第1話――紅輔と焼きいもと方向音痴①

1/1
22人が本棚に入れています
本棚に追加
/17ページ

第1話――紅輔と焼きいもと方向音痴①

 間知川の河川敷から一〇分も歩けば、八奈結び商店街東端の入り口に辿り着く。  アーケードのない、昔ながらの商店が並ぶ何の変哲もないその通りを、和希はずんずん歩いて行く。時折ハッとして歩む速度を緩める。手を繋いでいる美也を、ぴょこぴょこ走らせてしまっているのに気づくからだ。そこからしばらくは努めて幼い彼女に歩幅を合わせようとする……が、またいつの間にか走り出す一歩手前までになっている。 「うー、ごめんなミヤぁ」 「かずねぇ、だいじょうぶやで」ミヤはフンスと息巻く。「ミヤな、バリバリやねん。走るの、へーきやで」  そう言う美也の表情はいつものように人形のようだったが、キュッと結んだ口元にやる気を漲らせているのがわかる。彼女の言葉に甘えてつい走り出したくなる和希だったが、それをぐっと堪えた。小学五年生の自分と二年生の美也の間には身長・体格に明確な差がある。加えて和希は運動神経に生まれつき恵まれていて、その身体能力は同年代でも群を抜いていた。本気になって走り出したら、美也は足をもつれさせてズルズル引きずられることになるだろう。  それでも、一刻も早く家に帰りたいという想いは募るばかりである。一分経過するごとに、手に持っている焼き芋がみるみる冷めてしまうような気がしてしまうのだ。実際は、午後二時半になってもサンサンと照り続ける太陽のせいで、散歩していてもうっすら汗ばむような気温なのでそんなことはないのだが。  そんな気持ちが顔に出ていたのか、和希を下から見上げていた美也が言う。 「かずねぇ、早よ行こ。ほくほくのおいもさん、早よ、しげにぃに届けよ」 「は、ん、え?!」  和希は胸中を見抜かれてバッと美也に振り返るが、ごまかすようにまた前を向いて、わざとゆっくり歩く。 「いや、ええねんええねんシゲオなんかっ! やー、なんか暑なってきたな! 日陰通ってこ!」 「かずねぇ、」  何か言おうとした美也を遮って、和希は通りの端、日陰を作っている商店の軒先へと進路を向けた。視線を向けなくても、美也が黒くて丸い目をじとりとさせているのを感じる。心をチクチク突いてくるその眼差しに和希は居心地の悪さを覚えた。自分でもまずいとわかっているから、なおさらだ。  和希と繁雄は、ふたりきりの家族である。彼女がまだ幼い頃に両親が不慮の事故で他界し、一時は商店街理事長の壱之助に面倒を見てもらっていた。だがそれも繁雄が中学を卒業するまでで、今は両親が遺したうどん屋を彼が引き継ぎ、なんとか細々と生計を立てている。  それがどれだけの負担を兄に強いているのか、まだ幼い和希には到底計り知れない。彼女自身無意識で感じ取りながら、考えないようにしていたのだ。 だが、少しずつでも向き合わなければならない――この夏に起きた一連の出来事は、問題の入り口に立たせるほどにまで、少女を成長させていた。  だからといって、急激にすべてが解決するわけでもない。むしろ意識した分、和希は繁雄にどう接していいかわからなくなってしまった。以前よりも些細なことで怒って、兄に衝突してしまう。自分でもなぜかわからないほど、最近の和希は自身の感情を持て余していた。  今も、早くこの焼き芋を繁雄に届けてやりたい気持ちと、素直にそれを表明したら負け、みたいな照れが胸の中でぶつかり合って、結果後者が勝ってしまった。ぎくしゃくと牛歩で進みながらも、芋が冷めてしまったらという焦りがまたふつふつ腹の底から湧いてきて既に後悔していた。 (あー、もー、いったいなんやねん! こんなん全然ウチらしないのに、なんで、こんな……あ゛ーーー!!!)  自身の苛立ちを言語化できるほどの知識も経験も持ち合わせておらず、和希は歩きながら悶々とするしかない。破れかぶれで眼を瞑って頭をブンブン振っていると、 「ったあああーーーーー?!」  そのまま進行方向にいた人物にドリルヘッドをお見舞いしてしまった。 