闇鴉-学びの章-丑三つ丑三つ刻の訪問者-10/3

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闇鴉-学びの章-丑三つ丑三つ刻の訪問者-10/3

 「さて、アトラス・失われたアークを見て何を学んだ?」  「感想ですか?そうですねぇ、何ぞを思うも言葉になりません」  「そうか」  法師は、期待感に先を急ぎすぎている自分自身を嬉しんでいた。  「龍厳よ、この話は実話と思うか」  「創りものだと?」  「そうじゃよ。生き証人もその代わりとなる書物もない。真偽のほどは神のみぞ知る、じゃよ。では何故にこのライブラリーに置かれておるのかな」  「…、得るべきもの、考えるべきものがあるからですか」  「上手く逃げ寄ったな、まぁ、よい。ここには三種の人種がおった。才能はあるが自分では何も出来ない者。行動は出来るが如何に行動すれば良いか見つけられぬ者。そしてどちらも持ち合わせるが、帯に短し襷に長しの者。それらが一堂に会しておる。どうじゃ、人間そのものではないか」  「確かに」  「人それぞれよ、ここではそれを学ぶものよ。それぞれに足りぬところを補い合う、そこに強調と言う物が生まれる。そしてそこには上下関係などなく、お互いを必要とする敬意が絆を築いておる。頭のいいものがいる。しかし、それを具体的なものにするには肉体を酷使するものが不可欠じゃ。のちの世界ではホワイトカラーとブルーカラーと区別しておる。ホワイトカラーは、清潔感を現す制服のTシャツの白、ブルーカラーは作業員の制服の青色じゃよ。人間とはどうしても区別をしたがる生き物でな、それは支配欲の現れでな、常に他者より自分が優っていると感じられぬは自分自信の存在を感じられない悲しき生き物なのじゃよ。手を取り合うとは、互を認め合うことにある。しかし、これが難しい。アトラスのように互の存在価値が明確ならば強調は容易いこと。それが叶わぬが人間社会と言うもの。それぞれがそれぞれの価値に不満を抱き、敵をつくるようになればそのバランスは壊れる。敵を作るとは如何に」  「…、自分本位、自己主張、理解し合えない関係…。そうか、欲ですね」  「そうじゃ。欲にも善と悪がある。それは如何にして決まるものか?」  「…、欲の善悪ですか。己の欲を満喫すれば…、その周辺に苦しむ者が生まれる。物事は全てバランスが取れてこそ、上手くいく。何かを得るには何かを犠牲に致せ、と…。欲張り過ぎればその反動でしっぺ返しを食らうものでしょうね。引き際が肝心、ほどほどに、はその教えかと」  「そうじゃ、いいぞ龍厳、その調子じゃ。して答えは如何に」  「自己本位、自己…。自分…。そうか周りを見てみろ、周りが見えているかで善悪が決まる、そう言うことですね」  「まぁ、簡単に言えばそう言うことじゃよ。そんなに簡単なものではないが概ねそうじゃ。自分のために欲を貪ればバランスを壊した戒めとして破綻という罰を受ける。他の者のために使えばより高いバランス領域に入り、褒美として生存価値を見いだせる、即ち、生き甲斐じゃよ」  「今思えば、つまらない欲求を立ち行かぬ思いから、自らを終わらせようとした。それが楽だと思った。それは、苦難・試練を避けて通ろうとしたもので御座いました。幸いにも私の場合は、親切心と言うものに出会い、人も満更ではないと思えるようになった」  「では、なぜ、そう思った」  「それは…。自らの存在を否定しようとした時、他の者が私の存在を認めてくれたこと。そうか欲には表と裏の顔があると言うことですね」  「そうじゃ。何事も裏と表がある。どちらかが主張しすぎるとそのバランスは破綻する。表裏一体と言うであろう。何事もバランスが大事」  「心のバランスは壊れやすい、うん、なぜ、壊れやすい?」  「いいぞ、龍厳。そのように物事を考えよ」  「はい。壊れやすいのは…。自分で物事を考えれば、周りが見えず思考が袋小路に入り込む。それを脱しようと思いを張り巡らせた時、行き着く先は…自分にとって都合のいい答え…。それには何ら裏付けも根拠もなく、あるのは願望と言う絵に描いた餅のようなも。それを知りつつも、縋るしかない。それでは光明など見えるはずもない」  「そう言うことよ。暗いと文句を言うよりは、進んで明かりをつけよ、とイエスと言う者が言っておったわ。では、人はなぜ進んでで明かりをつけぬ?」  「それは…。邪魔くさいから」  「ほほほほ、単純で宜しい。邪魔くさい、か。うん、それでも良い。ではなぜ邪魔くさいのか」  「…。