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「もう諦めたらどうだ?」
高倉と進次郎は夕方からの開店準備のため、昼過ぎには店に入る。特別な食材を仕入れる日には、早朝から市場に出掛けることもあるが通常はこのパターンである。
この店を高倉一人で切り盛りしていた時は、提供できる料理にも限界があり予約客しか受け入れることが出来ない状況だったというが、進次郎との二人体制になった現在は一見客も受け入れることが可能になった。そのことが口コミで広がり、早い時間から待っていてくれる客や、それに負けじと予約してくる客とで店は繁盛している。
「いえ。もう少し……」
「その男とは、どういう関係なんだ?」
どういう関係? ……進次郎は、何故こんなにも長谷川に固執しているのだろうか。この一年近く、そんなことを考える余裕もなく行動していた。再会したら、自分は彼に何を言いたいのだろうか――。
「……朝トラの添乗員でした」
「朝トラっていえば、あの中堅どころの旅行会社か? グランド使ってるのか――昔は、うちを贔屓にして高級ツアー組んでたのにな」
「……」
「それで、その添乗員にどうして会いたいんだ?」
送ってくれた土産の礼を直接言いたい? 少し違うような気がする。じゃあ、手紙の礼か? ……だったら、住所を知っているんだから書いて送ればいいだろう。違う。どれもそんなのは、もっともそうでいて真意じゃない気がする。では、なんで自分は?
「わ、わからないです。でも、会って話しがしたい……話を聞きたいし、聞いて欲しい、のかも――」
「よくわからんが、良い友達だったってことなんだな」
「……」
友達――進次郎は、物心ついたころから友達作りをした経験がない。従って、友達の定義が曖昧だ。
あの頃、故郷の閉塞的な環境の中で暮らす進次郎に、長谷川は世の広さを面白おかしく話してくれた。彼の発する言葉一つ一つから、進次郎は一条の光を見出していたのだ。その時、彼に対して感じていたものは友情なのか憧憬なのか。進次郎自身よくわからない。
しかし、長谷川の雰囲気とは裏腹な『死ぬために生きている』『太く短くが座右の銘』等という切ない言動を続けていやしないか? 続けているとしたならば、自分が彼に何かできることはないだろうか――そんなおこがましいことを考えていると、「進。もうこの話は止めだ。手が止まってるぞ?」と高倉に声を掛けられ我に返った。
もう少しのところで自分の内面から長谷川のもとへ通い続ける理由を導き出せそうだったが、直ぐに切り替え仕込みの続きに戻る。すると今日の料理に意識が向かい、その後は長谷川に思いを馳せることがなくなった。
12月だというのに、最高気温が25度を記録するという不思議な一日だった。イルミネーションはクリスマス、マーケットではお節料理の予約合戦。つくづく混沌とした東京だが、進次郎としては人々の意識が多岐に向かう都会が嫌いじゃない。
誰も自分の動向を注視しないし、『〇年前に燃えた旅館の生き残りの次男』という目で見る者は皆無だから。
「いらっしゃいませ。ご予約の藤井様でいらっしゃいますね。お待ちしておりました――」
店の一日が始まった。進次郎は、その日最初のお客様を出迎えるとき、心がキュッと引き締まる。
さあ、心に残る最高の料理と接遇でおもてなしをしよう。
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