第1話 一日一本のリコリス その2

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第1話 一日一本のリコリス その2

「名前の他にも、花が苦手な理由があるんですけど……。それはともかく、花が苦手なのに、花屋で働けませんよね」 「花に興味があるから、足を止めていたんでしょ?」  俺は頷いた。そろそろ俺は、過去と向かい合わなければいけないと思っていた。そのためには、花は避けて通れない。 「それなら、うちで働けばいいよ。ここにいれば、絶対に花が好きになるよ。花好きが増えるのは嬉しい。僕は店長の一之瀬薊。よろしくね」  薊さんが右手を差し出してくる。俺は慌てて一歩下がった。 「俺なんかでいいんですか?」 「どういうこと?」 「だって俺、こんな顏ですよ」  薊さんは不思議そうな表情をして、俺の顔をじっと見る。その顔が少し揺れているのは、『眉と目が二つあって、鼻と口は一つある』とパーツをカウントしているかのようだ。  いやいや、違うだろ。自分で説明しなければいけないのか。この人は天然か。それとも、自分の容姿が飛び抜けていいと、人の容姿は気にならないものなのか。 「俺、今日、コンビニのバイトを首になったんです。無愛想だからって」  顔つきは十人並みだろう。若干、眉と目尻が上がっているので、目つきが悪く見えるかもしれないが、問題は顔の造形ではない。  これだけ話していれば薊さんも気づいているだろう。俺は殆ど表情が変わらないのだ。小学生の時につけられたあだ名は、“能面”だった。 大学に入ってから始めた深夜の工場のアルバイトは、人と一切話さないので都合が良かった。しかし二年ももたずにその工場が潰れてしまい、すぐにコンビニで働き始めたのだが、二日目の今日、客が怖がるからとお払い箱になってしまった。 「俺は接客業に向かないんです。裏方の仕事を探そうと思っていました」 「接客、嫌い?」 「嫌われているのは、俺の方です」  しかも俺はデカイ。何もしなくても圧迫感があるだろう。無愛想な巨漢なんて、花屋から一番遠い存在に違いない。花屋といったら、可憐な女性のイメージだ。男性だったら薊さんのような、物腰の柔らかい人が似合う。 「花屋は体力勝負だよ。これから冬に向けては特にね。あまり暖房使えないけど、寒いの大丈夫?」  俺の勘違いでなければ、採用の方向に向かっているようだ。 「本当に、俺でいいんですか? 履歴書も見せてないのに」 「人を見る目はあるんだ。それに、アルバイトさんが長く続かなくて困っていたんだよ。待雪クンは真面目そうだし、煙草を吸っていないようだし」  薊さんは俺の胸元に鼻を寄せた。俺はまたドキリとして後退った。この人はパーソナルスペースが狭いようだ。俺は人との距離が近いのが苦手だった。 「俺、未成年なんで」 「そうなんだ、とっくに成人しているように見えるよ。待雪クンは大人っぽいね」  そう笑う薊さんはいくつなのだろうか。年上だろうけど、俺とそんなに変わらないようにも見える。 「煙草はダメなんですか?」 「吸う予定があるの?」 「いえ、気になっただけです」  よかった、と薊さんはにっこりと微笑む。 「煙草はエチレンガスが含まれているから、植物の老化を早めてしまうんだ。少量なら問題ないと言われているんだけど、ちょっとだって可哀想でしょ?」  薊さんは再び俺に右手を差し出した。 「じゃあ改めて。よろしくね」  柔らかな笑顔の薊さんの顔を、不思議な感覚で見返した。こんなに花屋に向かない男を、いともあっさりと受け入れてくれるなんて。人がいいのか、懐が深いのか、それともこの人独自の別の尺度を持っているのか。 「木下待雪です。大学二年です。精一杯頑張ります」  俺はその白い手を握った。外気で冷えているはずの俺の手より、更に冷たい。 「そうだ、待雪クン、今から時間ある?」 「ありますけど」 「じゃ、入って」  店の中に招かれる。そのドアにはいつの間にか“closed”の札が下がっていた。どおりで立ち話をしている間、客が来なかったはずだ。  店に一歩足を踏み入れると、花々の甘くみずみずしい香りに包まれた。天井の高い店内には、大型の観葉植物と大小色鮮やかな切り花がバランスよく配置され、アンティーク家具にはプリザーブドフラワーや雑貨も並べられている。一瞬で街の喧騒が遠ざかり、異世界に迷い込んだ気分になった。  誰もが息をのむような美しいディスプレイだと理解はできるのだが、あまりの花の多さに、俺は頭を抱えたい気持ちになった。花を見ていると母親を連想してしまい、なんとも言えない気分になる。 「今から三軒ほど、配達をお願いできないかな」  早速仕事か。余程人手が足りないようだ。  説明を受けると、配達先は全て個人宅で、それほど遠い場所ではなかった。 「遠藤さんは毎日行くことになるから、覚えておいてね」 「毎日?」  受注伝票を見ると、依頼人も届け先も遠藤由美子になっている。配達する花は、リコリス一本。 「一本だけですか?」 「そうだよ」  リコリスは匂いがあまりしない黄色い花だった。葉のついていない茎がスッと伸び、その先端に七つの花が等間隔で放射状についている。 「こういう花、見たことがあるような、ないような」  うちの庭には四季折々の花が咲いているので、庭で見たのかもしれない。ただ、花を直視できないので、あまり覚えていなかった。  ラッピングされたリコリスを持ち上げると、思ったよりも重い。根本に丸い塊の感触があった。 「これ、球根ついていませんか?」 「うん。希望されているからね。仕入れも特注なんだ」  特注ということは、球根つきの花の依頼は珍しいのだろう。 「どうして球根つきなんでしょうね。しかも毎日一本なんて。まとめて購入したほうが早いのに」 「さあ、事情はそれぞれだろうからね。二年前からのお得意さんなんだ。もちろん通年手に入るわけじゃないから、シーズンだけね。種類によって時期が若干ずれるから、それなりに長期間お渡しできるんだけど」 「二年間も毎日一本?」 「定期的にお届けするお客様は少なくないんだよ。たとえば、月命日にお墓に花を供えてほしいって、一年分料金を前払いするお客様もいるからね」  そういう明確な理由があるなら分りやすいのに。毎日一本自宅に配送だなんて、どんな用途か気になるじゃないか。 「待雪クン、明日は出勤できる?」  そう言う薊さんから車のキーを受け取った。 「授業が午前で終わるので、遅くても午後二時くらいにはここに来れます」 「じゃあ、駐車場所に困らないなら、車のまま帰ってもらっていいよ。鍵は店に来た時に返してくれたらいいから。明日は市場が休みで車を使わないし」 「……」  俺が驚いていると、薊さんは「どうかした?」と小首を傾げた。従業員になると口約束をしたばかりの初対面の男に、車の鍵を預けるものだろうか。そりゃあ、すぐに足がつきそうな車を盗んだり悪用したりしようとは思わないけど。   なんだろう。  薊さんと話していると、時々、胸の奥がもやもやする。
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