「何すんねんこのチビ!!!」 「す、すんません!」  反動でたたらを踏んだ和希は、体勢を立て直すと慌てて頭を下げる。ひょこっと姿勢を正し改めて確認すると、怒声を飛ばしてきた被害者はフン、と鼻を鳴らして睨みつけてきた。 「謝るくらいやったら最初からちゃんと前くらい見ろや。脳みそもチビっちゃいんか自分」  居丈高な物言いに、和希はカチンとくる。確かによそ見をしていた自分が悪いが、きちんと謝罪もしたのにそこまで言われなければならないだろうか、と。 (なんやねん、ちょーっとイケメンやからって……調子乗っとん違うか!)  そう、腹立たしいことにぶつかった相手は整った容姿の少年だった。すらりとして均整の取れた長身は鍛えているのか、ブレザーの制服を着ていても逞しさを感じさせる。顔立ちも、しかめさせてなお秀麗だが、目にかかる長めの前髪も相まってキザったらしい印象を形作っており、和希はよけい反感を覚えた。  これほど目立つ人物にも関わらず、この辺りでは見たことのない顔だ。ということは八奈結びの人間ではない――そう判断しつつ、内心和希は首を傾げる。八奈結び中の住民と面識のある彼女が知らない顔、であるにも関わらず、どこかで見た覚えがある。そんな妙な既視感に捕らわれたのだ。 (どこやったかな……テレビ? いや、でも……)  むむむ、と少年の顔を見つめ、和希は思い出そうと試みる。 「……なんやねん、ごらァ」  すると彼はガンを飛ばされていると思ったのか、負けじと和希を睨み返してきた。  その威圧感に対抗して、初志を忘れてしまった和希は般若面を作った。売られたケンカを高く買う性質なのか少年もさらに眉間にしわを寄せ、さらには腰までかがめて和希を圧倒しようとする。そして和希も負けじと背伸びをして、 「かずねぇ、」美也が繋いだ手をくいくいと引っ張った。「おいもさん、冷えてまうで」 「あっ! せやった!!」  和希は不毛な闘いを中断し、その場を去ろうとする……が、思い直してもう一度少年に向かって頭を下げた。 「……ぶつかって、すみませんでした。ほな行こ、ミヤ」 「ミヤ、しげにぃらにおいもさん早よ届けんねん」  どうも焼き芋運びを一大ミッションだと思っているらしい美也は、こくりと頷いて再び息巻く。そんな彼女を見て和希も気持ちを切り替え、少し早足で歩き始める―― 「おい待て、チビら! 今……シゲ、って言うたか?」  も、少年に呼び止められ、立ち止まらざるを得なくなった。  なずなだったらコケているところだ、なんて思いながら、不承不承和希は肩越しに振り返る。 「せやけど……いったい何なん」 「おい、あいつの店の場所教えろ。この商店街のどっかにあるんやろ」  人に物を頼むとは思えない言いぐさにまたも和希はカチンときたが、それよりいきなり兄の居場所を聞かれて面食らってしまう。  八奈結びの外の人間が、わざわざ繁雄を訪ねてやってきた――それも、彼とそう歳の変わらない少年が、だ。その意味するところは和希には想像だにできなかったが、それでも、なにか悪い虫の予感が騒いで、暑いのに二の腕がぶるりと震えた。  正直に答えるべきかどうか――そんな和希の逡巡は、 「そこの角、左に曲がってまっすぐ行って、二つ目の角右に行って、次を左やねん」  美也の丁寧な説明に見事蹴っ飛ばされた。 「み、ミヤ!! なんで言うんよ!?」 「やって、おじーちゃん、迷子さんにはやさしくっていつも言うとる」 「それはせやけどぉ!」  『お互い親切・笑顔のリレー』が八奈結び商店街のスローガンなので、美也の行動はもっともだ。それでも、こう、もうちょっと察してほしかった! と和希が地団太を踏んでいるうちに、 「左、二つ目右、もっかい左やな! よっし!」  少年は威勢のいい声で確認して、その場を走り去った。  あまりの速さに、和希もあんぐりと口を開けた。呆気に取られている間に少年の背は少し先の角を左に曲がり、すぐ見えなくなった。 「……なんやったん、アレ」 「かずねぇより、せっかちさんやねん」 「え、止めてや、あんなんと一緒にせんといて」  人の世話になりながら、お礼の一つも寄越さない。