聖女の初夜 壱

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聖女の初夜 壱

 これは其の年の暮れ近く、クリスマスの夜に執り行われた推理劇である。  探偵の指差す先には犯人が佇んでいた。其の全ての犯罪を曝かれ、凶行の全貌が明らかになったにも関わらず、犯人は探偵の推理を極めて穏やかに拝聴し、聞き終えれば恍惚と笑ってみせた。  教会の床を冷え冷えとした空気が這い回る。犯人は探偵達……俺と兎、そしてお千代の三人を前にして、聖者の吊された十字架を背に、彼女の遺体が横たわっていた場所を踏み締め、微笑んでいる。昼間、賛美歌が歌われた教会も、今はしんっと静まり返り、お千代の推理の余韻だけが耳に残っていた。  犯人は……其れから告白を始めた。其れは己が殺人の告白であったのだが、俺にはどうしても、其れが愛の告白に聞こえてならなかった。  星降る聖夜の出来事である……。  事の始まりは一週間前に(さかのぼ)る。  十二月十八日、火曜日の昼下がり、「蓼喰探偵事務所」は、いつも通り平和な時を刻んでいた。  俺の作った昼食を摂り終え、皆が皆、思い思いに昼休みを過ごしている。兎は応接用のソファに座ってファッション雑誌を読み耽り、お千代は所長机で銀の長煙管を吹かしている。俺はといえば、お千代の吐き出す紫煙が天井近くへ立ち上り、シーリングファンに吸い込まれ掻き消える儚い様子を眺めていた。  仕事場の大きな窓から差し込む冬の日光は薄く、庭に植えられた木々の枯れ枝の合間を縫ってか細く届く。床暖房の生み出す空気は部屋に薄膜を張り、暖かな其の膜に全身を包み込まれる様だ。満腹感も合わさり、程良い眠気に苛まれる。  要するに、退屈なのだ。  此の時期、探偵業には閑古鳥が啼く。  探偵の仕事と言えば大半は浮気調査だが、クリスマス前は其の仕事が激減する。春の節目、夏の盛り等は人の心も浮つき、過ちも増える。が、其の反対、恋人達の一大行事であるクリスマスを前に浮気を試みる豪胆者は存外少なく、従って俺達探偵は御役御免、依頼もパタリと止んでしまう。  だからか、此の時期を狙い澄ましたかの様に、毎年十二月の頭には探偵業の一大試験が執り行われる。「探偵免許取得試験」……其の名の通り、探偵免許を取る為の試験が。  其の昔、俺も此の試験を受けたけれど、これが容易でない。何せ、「国家公務員一種より難しい」とも言われている試験だ。其の噂に違わず、俺なんかは頭がおかしくなるくらいに勉強して、やっとギリギリで合格したものだ。今思い出すだけでも寒気がする。お千代が勉強を見てくれたお陰もあるが、今こうして探偵を名乗れている事は奇蹟に近い。  其の試験に、今年は兎が挑んだ。  そして、兎は難なく合格を勝ち取ってきた。合格通知の入った郵便には、試験の点数も同封されていたのだが、其処には「満点」と、そう記されてあった。  これで晴れて兎も正式な探偵、「蓼喰探偵事務所」の所員だ。兎は嬉しそうに、 「ようやく、苦しい試験勉強から解放されました」  と宣っていた。が、俺は怪訝に首を傾げ、 「いやいや、兎、受験勉強は?」  と訊いた。そう、兎には未だ試験が残っている。大学入試……来月には共通一次試験もある筈。其の為の勉強は大丈夫なのか、と、父性的意見から質問したのだ。  が、兎は赤い瞳を細め、 「平気ですよ。毎晩、ベッドへ入る前にやってますから」  と、面倒そうに応えるばかり。 「そんな調子で本当に大丈夫なのか?」  つい、そんな言葉が口を突きそうになる寸前、お千代から一枚の紙を差し出される。其れは模試の結果だった。俺は其れを見た瞬間、思わず叫びたくなった。  此の世の理不尽!天才に凡人の口出しは野暮だろう。  そんな、色々な理由が絡み合い、俺達は細々とした事務仕事を片付けながら、師走と言われる世間を横目、退屈な日々を受け流していた。