はさみ

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 さて、と聖は頃合いを見計らって穂高に声を掛けた。 「左利き用のハサミってのがあんのか?」 「あ、高野さん。はい、あるんです。なんか、刃の噛み合わせが違うてて」  へえ、と聖が顎を引くと、「普通のハサミがこういう方向なら、左利きのは…」と穂高は真面目に解説する。  この生真面目さは美徳だが、情報の出所を予測するとただ感心するのも癪に障った。 「ずいぶん詳しいな」  あっさりと、ただ興味があることを示す口調で聖が合いの手を入れると、彼は少しはにかんだ。 「前に… 高校の頃、左利き用のハサミみかけて、買うたんです」  だろうと思った。  とは、さすがに言わない。聖は何の気なしに荷物をまとめるふりをしつつ、そうか、とだけ応える。 「圭一郎がすっごく喜んで、教えてくれました。普通のハサミ使うのも大変なんだって」  この、彼の日常会話に『柳澤圭一郎』が登場する確率たるや、おそらく7割近いのではないだろうか。自然にだいたいの話題が柳澤に収束する。入団してからまだ一年とはいえ、多い。多過ぎる。  無意識なのだろうが、否、自覚していたらその方が問題だが、とにかくこの法則は学会で発表すべきではないか? と、聖は僅かに眉根を寄せた。もちろん、後輩は気付かない。  どのようにして思い出話を切り上げるか、という聖の思惑を他所に、穂高はすこし俯いた。 「羨ましかったんです。左利き」  ぽつんと。  静寂の手触りが解るほど、細やかに零れた呟きだった。 「あと、背番号1とか」   ああ  その… 切実な、あまりに切実な。  この素材と実力の投手が、高校の部活でエースナンバを獲れないということが起こり得るとすれば、それは、残酷な。 「高三の春に、紅白戦やったんです。圭一郎のと俺のと、2チームに分かれて。結果は、お互い被安打1で。でも、1-0で圭一郎のチームが勝ちました」  春の背番号も11で、相方が1だと決まってはいたけれど。それ以上に。 「はっきり、抜かれた、って思うたんです」  入学当初から、常に一歩先んじてきた自信があった。なのに、あの時。「きっと、圭一郎も『抜いた』と思ったんやないかと」と、さらさらと語る声は、聖の胸にちりちりと刺さった。酷く細くて小さい、針のような雪に似て。 「卒業まで… 逃げて、逃げ切るつもりだったのに」  そう言って、穂高は微笑んだ。  確か二年の冬から春にかけて、穂高は故障で調整が遅れたはずだ。タカシは大脳からその情報を引き出したが、そんな事情もあまり意味がなかっただろう。  背番号1を背負った者と背負えなかった者。  その違いも、その理由も、全部わかっていたし、ぜんぶ解っていなかった。  それでも、どうしようもなく支え合って、世界の中心に立っていたのだ。  揺れもせで。  それがエースの矜持。  それこそ、エースの本懐。
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