41人が本棚に入れています
本棚に追加
さて、と聖は頃合いを見計らって穂高に声を掛けた。
「左利き用のハサミってのがあんのか?」
「あ、高野さん。はい、あるんです。なんか、刃の噛み合わせが違うてて」
へえ、と聖が顎を引くと、「普通のハサミがこういう方向なら、左利きのは…」と穂高は真面目に解説する。
この生真面目さは美徳だが、情報の出所を予測するとただ感心するのも癪に障った。
「ずいぶん詳しいな」
あっさりと、ただ興味があることを示す口調で聖が合いの手を入れると、彼は少しはにかんだ。
「前に… 高校の頃、左利き用のハサミみかけて、買うたんです」
だろうと思った。
とは、さすがに言わない。聖は何の気なしに荷物をまとめるふりをしつつ、そうか、とだけ応える。
「圭一郎がすっごく喜んで、教えてくれました。普通のハサミ使うのも大変なんだって」
この、彼の日常会話に『柳澤圭一郎』が登場する確率たるや、おそらく7割近いのではないだろうか。自然にだいたいの話題が柳澤に収束する。入団してからまだ一年とはいえ、多い。多過ぎる。
無意識なのだろうが、否、自覚していたらその方が問題だが、とにかくこの法則は学会で発表すべきではないか? と、聖は僅かに眉根を寄せた。もちろん、後輩は気付かない。
どのようにして思い出話を切り上げるか、という聖の思惑を他所に、穂高はすこし俯いた。
「羨ましかったんです。左利き」
ぽつんと。
静寂の手触りが解るほど、細やかに零れた呟きだった。
「あと、背番号1とか」
ああ
その… 切実な、あまりに切実な。
この素材と実力の投手が、高校の部活でエースナンバを獲れないということが起こり得るとすれば、それは、残酷な。
「高三の春に、紅白戦やったんです。圭一郎のと俺のと、2チームに分かれて。結果は、お互い被安打1で。でも、1-0で圭一郎のチームが勝ちました」
春の背番号も11で、相方が1だと決まってはいたけれど。それ以上に。
「はっきり、抜かれた、って思うたんです」
入学当初から、常に一歩先んじてきた自信があった。なのに、あの時。「きっと、圭一郎も『抜いた』と思ったんやないかと」と、さらさらと語る声は、聖の胸にちりちりと刺さった。酷く細くて小さい、針のような雪に似て。
「卒業まで… 逃げて、逃げ切るつもりだったのに」
そう言って、穂高は微笑んだ。
確か二年の冬から春にかけて、穂高は故障で調整が遅れたはずだ。タカシは大脳からその情報を引き出したが、そんな事情もあまり意味がなかっただろう。
背番号1を背負った者と背負えなかった者。
その違いも、その理由も、全部わかっていたし、ぜんぶ解っていなかった。
それでも、どうしようもなく支え合って、世界の中心に立っていたのだ。
揺れもせで。
それがエースの矜持。
それこそ、エースの本懐。
最初のコメントを投稿しよう!