プロローグー秋やなぁー

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プロローグー秋やなぁー

 天高く、馬は肥え、間知川の河川敷にゆるりと白煙が上がる。  九月を迎えてもなお夏の気配は居座り、晴れた日の日差しは強烈だ。それでも、吹き抜ける風に爽やかな涼味を感じるようにもなった。秋の訪れを感じようと、土曜の午後の間知川を散歩する住民の姿も少なくない。  そんな中でひときわ目立つのが、ドラム缶を囲んだおじいちゃんおばあちゃんの集団だ。もうもうと立つ白煙はその中で燃やされている新聞紙から発生している。それを長いトングでうっそりと掻きまわすのは、上の空の顔をしたおじいちゃんだ。 「はぁ……ほんまにどうしたもんかいなぁ」  寂しくなったゴマ塩頭にもじゃもじゃの眉毛、あざらしに例えられることもあるつぶらな瞳。この間知川のほど近くにある八奈結び商店街で組合の理事長をやっている、久保田壱之助だ。怒らせると怖いとして商店街の子どもたちの間で有名な理事長も、今は歳相応のしょぼくれたおじいちゃんの顔をしている。 「どないもこないもあるかいな、できんかったら中止やろ」  それを下からバッサリ切る声。雑誌を読んでいた視線を壱之助に向けてそう言ったのは、商店街唯一の美容室を営むアキさんだ。六〇半ばになろうというのにその体躯はスマートで、ポーズをキメればモデルもかくやというスタイルを誇る商店街のオシャレ番長……だが、今はガラの悪いヤンキー座りをしていて、すべてが台無しである。 「もう、アキちゃん。そんな簡単に決められるもんと違うやろ」 「せやかてタマさん、もう悩み始めて一週間やで? 代替案考えるんにもそろそろ何かしらせなあかんやろ」  アキさんを隣で窘めるのは、彼女の美容室で裁縫教室をしているタマばあだ。壱之助と並んで商店街の最古老の座を占めるその発言力は絶大で、毒舌家で知られるアキさんも頭が上がらない。だが、このときばかりは彼女にも一理あった。 「こない参加者が集まらへんなんてなぁ」と、ため息を吐いたのはクリーニング屋の下川さん。 「誰やねん、野球やったら安泰やーとか言うたん」と、舌打ちしたのは呉服屋の上山さん。  ドラム缶を挟んでバチっと視線が合うと、ふたりはほぼ同じタイミングで般若面になる。 「ハッ、自分が決まったとき能天気に『今年は楽勝やな!』とか揉み手しとったのは憶えとるでぇ、上山の」 「儂がそないカッコ悪いことするかいな! 会議で大した発言もせんとモゴモゴしとるだけの下川と一緒にすんな!」 「なんやてぇ?!」 「なんやとぉ?!」  漫画のように火花を散らしながら低レベルな言い争いをする下川・上山コンビはいつものことなので、壱之助もアキさんタマばあも放置している。だがエスカレートする前に、まぁまぁ、と人のよさそうな仲裁が入った。 「大切なんは、今どうするかですよ。ひと月後の運動会……その目玉になってる野球大会を、予定通り開催するかどうか。またみんなで知恵出し合いましょ、ね?」  気の弱い、だが穏やかな笑顔でそう言ったのは、北村さんだ。ドラム缶を囲む最後の一人である彼は、他の面々よりぐっと若く四〇代の中年で、商店街で文房具屋を営んでいる。誰に対しても物腰が柔らかく、気立てがいいので有名である。年下の北村さんにまっとうなこと言われては、下川さんも上川さんも溜飲を下げざるを得ない。  かくして、間知川の河川敷で行われている八奈結び商店街理事会緊急会議は振り出しに戻った。議題は、来月行われる町内会との合同運動会――そのメイン競技である野球大会を、本当に執り行うかどうかである。  八月の終わり頃から参加チームの募集をかけていたが、これが驚くほどに希望者が集まらなかった。紆余曲折を経てみんなだいすきベースボールに決定したのだが、ふたを開けて見れば「ダルい」「暑いからイヤ」「練習めんどい」など不満のオンパレード。理事会の面々が申し訳程度にメンバー枠を埋めているが、外部からの名前がまるで見当たらないという憂慮すべき事態に直面しているのだった。  室内ではアイデアも出ないだろうとこうして河川敷に来て、ついでに焼き芋でも作ろうと壱之助が運んできたドラム缶を囲んだはいいものの、状況は芳しくない。