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その、野球部の小林少年と知り合う機会はすぐにあった。
知り合うというか、挨拶したというか、認識されたというか… 圭一郎と特別教室から戻る途中に偶然出くわした際、「そうだ、」と、もののついでとばかりに紹介されたのだ。
「こっちがサッカー部の小林、小林拓真」
「あー、こないだゆうてた?」
「そうそう。拓真って呼べばいいから」
いや、それなんでお前が許可すんだよ、と口では突っ込みながら、拓真はしげしげと穂高を眺めた。
確かに手足は長いがまだまだ身体は薄く、音に聞く評判にはあまりそぐわない、どちらかというと大人しそうな少年だ。圭一郎とにこやかに話す様子からは、マウンドに立つ姿はあまり想像できない。拓真の持つピッチャーのイメージからは、だいぶ遠かった。
と、不意に右手が差し出された。
「よろしく」
穂高少年はふんわりと笑って、拓真も慌てて手を出す。こちらこそ、と答えながら、部活以外でひとと握手するのは初めてだな、と拓真はそんな事を考えていた。
その、右の掌は熱くて、ざらついていた。
覚えずしげしげとその手を眺めていると「どした?」と圭一郎に訊かれる。
「いや… ピッチャーって指長い方が得なわけ?」
「あ?」
「え?」
「いや、穂高くん、指長いなって。ボール握るの楽そうだし、器用そうだ」
思わずそんな事を口にした拓真だったが、想定外の反応があった。
ぷくくく、と、籠もった笑い声が聞こえて、拓真が隣を向くと圭一郎が笑いをかみ殺していた。実に可笑しそうに。え、なに? と思って今度は穂高の方を見ると、こちらはものすごく眉尻を下げている。
二人の様子に「なんで?」と戸惑う拓真に、圭一郎が顔の前で左手を振りながら答えた。
「コイツね、ほんっと不器用なの」
「は?」
「ちょ、ちょっと、けいいちろ…」
遠慮がちに止めようとする右腕に構わず、左腕が活き活きと語るところに依れば、穂高は稀にみる不器用なのだそうだ。箸の持ち方から洗濯物の干し方まで、周囲に厳しく(?)指導を受けているらしい。
「未だにネクタイ結べねえし。ほとんど毎朝、俺が締めてるもんな」
「だっ、それは… しゃあないやんか、うちの中学、ネクタイなかったし」
「それでももう何週目よ。さっさと覚えろよ」
「イヤだいぶ覚えたって! でも、なんか左右逆な気ぃすんだけど」
「そりゃおまえ、俺、左利きだぜ? 頭使えって。ほんと、野球以外のことはぜんぜん出来ないのな」
と。
こちらのことはそっちのけで続く会話を聞きながら、拓真はひとつ頷いた。
なるほど、仲が良い、どころではないことはよく解った。
ギスギスしているよりはよっぽどいいか、と首の後ろに手をやったところで、拓真は小耳に挟んだ話を思い出す。
この春の大会、この二人は背番号をもらったそうだ。つまりレギュラだ。この超名門校で、一年生の春から背番号をつける… それがどういうことのなかは、おぼろげながらではあるが拓真にも分かる。チーム内で二人が置かれている状況も。
「あ、てか穂高、今日、古典ある?」
「古典? っと、もう終わった、一限」
「おっ、らっきー! ちょっと教科書貸して。うち、五限にあんだ」
「…ちゃんと持って来いよ」
「たまたまだって」
そうやって穂高から教科書を借り受けた圭一郎がじゃあなと手を振って、拓真もちょっとだけ頭を下げて身を翻す。
二人のゴールデンルーキーズを見詰める複数の眼差しを背中に感じながら、拓真は窓から入ってくる春の風を吸い込んだ。
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