自分はそんな無法者ではないはずだ……と思いながら、ちらほら当てはまるような事例が脳裏を横切って、和希は思考を咳払いでシャットアウトする。 「ん、んん! 人のフリ見てワガフリなんちゃら、っちゅうしな! 行くで、ミヤ!」 「ミヤ、ゴーゴーやねん」  かくしてふたりも歩き出し、角を左に曲がる。通い慣れた道なので、特段注意を払うこともない。そして二つ目の角を右に曲がろうとしたそのとき、 「どないなっとんねんチビら!」  と背後から怒声が飛んできた。  わっ! と肩をビクつかせ振り向くと、 「ぜんっぜん……うどん屋の〝う〟の字も見えんやんけェ……!」  先ほどの少年が息せき切らせながら、ものすごい形相で睨みつけてくる。まるで鬼のようなその有様に、思わず和希は美也を自身の背に庇った。 「な、なんやねん! ジブン先行ったはずやろ、なんでウチらの後ろにおるんよ?!」 「せやからおまえらが言うた通り走ったらここに来たんやろが! 最初左、二つ目左、ほんで、」 「ちょい待ち! ミヤが言うたんは〝二つ目右〟やで!」  和希の制止に、少年の口がピタリと止まる。訝し気な顔をして見せる彼に、ひょっこり和希の背から頭を出したミヤがコクコク頷き返した。 「ん、んん! そうか、二つ目は右やったな! よっし!」  頬をちょっぴり赤くしながら咳払いでごまかして、少年は即座に走り出し、あっという間に和希と美也を抜き去った。ふたりしてぽかんとその背を見送っていたが、あ、と美也が声を漏らす。 「あのおにいちゃん、ここから二つ目、右曲がった」 「……あいつアホ違うか」  率直な感想が和希の口から洩れる。〝二つ目の角〟と言うのはこの通りに入ってからのことで、今彼女たちがいる地点のすぐそこにある。それを少年は大幅に行き過ぎたのだった。  聞いた話をよく咀嚼しないのか、それとも気が急くと他に頭が回らなくなるのか、あるいはその両方か――いずれにせよ、和希がこれまでの短い人生で出会った中でもあの少年は、ダントツに軽率な人間に違いなかった(その次点は自分自身である事実を彼女はそっと黙殺した)。 「なぁ、かずねぇ」和希の服の裾を引っ張りながら、美也が見上げてくる。「あのおにいちゃん、もうずっと迷子さんとちがう?」 「いや、いやいやー……ええトシしてそんな、」  ありえへんやろ、と言いかけて、和希はたらりとこめかみに冷や汗が伝うのを感じた。あの少年が方々で道を尋ねては爆走して道を間違える様子が、ありありと想像できたからだ。  最初に抱いた戸惑いも、今は後ろめたさに変わりつつあった。このまま彼を無視して家に帰ることはできる。ただ、それをしてしまうとなんだか、大雨の日に川に流されてしまった仔犬を見捨てるような悪行に手を染めてしまう気がしてならないのだ。それが例え、噛みつきそうな面相でギャンギャン喚く可愛げのないヤツだとしてもである。  うーん、と和希は頭を傾げて決断に迷う。だがそれはそう長くは続かなかった。 というのも、 「……おおおおおい!! どないなっとんねえええええん!!!」  と前方からあの少年が、疾走しながらこちらにめがけて帰還するのが目に入ったからだ。  彼はずざざっと音を立てながら和希と美也の前でぴたりと停止した。大きく開口し文句を飛ばす……も、呼吸が乱れ、ぜひぜひっ、と息を吸い込む音が混じるもんだから、何を言っているのかまったくもってわからない。  はぁ、と和希はあからさまなため息を吐く。 「わかったわかった! 連れてったるから! せやけど……ジブン、シゲオの何なんよ?」  それがハッキリしないことには、この見知らぬ来訪者を安心して自宅に案内するなどできるわけがない。  少年は上がっていた呼吸を何とか整えて、額を濡らす汗を乱暴に袖口で拭う。  迷子のくせに尊大に、またひとつ鼻を鳴らして、 「俺は繁雄の相棒や」  至極当然とそう言った。
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!