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シーズン終盤、長谷川の添乗するツアーがやって来た。
「神社仏閣を見て回るツアーの添乗で――世界遺産のデカいお寺さんに行った時、BGMに超驚いたんだ。それって何だったと思う? エレベータの中とか散策コースのところどころにスピーカーが設置してあって、低い音でずっとかけっぱなし!」
長谷川が瞳をキラキラと輝かせながら、今日も楽しそうに仲居達と話している。
「うーん……。参拝者の心が落ち着くように――クラッシックとか!?」
「あー! 惜しいっすねえ。心が落ち着くっていう部分は、イイ線いってるんだけどなー」
「なにかしらねえ?」手を動かしながら、仲居達が口々に呟く。
「降参ですかー?」
「悔しいけど……!」
ぐふふ、と笑った長谷川が得意になって答える。
「なんと!? 『お経』がBGMなんですよー! あれって結構耳に残っちゃって……。真夜中に独りであそこを歩いてるトコ想像したら、ビビるし」
「お経かー! そんな話、前に聞いたことあるかも……」再び仲居達が話し出す。
「長谷川くんは、来年の春には卒業だよね? 就職決まった?」
「就活してないんです。でも、この仕事は卒業したら辞めると思います」
「じゃあどうするの?」
「うーん。ま、ゆっくり考えます!」
複雑な表情の仲居達に爽やかな笑顔で応じながら「お姉さん達とこんな風に片付けできるのも、今日が最後かなー」さらりと別れを告げる長谷川に、仲居達も慣れたもので「いつでも、遊びにいらっしゃい」と返答するに止めている。
この業界は、出会いと別れの繰り返しだ。縁があれば、また会えるかもしれない――決して再会の約束をしないのが、暗黙のルール。
まさに、一期一会。
秋も深まり山の木々が赤く色付き始めた。
そして、進次郎と香奈の結婚話が具体的に進み始めた頃――『丸山進次郎様』と宛先の書いてある小包が届いた。送り主は『長谷川優太』。この時、初めて長谷川の下の名前が『優太』であることを知ると共に、進次郎は彼について何も知らなかったことに愕然とした。
その中にはかつて長谷川が美味い土産だと絶賛していた『栗きんとん』の折と、ホテルのロゴ入り封筒が入っていた。封筒には同じく同ホテルの便せんが入っていて、そこには硬筆のお手本のようにきれいな文字が綴られていた。
――――
丸山 進次郎様
今日、添乗で妻籠宿に来ています。
前に話した、美味い土産を送ります。
幸せになってください。
逢えて、嬉しかったです。
進ちゃんと話しているとき、超幸せでした。
元気で頑張ってください。
今まで、本当に有難うございました。
長谷川 優太より
――――
この手紙を読んだ瞬間、進次郎は無性に長谷川に会いたくなった。
しかし、進次郎がその感情の理由に思い至ることは無く――ただただ、もっと話を聞かせて欲しい! 自分の話も聞いて欲しい! 笑顔が見たい! 星空の下で晩酌をしたい! 会い、たい……! 万感の思いが、心の奥底からどんどんと溢れ出す。だが、現実には進次郎の希望など叶わない。
その年の冬、シーズンオフの閑散期。進次郎は、兄を慕っていたはずの香奈と結婚した。
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