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epilogue
毎日の日課である散歩の途中、遥か空の彼方まで聳え立つ無機質な建物を一瞥し、暮らし慣れた住処へと向かう。
道すがら、木々や草花の微かな囁き声に耳を傾けながらゆっくりと歩みを進める。
いつもの場所に辿り着くと、物陰にひっそりと身を隠し、気配を消し、道行く人々の顔をゆったりと眺める。
——それが幾年も前から続く僕の毎日だ。
触れ合う度に、さわさわと歌う様に音をたてる新緑の葉。
その葉を掠める様に僕の顔を時折ちらちらと照らす暖かな光。
息をする度に心に迄沁み渡る澄んだ空気。
ゆるゆると吹く風が、誘う様に水面を揺らしている湧き水。
何年経っても此処は居心地の良い場所だ。
砂利が擦れ合うざりざりとした音が、いよいよ子守歌に聞こえ始めた僕は、己の手に顎を乗せ、小さく息を吐いた。
——そこまでは、いつもと変わらぬ日常だった。
不意に視界の先を通り過ぎた若い娘の姿に、手放しかけていた意識が跳ねる様に覚醒したのだ。
それは——とてつもない驚きでもあり、また長い間待ち望んでいた幸福な瞬間でもあった。
ゆったりとした歩みで目の前を通り過ぎたその娘を追いかける様に、僕は植え込みの陰に隠れながら移動する。
気づかれてはいけないのだと解ってはいるのだ。
けれど、少しでも構わないから此方を向いて欲しい。
地面に落ちた細枝を僕の前足や後ろ足が、ぽきりぽきりと折る度に、そんな小さな願望がざわざわと否応無しに騒ぎ立てる。
それでも僕は、決して娘を驚かせたい訳ではないのだ。
数百年という時を経た今、あの頃のように僕の前に現れた娘の姿を少しでも長くこの目に映していたいだけなのだ。
「もう、遅いよー。早く、早く」
不意に僕の耳を擽った懐かしい娘の声。
その視線の先では、これまた何時ぞやの青年が愛おしそうに娘を見つめ返している。
僕は思わず、ほう、と微かに渇いた唸り声を上げた。
どうやら、この寺に祀られているという縁結びの神様は、僕のたったひとつの願い事を叶えて下さったようだ。
僕は父に倣って、あの娘の最期の時まで飽きることなく愛を囁き続けた。
年老いて行く彼女の傍で過ごしたあの日々は、僕が抱える永遠の時の中では、ほんの一瞬の出来事であったのかもしれない。
けれど、僕は確かにあの娘に恋をしていた。
決して成就することがないと知りながら、全身全霊で彼女を愛したのだ。
後悔することなど有りはしない。
娘の最期を看取った後。僕は己の恋を成就させる代わりに、輪廻転生——生まれ変わっても尚、娘と青年が出逢い愛し合える事を願った。
僕の願いは、相も変わらずあの娘が幸せであることだった。
あぁ、神様。
どうか、どうか、このしがない狐の願いを叶えて下さいませ。
この願いを叶えて下さった暁には、あなたの立派な使いとなって働くことを誓いましょう。
こう見えて、僕はとても優秀な妖力使いなのですから。
青年の腕に自分のそれを絡め、そっと体を寄せた娘が眩いほどに微笑んだ。
その横顔を見つめ、僕はほっと胸を撫で下ろした。
娘と恋仲であった勇敢な青年は、志を果たすべくこの地を離れ、帰りを心待ちにしていた娘の元には終ぞ戻ることはなかった。
青年はどれほど心苦しかったことだろう。
彼の胸の内を思うと、僕は今でもあまりの哀しみに心が震えるのだ。
想い合う二人が最期の時まで共に人生を歩むことが出来ますように……。
二人の仲睦まじい後ろ姿に、もう届きもしないのに声をかける。
どうぞお幸せに。いつまでも、いつまでも……。
ふと見上げた先——幾枚もの白く美しい花弁が、僕の心を癒す様にはらりはらりと舞い踊っていた。
終
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