聖女の初夜 壱

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 俺達三人を乗せた赤色テントウムシは、首都高に入り、ナビが語る通りの走行路を辿って、二十三区を離れ、一路、東京を西へ向かっていた。  此の車が型落ちのアンティークカーと言っても、エンジンやら何やらは全て最新式に取り替えられている為、馬力や足回りは最新車に見劣りしない。  グングンとスピードを伸ばす車上にて、俺はハンドルを握った儘、今聞いた事実を聞き返した。 「母校?お千代の?」 「そうだ……其処で何か、凶悪な事件があったらしい」  助手席に座るお千代は複雑な顔で嘆息した。後部座席の兎は黙っていたが、関心は充分にあるらしく、じっと、俺達の会話に聞き耳を立てている。 「母校ねぇ。お千代にも学生時代があるんだな」 「まぁね。私が引き取られた時、無理矢理通わされたんだよ……私は嫌だったんだが」 「ハハハ」  俺は愛想笑いを返しながら、チラと、バックミラーを覗いた……後部座席に座った兎が、長い白髪をスッカリ帽子に仕舞い込んだ頭で、何度も頷いている。  車は渋滞に巻き込まれる事も無く快走、目的地を目指した。頭の中に響くナビの案内で高速道路を降りる。と、料金所を抜けた先は、同じ東京都とは思えない程、山と森に恵まれた風景が広がり、何処か、遠くの田舎へ来た様に錯覚する。  大きな公園や疎らな民家、図書館、美術館の脇を通り抜け、テントウムシは並木道を走る。恐らくは桜並木であろう。今は枝葉も落ち、寒々しい枝が露わになって、其の向こうから冬の青空が垣間見える。  此の並木道を抜けた先に、其の学校はあった。 「間もなく目的地、『聖柳風女学院』前です」  カーナビが告げる。走行時間は大体一時間。俺は辺りを見回した。正門前に設けられた来客用の駐車場を見付けると、徐行で以て其処へ入り、車を停めた。  ……バッタン……。  お千代と兎は早々車を降りる。俺もキーを手に二人の後を追う。車外は十二月の寒さが身に沁みて、思わずコートの襟を立てた。  寒さに打ち震えているのは俺一人のみ、お千代と兎の二人は平然と、眼前の門扉を仰いでいた。「聖柳風女学院」と刻印された、重々しい鉄板。其の鉄板の嵌め込まれた漆喰の塀と、頑丈そうな鉄の門。女学院という看板にしては、些か厳めし過ぎる様な正門は、冬空の下、部外者を拒否する様にそびえている。  お千代は黒いトレンチコートのポケットに手を入れて、吐息も白く、正門を仰いだ。  お千代の服は此のコートと、白い細身のスラックスと、黒のフリルブラウス、其れからダークグレーのカシミアカーディガン。良く似合っている。靴はオペラパンプス。長い銀髪を、珍しくシュシュで一つに纏め、ポニーテールにしている。久し振りの母校だからか、いつもよりフォーマルな恰好だ。  対して、兎はモスグリーンのモッズコートのポケットに手を入れていた。キャスケット帽はいつも通りとして、今日はアンバーの膝上丈プリーツスカートに色を合わせアンバーのジレを着、タブカラーのワイシャツを第一ボタン迄しっかり閉め、茶色いジョッパーブーツを履いている。  で、俺は……いや、俺の服装はどうでも良いか。  兎も角、俺達は女学院前に立っていた。此の学院がミッション系の女子校であると事は、此処に来る道中、お千代から説明を受けた。だからか、俺みたいな男には、どうも二の足を踏むというか、侵し難い神聖さを敷地内から感じ、此の鋼鉄の門が決して自分を歓迎していない様に思われた。正門の両脇に設置された二台の監視カメラが無意味に怖ろしい。  冷たい風が頬を掠める。此処で待っていても寒いばかり、そろそろお千代に声を掛けようか。そう考え始めた時、正門が、キィと、擦れた音を立てた。 「お千代さん?」  開いた門の隙間に初老の女性が立っている。女性は白髪交じりの髪をパーマにし、年季の入ったツイードスーツを身体に馴染ませた恰好で、丸眼鏡の奥にある目を見開いていた。 「貴女……お千代さん、よね?」 「はい。村町先生、お久し振りです」  お千代はニッコリ微笑んだ儘、初老の女性に歩み寄る。と、村町先生と呼ばれた女性は「あらあら」と嬉しそうに、お千代の手を握った。 「本当にお千代さんだわ。こんな立派になって……本当に、何年振りかしら。貴女ったら同窓会にも顔を出さないんだから」 「済みません。探偵業が忙しく、時間を作れなかったんです。