本日も目星い仕事は皆無、唯々漫然と時間を潰す……。  そんな一日になる筈だった。  ()の報せが鳴る迄は。  ……リィン……リィーン、リィーン、リィーン……。  生温い静寂を破る呼び鈴は所長机から、其処に置かれた、今時珍しいダイヤル式の、木と金メッキで出来た固定電話が鳴る。自然、俺と兎の視線は其方へ向く。  俺達が見守る中、お千代は悠然と紫煙を吐き出し、其れから受話器を取り上げた。 「はい、『蓼喰探偵事務所』」  長い銀髪を撫で付けつつ、銀の長煙管を弄びながら、お千代は椅子の背に小柄な身を預けた。其の口振りは明らかに不真面目だ。 「えぇ、はい……私が千代だが……私に用かな?個人的な用件ならお断りだ。探偵が御入り用なら、話は別だが……え、え?」  しかし、不真面目はものの数秒も保たず、お千代は金瞳を丸くしたかと思うと、煙管も持った儘、矢庭に立ち上がった。 「本当ですか?本当に村町(むらまち)先生……いえそんな、滅相もない。お声を忘れるなんて……はい、はい、勿論覚えております……いいえ、先程は言葉の綾というか、何せいきなりでしたから驚いて……はい、はい」  お千代は背筋をピンッと伸ばし、不気味なくらい丁寧に応対している。 「えぇ、私は元気です。仕事も順調で……はい。先生もお元気そうで……えぇ、そうです。はい……はい。御無沙汰しております」  滅多に見ない光景。お千代がこんなにも謙る姿など、中々お目に掛かれない。況してや、電話に向かって何度も頭を下げている姿など。 「はい。えぇもう、手は空いております……何か、私に依頼でしょうか……は?今、何と……?」  不意に、其の艶やかな声に不穏な色が混じる。お千代は丸くしていた金瞳を細め、鋭く研ぎ澄ました。 「其れは本当ですか?……えぇ、はい、判りました。警察は……はい……あぁ、そう言えばそうでした。成程……概ね承知しました。詳しい事情は其方に着いてから……はい。今から其方へ向かいます。大体、一時間もあれば到着するでしょう……では又後ほど。失礼します」  チンッ。  受話器を置くと、お千代は倒れ込む様に椅子に座った。フーッと、深い溜息も吐いている。何やら難しい顔で、手に持った煙管の灰を、カンッと、落とし、煙草盆諸共片付け始める。 「依頼ですか?」  いつの間にやら雑誌を放った兎が興味津々に訊けば、お千代は一瞬顔を曇らせ、 「どうもそうみたいだ。事態は急を要する……のだが……しかしどうしようか。人手は欲しいけれど、君達を同伴させるのは……其の……少し……」  歯切れが悪い。お千代は何か悩んでいるらしかった。一体何を悩んでいるのか、判らないが、しかしどうにも唯事でない雰囲気、何より暇な折に舞い込んだ仕事だ、不謹慎ながら惹かれてしまうのが人情だろう。  俺も俄に席を立つ。 「急ぐんだろ?なら早く行こうぜ。移動は車だろ?」 「あ、あぁ、そうだけど……」 「だったら俺が運転するよ。兎も附いて来るか?」 「はい、支度してきます」  兎は机の上に置いてあったキャスケット帽を素早く被り、そそくさと立ち上がって、二階の自室へと駈けて行った。外出嫌いの兎には珍しく乗り気である。探偵免許を取ったばかりのトコロへ舞い込んだ依頼に、居ても立ってもいられなくなったらしい。早く探偵らしい仕事をしたくてしたくて堪らないのだ……(ただ)し、依然、人目が苦手な事は、常に帽子を傍に置いておく習慣や、咄嗟に帽子を取った滑らかな手付きが、雄弁に物語っていた。  其れでも兎がやる気になった事は喜ばしい。お千代もこれに水を差すのは気が引けると見える。 「お千代も、ほら」 「……うむ」  未だハッキリしないお千代であったが、終に観念して渋々車のキーを投げ寄越した。
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