うう~」  「苦しめ、苦しめ。それが成長の兆しよ。赤子が泣くのと同じじゃよ。赤子は未熟にしてこの世に生まれる。他の生き物とは明らかに劣っておる。では、人間を創られた神は何故そのような不都合な機能をおなごに用いられたのかのう」  「…」  「赤子が泣くのは未熟な細胞が活発に動き成長する。その際の違和感が気持ち悪くて泣くのじゃよ。だから、泣く子は育つ、と言うのじゃよ。細胞の成長に昼夜はあらず。しかし、これもバランスよ。寝る時間はほぼほぼ決まっておる、勿論一概には言えぬがのう。ならば、そのバランスを見極めれば、少しは悩まされる時間は減ると言うことじゃよ。夜泣きは、昼、他にやりたいことを行うために子を寝かせる。そのつけが夜に降り注ぐのじゃよ。おお、問題からそれたな、私の悪い癖。助言すれば、赤子と犬や猫を一緒に過ごさせれば分かる、と言うても無理か。では、私の経験を共有すれば良い。答えは伏せておくがな」  「はい、是非」  「犬猫は餌をくれるものを上位に置く。それは食うは生きる術の一番手じゃからな。そこへご主人が新たな侵入者を連れてくる、それが赤子じゃ。犬猫は最初は自分の順位を危ぶみ警戒する。餌がなくなる減るかも知れぬからな。しかし、上位の者がその赤子を大事にしているのが表情から汲み取るのじゃよ。匂いを嗅いでみる。その匂いには上位の者と同じものが含まれておる。それによって敵ではないことを悟る。ちょっかいを出してみるが殆ど危害を加えられるような反撃は受けない。それで、心を開くのじゃよ。子育ては生き物の持つ本能。それが芽生える。その本能には寂しいと言うものが含まれておってな、それが目覚めると常に寄り添いたくなる。それは、犬猫の寂しさを紛らわすものでもあり、仲間意識を芽生えさせるものでもある。共同生活の種じゃよ。その種は気を配ること。それが犬猫の自分の存在感を知るきっかけになる。この経験をした犬猫は、その者を助ける使命に突き動かされる。それは種族の維持の本能の変形じゃよ。犬猫は赤子の成長と共に育つ。赤子がはいはいを初めて行う時、寄り添ってそのやり方を身を持って教える光景は珍しくない。飼い犬は考える力を得るのだよ。野生でもある。が人間界と言う全く違う環境下でより多くを学習するのじゃよ。考える力とは環境によって育つものじゃよ」  「私の置かれているのと同じかと」  「そうじゃな。行動範囲内に多彩な物がある中、赤子が他の動物のように生まれて直ぐに動き回れば危険極まりない。そこで、動けない状態で生まれ、まずは耳、目から情報を得る。手足をばたつかせることで体の成長を促す。触れて、咥えて物を覚える。この行動は犬猫と同じなので、犬猫も同じ仲間だと実感するのじゃよ。それを踏まえれば答えは分かるな」  「…。経験を、積む、こと。その経験によって考えや行動が変わる。そのために危険の多い人間界で生きる準備のために未熟さを残し生まれる」  「そうじゃ。そこに人間には知能と言う物を授かっておる。脳に色々な情報を蓄えるために未熟さを残して生まれるのじゃよ。脳は情報を得れば大きく膨らむ。頭蓋骨と言う範囲でな。これがなければ歩くのに支障がうまれるでな。脳は折り紙のようなもので折ジワを増やせばより多くの面積を得られる仕組みと考えれば良い。その折ジワは経験を積むことによって、効果的な情報の取り出しを実現する、これが脳の善し悪しに繋がる。この善し悪しを左右するのが好奇心じゃよ。何にでも興味を記し、試すことが行動力に繋がる。失敗によって次なる手立てを考える、また、危険であることも学ぶ。猫のひとり遊びは好奇心の善き方向に動いている典型じゃよ。特に飼い猫は人間の行動を観察し、真似る。道具と言う好奇心を掻き立てる品も豊富にある。それでどう遊ぶか、考え、挑む姿は、見ていても飽きぬわ。赤子も同じよ。とは言っても動けぬがな。しかし、知恵がある。見て聞いて触れて学ぶ。その経験が睡眠時に脳内で整理され、知識として保存される。よって、生まれてある程度、固定されるまでが今後の成長を左右する第一段階の育成時期に当たるのじゃよ」  「法師の言われる経験の善し悪しが、思考の袋小路からの抜け出しに役立つと言うことですね」  「ほう、私の経験を共有して、回答が早まったな」  「そのようで」  「やはり、そなたは資質があったのじゃな。他の者ではそうは簡単にいかぬからな」  「他の者とは?」  
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