拓真

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 穂高の記録更新と同時に、硬式野球部は甲子園への切符も手にする。  それからの二ヶ月間を、彼らはジェットコースターの勢いと速度で駆け抜けた。冬にピークを迎えるサッカー部員はそれを横目で見るだけだ。羨望と期待と、ほんのちょっとの嫉妬をもって。  ただもちろん、全てが上手くいくわけではない。  結局、野球部は夏の甲子園の初戦で惜敗した。  圭一郎も穂高もリリーフしたが、どうしようもなく一点が届かなかった。外野から見れば、甲子園出場というだけでも十分な戦歴だったが、彼らの目標はそこにはない。  野球部には泥のように凝った空気が蔓延した。  そもそも夏休み中なので顔を合わせる機会も少なかったが、拓真であっても圭一郎たちに声も掛けられなかった。たまに校内ですれ違っても軽い挨拶をするくらいで、尖った横顔を見送るほかない。もともと野球部の練習量は群を抜いていたが、それは更に厳しいものになっていく。  夜遅くまで煌々とライトがグラウンドを照らし、打球音が響いた。  夏休みが明けると、硬式野球はすぐに秋季大会が始まった。  拓真は、エースナンバは左腕が獲ったと又聞きで知る。しかし豊饒の秋色も濃い10月半ば、秋季関東大会の準々決勝、センバツを賭けた一戦で先発したのは右腕だった。  応援要員は各運動部持ちつ持たれつ、その試合も拓真はスタンドの応援席にいた。21奪三振から一気に全国区になった穂高だが、同じく注目を集める好投手との対戦で、延長13回の力投の末、力尽きた。  またも一点、届かなかった。  サヨナラ打を浴びて膝を折った穂高を、圭一郎が何度も背中を叩き声を掛けているのは見えた。それでもベンチに戻れない穂高の背中も。  その結果、圭一郎の顔は一際厳しくなり、とうとう教室でほとんど部活の話をしなくなる。当然、穂高の名前も登場しない。  一方で、拓真はちょくちょく穂高のクラスを尋ねては、彼から教科書を借りた。そして他愛のない落書きを足して、返す。その繰り返しをひっそりと続ける。何度か持ち主から抗議も受けたが、改めなかった。  その行為の意図を、自分自身でもはかりかねたまま。
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