドアから室内へ飛び込んだ。山下は部屋の中央におかれた大きなベッドの前で、こちらに背を向けて立っていた。
「若頭……」
ゆっくり振り向いた山下の顔は土色で、腹は真っ赤に染まっていた。
「山下ァ!!」
スローモーションのように、山下が膝から崩れ落ちた。そしてベッドの上にはオヤジがいて、トオルだった塊を貪っていた。
いや、オヤジではない。
オヤジの頭をかぶった、得体の知れない何かだった。
体は鮮やかな黄色だ。しかしそれから緑色の、爬虫類のようなゴツゴツした手足と太い尾が生えている。鋭い爪は真っ赤だ。あれでトオルと山下を引き裂いたのだと直感した。
「オヤジ!」
作田が悲鳴のように裏返った声で叫ぶと、オヤジの頭がゆっくり振り返り、ズルズル滑り落ちた。下から金に光る目が現れる。まるでワニだ、否、バナナワニだ。
「ヒッ……ヒヒ、ヒハハハハハ、バ、バナナ、バナナワニだとぉ!」
まったく面白くないのに笑いが止まらない。自分でも気がふれたと思った。
笑い声のなか、バナナワニはトオルを手放し、作田へゆっくり向き直った。金の目が音もたてずににじり寄ってくる。逃げなければ、と頭の片隅で感じたが、足はまるでトリモチを踏んだように鈍かった。
背を向ければ、即襲われる。山下のように、トオルのようになりたくない。
作田はバナナワニと睨み合ったまま後退った。やっと寝室を出ると同時に、バナナワニはずるりとベッドを降りた。短い足では人間に敵うまい。その思い込みが作田へ力を与えた。
リビングの壁には日本刀が飾ってある。あれなら斬れる。
作田は武器を目指して脱兎のごとく走った。ソファを踏み台に飛び、日本刀を鷲掴む。そして振り向いたときには、すぐ目の前に真っ赤な口とノコギリ歯があった。
そうだ、ワニは俊足だったのだ。それが作田の最後の記憶だった。
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