持参した雑誌をめくり始めるアキさん、何かにつけてケンカしようとする下川さんと上山さん、それを宥めようとするタマばあと北村さん、そして上の空でドラム缶の中をつつく壱之助――と、会議は踊りに踊っていた。 「もー、いっそのこと理事会の若い奴らは強制参加させたらええねん!」と、過激なことを言い出したのは上山さんだ。「ほら、おるやろ、うどん屋の繁雄とか!」 「おお、そういやシゲは昔野球やっとったやないか」下川さんも珍しく迎合する。「久々にやりたいん違うか。むしろ、なんでまだ参加表明してないんや?」  ばちり、とドラム缶の中の枯れ枝が爆ぜた。アキさんの、雑誌をめくる手が止まる。タマばあがポケットからハンカチを出して首元の汗をぬぐい、北村さんは苦々しく笑った。  一瞬漂った沈黙を破ったのは、かさり、とドラム缶をかき混ぜる音。 「おお、これなんかもうええやろ」  議長であるはずの理事長は呑気にそう言って、トングの先にアルミホイルで包んだ芋を引っ張り上げた。傍らにおいてあった金網の上に安置すると、もうひとつ、ふたつ、とドラム缶の中から救出する。 「今食べたら火傷してまうな、もう少し待とうか」 「いや理事長! 芋はいったんおいといてやな!」  上山さんがビシッとツッコミを入れたとき、小さな足音がふたつ、彼らのすぐ傍で止まった。 「何してるん、じっちゃんら? そんなんしとったら、まだ暑いのによけい暑なるやん」 「けむり、もうもうやねん……」  理事会の面々とは打って変わって若々しい――いささか若々しすぎるその声は、商店街の子どもたちだった。  頭頂部近くで左右に髪を結わえ、わんぱくそうな顔つきをしているのが和希。  対称的に、物静かで人形のような面持ちの黒いおかっぱ髪が、美也。  商店街をにぎやかす子どもたちの中でもよく知られたふたりは、どんよりしたムード漂うこの会議の様子を遺憾なく胡乱な目で見遣る。その眼差しに自分たちの不甲斐なさを見抜かれたような気がして、大人たちは苦笑いでごまかそうとした……が、壱之助だけはどこ吹く風だ。 「おお、丁度良かった。和希、美也、焼き芋があるでぇ」 「イモっ?!」  とたんに目を輝かせる和希が、壱之助に駆け寄る。壱之助は用意周到なことに紙袋とビニール袋まで準備しており、その中へと焼けたばかりの芋を手際よくいれていく。もはや会議は建前で焼き芋を作りたかっただけでは……と理事会一同が思っている間に、壱之助は三つ入りの袋を和希に、二つ入りのものを美也に持たせてやった。和希は傍目にもうきうきと、美也もまじまじと手の中の焼き芋を見つめている。 「まだ熱いから気ぃつけて持ちぃや。家帰ってシゲ坊らにも分けたり」 「しゃーないなぁ」ふんっ、と少し気取った顔を作って和希は頷く。「ま、じっちゃんがそー言うから、シゲオにも分けたるかなっ! ホンマしゃーなしやで!」  口ではそんなことを言う和希だが、本当は早く帰って繁雄――六つ上の兄と一緒に食べたがっているのが、その場にいる誰にも見て取れた。この兄妹はよくケンカすることで商店街でも知られているが、それが絆の強さゆえであるのも周知のことだ。  ふたりには両親がなく、ふたりきりで暮らしているから。 「じっちゃん、おおきに! ほな行こ、ミヤ!」 「うん。おじーちゃん、ありがとう」  そう言って歩きだそうとするふたりの背に、上山さんが声を掛ける。 「せや、和希からも繁雄に言うたってくれや」 「?」和希は肩越しに振り返る。「言うって何を?」 「来月の野球大会! 参加者全然おらんくて困ってんねや、頼むで!」  手を振る上山さんの頭を、立ち上がったアキさんが雑誌を丸めてポカンと叩く。そのまま言い争いを始めたふたりをタマばあと北村さんが止めようとして――というところまで見届けて、面倒に巻き込まれたくないお子様ふたりは、秋風のように軽やかに走り去った。  その背が小さくなるのをしばらく眺めていた壱之助は、下川さんも混じって大乱闘に発展しつつあるジジババのケンカにひとつため息を吐く。 「……ほんま、どうしたもんかいなぁ」  ぼやきながら、新しい芋をアルミホイルにくるむ。間知川の河川敷に、アキさん必殺アームロックをキメられた上川さんの悲鳴が響き渡った。
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