第1話 一日一本のリコリス その4

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第1話 一日一本のリコリス その4

 俺はマリアに、毎日一本ずつリコリスを購入している遠藤さんの話をした。 「なぜだと思う?」  マリアはウーンと唸って、唇をすぼめた。食べ方なのかリップの性能なのか、唇は艶やかなピンク色のままだ。 「そのおばあちゃん、七十歳前後なんでしょ? 孤独だから話相手が欲しい、っていうのはどう?」 「一階にはコンシェルジュが常駐してるっぽいから、話し相手には困らないんじゃないか? 俺と話したそうでもなかったし」  怖がっていただけかもしれないが。 「縁起でもないけど、安否確認の一環かもしれないよ。高齢者の孤独死って問題になってるでしょ。死後何日も発見されないってリスクを避けるため、とか。……ねえ、そのおばあちゃん、そもそも一人暮らしなの?」 「どうかな。結婚指輪はしてたけど、夫が亡くなってもつけている人はいそうだしな」 ドア越しに見えた室内を思い出してみる。見える範囲では、家の中はスッキリと片づけられていた。靴は女性ものしかなかったような気がする。バリアフリーの奥には、車椅子が見えた。 「そうだ、車椅子があった」 遠藤さんは杖をついていなかったし、足が悪いようにも見えなかった。 「誰かと住んでるかもしれない。相手は足が悪い、もしくは、身体が動きづらい人」 「年齢的に考えれば、その相手は介護が必要な夫、ってところ?」 「だな」 「旦那さんに、毎日新鮮な花を見せたいのかな」 それなら週に一度の購入でいいだろう。切り花は一週間くらいもつ。 「球根つきってのも、引っかかるんだよな」 「分らないね。よし、グーグル先生に聞いてみよう」  マリアはスマートフォンを操作した。 「リコリスと球根を入力して検索、と。育て方とか苗の植えつけ方法が出てくるな。マンションのベランダでガーデニングでもしてるのかな?」 「それも、毎日一本の理由にはならないだろ」  植えたいなら、球根だけ買えばいい。 「あっ!」  マリアが素っ頓狂な声をあげた。 「どうした」 「リコリスって、彼岸花のことだ。ほら」  向けられた画面を見ると、真っ赤な彼岸花が映っていた。彼岸花は曼珠沙華とも呼ばれる。 「そうか、だから見たことがある気がしたのか」  彼岸花なら俺でも知っている。店で見たリコリスと形は同じなのに、黄色だったせいで気付かなかったんだ。彼岸花は赤だけじゃなく、白やピンク色などもあるようだ。 「でね、彼岸花って毒があることで有名でしょ」  有名なのか。俺は知らなかったが。 「彼岸花は全体に毒があるけど、球根の部分、リンケイっていうみたいだけど、ここに特に毒があるんだって」  マリアが俺にスマートフォンの画面を向ける。リンケイは鱗茎と書くようだ。 「これって、毎日一本の理由にならないかな?」 「たとえば?」  マリアは身を乗り出した。真剣な表情で声をひそめる。 「サスペンスドラマとかであるでしょ、致死量に満たない毒を、毎日少しずつご飯に混ぜて、弱らせていくの。このおばあちゃん、きっと介護がつらくて限界だったのね。夫に彼岸花の毒を毎日食べさせて、そして――」  自然死に見せかけられたら、完全犯罪、というわけか。 「なんて、ね!」  マリアは笑顔に戻った。そしてスマートフォンの画面に目を向ける。 「有毒成分はリコリンとかガランタミンってものらしいけど、人が死に至るには、相当な量が必要みたいだよ。小動物はちょっとでコロリみたいだけどね。だから動物や虫避けのために、水田の畦や墓地に彼岸花を植えたんだって。彼岸花って確かに、そういうところに咲いてるイメージがあるよね」  あははとマリアは笑うが、さっきのは、かなり説得力がある話だった。 「どうして黙ってるの? やだ、真に受けないでよ。マッツー表情が変わらないから、何考えてるのか分からない」 「可能性としてはありだ、と考えてた。