BANANAWA

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BANANAWA

 八月後半になり、日本中のあちこちで猟奇的な事件が相次いだ。  顔から前頭葉まで齧り取られる、腸を食われバラバラにされる、更には司法解剖待ちの死体からバケモノが生まれて逃げ出したという、とんでもない報告まで入っていた。  おかげで捜査一課の人手が足りず、港那伽警察署生活安全課の志馬(しま)と椎野も応援に出ざるを得なかった。 「気味が悪いな、まったく」  真夜中の繁華街をパトロールしながら志馬は毒づいた。並んで歩く椎野も僅かに眉をひそめた。 「山本組まで潰れちまったからな。ったく、一体何なんだ、バナナワニって」  まるでゆるキャラのような名前だが、実際は凶暴かつ残忍だ。しかも人間でない可能性もある。  そんなものが一介の警察官の手に負えるのだろうか。これはもう公安か自衛隊の領分ではなかろうか。  志馬は左脇にぶら下げたホルスターをそっと押さえた。万一のときに頼れるのは恐らくこれしかない。そう思った矢先、左耳のイヤホンに通信が入った。 『中央区西三丁目の廃ビル付近で、例の未確認生物の目撃情報あり。近隣を巡回中の諸警らは急行してください』  二人は顔を見合わせた。現在地は西四丁目、現場のすぐ近くだ。 「どうする?」 「行きたくない、怖いから」 「だよな。俺もそう思う」  志馬の意見へ同意しながら、椎野が口の端を上げる。次の瞬間、二人は同時に駆け出した。  警察官の(さが)を呪いつつ現場の廃ビルへ到着すると、すぐに向かい側から警ら二人もやって来た。四人になったのは心強い。早速二手に別れて廃ビルの周囲を見回り、裏口や窓、非情階段の位置を確認した。  ここは元々家電量販店が入居していたが、ビルの老朽化により移転し、いまは解体を待つばかりだ。  応援を呼ぶ傍らで椎野が中心になり、素早く捜索の割り振りをする。警らはビルの外部を見張り、椎野と志馬はビル内へ向かった。  正面入口の自動ドアは施錠されているが、右手奥の事務所と思われる部分の窓が割れており、そこから侵入出来る。体の大きな志馬が先に入り、椎野を引き上げた。 「椎野さん軽すぎ、ちゃんと飯食ってんのか?」 「黙れ筋肉、無駄にでかくなりやがって」  悪態を吐く間も警戒は絶やさない。二人とも携帯してきたハンドライトを点した。  アイコンタクトとサインで疎通しながら、ライトを便りに一階フロアを捜索する。特に不審な影はない。外の警らに報告しつつ、二人は停止したエスカレーターをのぼった。  前は志馬、後ろは椎野だ。屈んで移動して二階へ着着し、互いに姿が確認出来る距離を保ちながらフロアを捜索した。  ここも動く影はない。 「何か見えるか?」 「いや」  志馬が即答すると、椎野は走って来て坊主頭をどついた。 「いって!」 「そうじゃねえ、お前しか見えねえもんがあるだろ」 「怪物にオーラなんてあるのかよ?」 「俺が知るかっ」  志馬が持つ「オーラを見る力」を使えと言いたいらしい。  果たして役に立つのか判らないが、先輩の言い付けには背けない。一抹の不満を感じつつ、志馬は意識を集中した。  フロアを端から見渡すが何の色も見えない。ぐるりと一回り見て、ふと異変に気づいた。  椎野の背後、天井から薄いもやのようなものが見える。人のオーラとは違うが、そのもやは椎野の頭上に向けてゆっくり降りつつあった。 「椎野さん!」 「ん? わっ!」  椎野の腕を掴み、渾身の力でこちらへ一気に引っ張る。不意を突かれた椎野は飛ぶように引き寄せられ、志馬の背後へ無様に着地した。 「こらてめぇ!」 「天井だ!」  叫びながら、志馬は銃を抜いた。同時に安全装置を外し、劇鉄を起こす。椎野も即座に理解し、同じように銃を構えた。  バナナに似た濃厚な香りが満ち、頬を撫でていくのが気色悪い。  天井のもやが動き、波打つ。まるで攻撃の予備動作のようだ。いつ発砲するか、と志馬が息を詰める傍らで、椎野はふっと息を吐いた。 「お前は誰だ」  静かな、瞬間で聞き入ってしまうような声音だった。  椎野の声は特徴的な波形を持ち、人の心をほぐして癒す効果を持つ。これを武器に犯罪予備軍を改心させてきた彼だが、果たしてそれが怪物にも通用するだろうか。 「もう一度聞く。お前は誰だ」  もやの動きが鈍くなった。 「須田太一か、それとも山本組組長の虎之助か」  虎之助、と椎野が発したとたん、もやは吸い込まれるように天井へ消えた。続いて何かが蠢く気配がした。 「話がしたい、俺は椎野という者だ」  ここで自己紹介するかよ、と志馬が心の中でツッコんだ。しかしこれは意外にも効果があったようだ。少しの間のあと、天井からどさりと影が落ちた。  即座にライトで照らし出す。そこにはバナナとワニが合体したような、グロテスクな生物の姿があった。 「うわ……」  再び現れたオーラは、たなびきながら目まぐるしく何色にも変化する。むき出しの様々な感情がごった煮されたようだ。気分が悪くなり、志馬は意識の集中を解いた。 「虎之助か」  それは問い掛けた椎野へ、微かに頷いたように見えた。 「どうしてそんな姿になったんだ」  質問に応える気がないのか、それともワニの口ではもう言葉を喋れないのか、虎之助は黙りこんでいる。ただ金に光る目が悲しそうに細められた。 「一緒に来い。色々調べなきゃならんが、悪いようにはしない」  虎之助は椎野を眺めていたが、拒否を示すように半歩後退った。  どうするべきか。  虎之助を捕獲する自信は志馬にも、そして椎野にもなかった。自発的に来てくれなければ助けることは出来ない。何故なら「捕獲出来ない場合は抹殺」と命令が出ていたからだ。  虎之助が更に後退る。その時、複数の足音が聞こえて来た。 「港那伽署だ、手を上げろ!」  怒号が聞こえ、ライトを伴う足音が虎之助を囲いこむように広がる矢先、急に悲鳴が上がった。 「バケモノだ!」  ほぼ同時に発砲音が響いた。誰かがパニックを起こしたのだ。  虎之助の艶々した黄色い腹が弾け、真っ赤な血が噴き出す。それに刺激されて次々に発砲音が響いた。虎之助はもがき、あっという間に血だらけになり、やがて俯せに崩れた。伏して痙攣する体へ、なお三発撃ち込まれる。そこでやっと銃撃が止んだ。 「やった!」  屍となった虎之助へ、勝利の雄叫びが浴びせられた。  同じ署の連中が狂ったように高揚しているのを、椎野は冷めた目で睨んだ。それから舌打ちし、踵を返した。 「行くぞ、志馬」 「……おう」  いま、椎野は何を感じているのだろう。  何とも割りきれない思いを抱えながら、志馬も椎野に続いた。  この時、虎之助の腹を食い破り、闇に紛れてそっと逃げ出した、親指ほどの小さな怪物がいたことを誰も気づかなかった。
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