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第1話 一日一本のリコリス その6
それから薊さんの兄は、薊さんと雑貨の在庫の話をして店を後にした。俺をひと睨みするのを忘れずに。
なんというか、世の中にはいろんな人がいるものだ。
「兄さんとどんな話をしていたの?」
「……面接みたいなものです」
無邪気に聞いてくる薊さんに、本当のことは言えない。
「薊さん、彼岸花の話が途中でした」
「そうそう、彼岸花の名前の由来だったっけ。えっと、どこまで話したかな……」
「いえ、それは充分です。そこじゃなくて」
俺はストップの意を込めて手の平をかざした。話しだしたら、また止まらなくなりそうだ。
「彼岸花には毒があるんですよね。毎日一本ずつ彼岸花が必要な理由は、その毒に関係しているんじゃないかって考えたんです。薊さんは、そう思ったことはないですか?」
「……お客様のプライベートは、詮索しないから」
薊さんは何かを言いかけて、別の言葉に変えたように見えた。
「薊さんも、何か思うことがあるんじゃないですか?」
「……」
薊さんは顔を曇らせて、視線を落とした。
「遠藤さんに、直接聞いてもいいですか? 毒なんて言ったら機嫌を損ねて、この店から購入するのをやめてしまうかもしれませんけど」
ただ花を愛でているだけだとしたら、大変失礼な行為だ。でも、どうしてもそうは思えない。
「昨日、考えていたんです。彼岸花の毒を採取するのが目的なら、球根だけ買えばいいのにって。結局、毎日球根つきの彼岸花が一本ずつ必要な理由は分りませんでした」
薊さんは考える仕草を見せた。そして、意を決したように俺を見た。
「待雪クン、遠藤さんに花を届ける時、僕も一緒に行くよ。遠藤さん以外の配達を済ませたら、一度店に戻ってきて。その間に閉店作業を終わらせておくから」
「はい」
やっぱり薊さんも気になっていたんだ。
一時間ほどかけて配達を終え、店で薊さんをピックアップする。
「実は、ちょっと驚いているんだ。待雪クンはお客様に深入りするタイプに見えなかったから。昨日会ったばかりなのに、先入観でごめんね」
助手席の薊さんが苦笑する。
「いいえ、本来はそっちのはずなので、自分でも意外です。だけど、家に帰ってから隣人と推理ゲームみたいなことをしたら、余計に気になってしまって」
マリアと話した内容を伝えた。要介護の夫の殺人計画ストーリーだ。瞠目した薊さんの瞳にネオンが流れる。
「リコリスと結婚指輪と車椅子で、そこまで考えたんだ。すごいね。確かに遠藤さんは、旦那さんの介護をしているよ。夫婦二人で暮らしてる」
八年程前からアルツハイマーになった夫の介護をしていると、遠藤さんが話していたそうだ。
「毒についてだけど、一般にヒガンバナ科の植物はヒガンバナアルカロイドを含んでいて、有毒成分が二十種ほど確認されているんだ。よく食中毒として問題になるのが、スイセンだね」
スイセンなら俺でも分る。茎が長く伸びて、横向きに白や黄色の花をつけるポピュラーな植物だ。うちの庭にも毎年咲いているはずだ。
「スイセンはヒガンバナ科なんだよ。花がついていないとニラに似ているから、誤食して食中毒になる報告が毎年のようにあるんだ。十分から三十分程度で嘔吐や腹痛などの症状が出る。軽い症状で終わるのが殆どだけど、残念なことに亡くなるケースもあるよ。ごく稀だけどね」
「彼岸花も、それと同じなんですね」
やっぱり、彼岸花で殺人は可能なんだ。
「どうかな。致死量のことを考えると、鱗茎を数百個分は摂取しないといけない。有毒成分を少しずつ与えて弱らせると言っていたけど、少量でも舌に痺れを感じるだろうし、料理に混ぜて分らないようにしても嘔吐してしまうだろう。胃に残った毒物も三日後にはほぼ排泄してしまって、蓄積されないはずだ」
「そうなんですか」
いい線いってると思っていたのに。
「毒は関係ないんですね。まさか本当に、ベランダでガーデニングしているのか」
彼岸花でびっしりと埋まっているベランダを想像した。いや、やっぱりおかしいだろ。
そうこう話しているうちに、遠藤さんの住む高級マンションに着いた。
「遠藤さんのことだから、お時間をくださると思うのだけど。突然押しかけるお詫びの品を買っておいたよ」
薊さんは老舗和菓子店の袋を持っていた。
「すみません、俺、そういう気が回らなくて。金払います」
「それはいいよ。僕も遠藤さんとゆっくり話をしたいと思っていたんだ。本来は事前にお話したいと連絡をするべきだけど、遠藤さんの反応を見たかったからね」
「反応?」
薊さんは黙って笑みを浮かべる。答える気はないようだ。
薊さんには、一日一本の心当たりがあるようだ。それなら俺に教えてくれたら済んだ話なのに。きっと、考えがあるのだろう。
昨日と同じ手順で遠藤さんの住居のドアまでやってきた。どの部屋にも表札がないところが、ますますホテルっぽい。セキュリティの問題かもしれないが、不便ではないのか。
呼び鈴を鳴らすと、遠藤さんが出てきた。
「あら、今日は店長さんとお二人なのね」
「こんばんは遠藤さん。実は彼が、遠藤さんがリコリスをどう扱っているのか、気になって夜も眠れないと言うものですから、説明していただいてもいいですか? これ、甘いものです。よかったら」
徹夜したことになってしまった。
薊さんから袋を受け取った遠藤さんは、同情するように俺を見上げた。
「昨日も気にされていたものね。どうぞ、おあがりになって。見せて差し上げましょう」
俺たちは「お邪魔します」と言いながら段差のない玄関を上がった。良く片付いた家だ。
クローゼットの中には夫婦の写真や高そうな皿が飾ってある。表彰状やトロフィーは、夫の仕事関係のものだろうか。高級マンションに住むくらいなのだから、功績を残している人なのかもしれない。
「こちらにどうぞ」
十畳くらいの部屋に通された。大型のベッドが置いてある。頭や足元がリクライニングする介護用ベッドだ。そこに七十代後半くらいの白髪の男性が寝ていた。輪郭の特徴などからさっき見た写真に写っていた男性で間違いないと思うが、別人のようにやつれていた。ベッドが小さく上下している。
ベッドサイドのテーブルには、白と黄色の彼岸花が花瓶に何本も活けられていた。他には、すり鉢とおろし金、ハサミ、ビニール手袋、ガーゼ、ラップ。プラスティック容器には小麦粉のようなものが入っている。その手前に布が敷かれていて、その上にはピンポン玉よりも小さいくらいの白いものがいくつか並んでいた。
「あっ」
遠藤さんは少し慌てたように小走りでサイドテーブルに寄って、布を折りたたんだ。白い塊が見えなくなる。
「どうぞ、お入りになって」
俺たちはベッドの手前にある別のテーブルに促されて、椅子に腰かけた。
「飲み物をお持ちしますね」
そう言って出ていった遠藤さんは、緑茶と羊羹をお盆に乗せて戻ってきた。羊羹は薊さんの手土産だろう。並んでいる俺と薊さんの向かいに遠藤さんは座った。
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