高齢なら免疫力が小動物並みかもしれない」 「やだやだ、殺人計画を立てている人が近くにいることになっちゃうじゃない。怖いこと考えないでよ」  マリアは腕を抱えて眉をしかめた。自分で言ったくせに。 「名探偵のマリアに、もう一つ聞きたいことがある」 「なに? 話してみたまえ、ワトソン君」 “名探偵”という言葉に気を良くしたのか、髭を整える仕草をしてマリアは応えた。ホームズってそんなキャラだったか? 「薊さんと話してると、もやもやするんだけど」 「どういうこと?」  薊さんとのやりとりをマリアに説明した。話し終えるとマリアは苦笑する。 「それはきっと、マッツーと店長さんが、正反対の性格だからじゃないかな」 「正反対?」  マリアは座卓に肘を乗せ、顏の前で指を組んだ。長い爪が蛍光灯を反射してキラキラ光っている。 「たとえば、初対面の人に『はじめまして』と言われながら抱きつかれたとするでしょ。マッツーならどうする?」 「その前に抱きつかせない」 「たとえ話だから」 「突き飛ばす。張り倒す。止めに蹴りを入れる」 「やりすぎ」  真顔で注意された。いや、俺も冗談だったんだけど。 「驚いて突き飛ばすくらいはするだろうな」 「じゃあ、店長さんだったら、どうすると思う?」  バイトを首になったばかりの無表情の大男を、あっさり雇ってくれた薊さんなら。 「受け止めるかも。しかも笑顔で。いやバカな……、あ、この感覚だ」  俺は胸を押さえた。 「ほら、それ。拒絶反応でしょ。いいことだよ、マッツーは社会人になる前にもっといろんな人と接して、コミュニケーション力を高めるべき。就職できないよ」  痛いところを突くな。  マリアは身を乗り出して、俺の顔を覗き込んだ。 「マッツー、少しはスッキリした?」 「ああ、冴えてるな。助かった」  フフッとマリアは得意そうに笑う。 「さて、食べ終わったし、帰ろうかな。鍋は持って帰って洗うけど、茶碗は自分で洗うんだよ」 「それくらいやるよ」  マリアは帰る準備をする。膝上丈の短いスカートなのに、どんなポーズをしても下着が見えないのは大したものだ、といつも感心させられる。 「次はどんなお面を作ろうかな」 「無駄な労力はやめておけ」 「そういうわけにはいかないよ。マリアちゃんの愛のパワーで、マッツーに笑顔を取り戻してあげる!」  鼻息を荒くするマリアにため息で応えた。 「隣とはいえ、気をつけて帰れよ」 「じゃあ送って」 「面倒くさい」  なによそれ! と文句を言いながら、マリアは玄関のドアノブに手をかけた。 「マリア」 「なによっ」 「マジで飯美味かった。サンキューな。おやすみ」  マリアは一瞬動きを止めると、頬を染めて、大きくドアを開けた。 「ママに伝えておく! おやすみ!」  バタンと大きな音を立ててドアが閉められた。古い家がミシリと揺れる。台風みたいな奴だ。 「彼岸花の毒、か」  毒を採取するなら、球根だけ大量に購入すればいいのではないか。むしろ毒を集めるなら、彼岸花ではなく、もっと合理的な方法があるのではないか――。  しばらく考えてみたが、納得のいく答えは見つからなかった。 「……埒が明かねえな。風呂入って寝よ」  布団の中で目を閉じ、一日を振り返る。  リコリスについて尋ねた時、俺が「何かに興味を持つなんて珍しい」とマリアは言った。生きるだけで精一杯だから、と言えばそれまでだが、俺は友達もいなければ趣味もなく、家と学校とバイトを回っているだけの毎日だった。  なぜリコリスが気になったのだろう。あの時は初めての感情がいくつか胸の中に渦巻いていて、気持ちが高ぶっていたせいかもしれない。 「よろしくね」  薊さんの柔らかい声と笑顔を思い出す。  ただ立っているだけで怖がられる俺を雇ってくれた薊さん。しかもその店は、俺が避けていた花だらけの場所だ。  俺の中で何かが変わる。  そんな予感がしていた。
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