私も久し振りに村町先生のお顔を拝見して、安心しました。お元気そうで何よりです」 「えぇ、えぇ、私は元気ですよ。貴女も元気そうで……そうそう、今日は同窓会で来て貰った訳じゃなかったわね。お千代さんに頼みたいお仕事があって……あら?其方の方々は?」  此処でようやく俺達の存在に気付いたらしく、村町先生が此方を向く。俺は「どうも初めまして」と会釈を返した。兎は帽子のツバで顔を隠しつつ、無言で頭を下げていた。 「彼らは私の同僚です」  お千代は俺と兎を紹介した後、村町先生に手を向け、 「そして此方は、此の学院で教鞭を執っておられる村町先生。私の元担任で、恩師でもある」 「村町(ふみ)()です」  村町先生は、小皺の一つ一つを優しく刻んだ笑みを浮かべ、深々腰を折った。 「皆さんにはお千代さんが御世話になっているとの事で、どうぞ御礼を言わせて下さい」 「いえ、そんな。御世話になっているのは、寧ろ俺達の方でして……」  慌てて頭を下げ返し、俺も先生の許へ近付く。兎は依然顔を隠した儘、俺の背にぴったりくっ付いていた。 「其れにしても、貴方もお千代さんの同僚でいらっしゃる?」  村町先生は俺の顔を覗き込み、丸眼鏡の奥にある目を光らせた。 「え?……えぇ、はい、そうですけど。あの、俺に何か?」  急な質問に俺が困惑する。と、先生は口に手を当てて上品に笑った。 「ご免なさいね。唯、皆さんがお千代さんの同僚と聞いて、少し驚いてしまったから」 「はぁ……」 「私の早合点なの。最初に貴方達を見た時、お千代さんも到頭家庭を持ったのかと、そう思ってしまったものだから」  穏和な顔でとんでもない事を言う。俺は唖然とし、お千代も同じく返事に窮した。  が、一人、苛立たし気に声を上げる者がいた。 「違います」  声の主は顔を隠すのも忘れ、俺の背中から、ズイと身を乗り出した。 「違います。お姉様と先輩は、決して、決して、夫婦ではありません。第一、私がお姉様の娘なんて、年齢的にあり得ません」 「こ、こら、兎」  突如饒舌になった兎を、我に返ったお千代が窘める。 「兎、私は『お姉様』じゃなく『所長』だ。散々言ったろう。其れに、先生に向かって失礼じゃないか。済みません先生。ウチの新人がとんだ失礼を……」 「いいえ、良いんですよ。勘違いした私が悪いのですから。其れに、在学中の貴女に掛けられた迷惑に比べたら、こんなのは何でもありません」  流石教師、お千代より村町先生の方が一枚上手の様だ。こんな会話だけでも力関係は見て取れる。何しろ、此の程度言い返されただけで、あのお千代が、決まり悪そうに閉口しているのだから。  そうして先生は兎に向き直った。其れでようやく、兎は自分が顔を隠していない事に気が付き、急いで帽子のツバを掴んだ。が、先生は優し気な微笑を湛え、帽子越しに兎の頭を撫でた。 「貴女も苦労しているのね……兎さん、と、そう仰言ったかしら?兎さん。そんなに若くて、探偵をやっておられるなんて、きっと優秀なのね。良かったわ。貴女みたいな優秀な人が、お千代さんの傍にいてくれるのなら、私も安心出来ます。有り難う」  村町先生はそう言って、兎の頭を撫で続けた。老齢の目は澄み、心からの感謝を示しつつ、兎の白髪や赤瞳について決して触れようとしない。  ()しもの、反抗期の兎とて、こう迄されては城門を開ける他なく、 「あの……此方こそ、済みません。先程は失礼な事を……」  と、俯き勝ちに謝った。  俺は眼前のやり取りに再び唖然となった。あの兎が、こうアッサリ謝罪するなんて……これがお千代の元担任か。或いは教師という職のなせる業だろうか。  村町先生は一頻り兎の頭を撫で終えると、今度は俺を見やり、 「貴方も大変ですね。けど其れも、其のお顔じゃ仕方ないかしら?」  と、訳の判らぬ事を言った。  ……コホン。  と、お千代が聞こえよがしに咳払いをして、 「済みません、先生。そろそろ中に……」 「あらいけない。私ったら、こんな所で話し込んで、ご免なさいね」  村町先生は学院の正門を開け、俺達を手招いた。 「折角こうして、探偵さんが三人も来て下さったんですもの。いつ迄も立ち話をしていては駄目ね。どうぞ、皆さん。詳しい事は中で」  俺達は先生に導かれ、聖域を守る重々しい門を潜った……。
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