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「今日から出すネギ坊主の料理ですが、【葱の花】とメニューに書いてはどうでしょうか?」  昨日の試食では、長皿の上に調理方法が違う2種のネギ坊主料理を提供した。  薄衣でサクッと揚げた天ぷらと、さっと湯がいて旬のあさりのむき身と酢味噌で和えたぬた(・・)。天ぷらの横には塩を添えた。高倉が作ってくれたぬた(・・)は甘めの味付けで、天ぷらとの相性も抜群。春の珍味に、客は大いに喜んだ。  そこで本日から、仕入れた日限定ではあるが正式にメニューに取り入れて貰えることになった。 「風情があっていいと思うぞ。進は字が汚いから、後でメニューの短冊を書いておく」 「すみません。お願いします」  進次郎は、誰もが驚くほど壊滅的に字が汚い。ここまではっきり言われると、羞恥も沸かないが。 「進くん、随分と日に焼けましたね」  今日も店は繁盛している。 「進は、休みの日に少年野球の手伝いに行ってるんですよ」 「おや? 若いパパさんですか?」 「いえ。私の息子の少年野球なんです」 「ほぉ。高倉さんも、隅に置けませんねえ――」  常連の客が、控えめに高倉を揶揄する。確かに50過ぎた高倉の子が小学生ということは妻が若い(・・・・)、という連想ゲームの解答が導かれても当然だろう。 「妻とはひと回り離れています。遅く出来た子っていうのは、可愛いもんです」  照れも隠しもせず淡々と高倉が応えると、客は二の句が継げない。高倉の持つ絶妙な処世術を、進次郎も身に着けたいと思う瞬間だ。 「【葱の花】? ――これは、なんですか?」 「長葱の先についている、ネギ坊主のことです。進が直接農家から仕入れてきました。季節限定です、いかがですか?」  こんな風に客が興味を持ってくれるお陰で、今日もネギ坊主は順調に売れている。自分が提案した料理を客に喜んでもらえることは、素直に嬉しい。 「あれー? これって、ネギ坊主じゃないですか? スゲー! 新宿で食べられるなんて――」  厨房で仕事をしていた進次郎は、聞き覚えのある懐かしい声をキャッチしていた――空耳かと思い、いま一度耳を澄ます。 「【葱の花】そうだよな。葱の先っちょに咲いてるから、そうだ。上手いネーミングだなー」  確かに、長谷川の声と口調だ。どうして? 何故? と思う前に、身体が勝手に動き出す――厨房から出ると奥まった二人掛けのテーブル席に、男性客が二人で座っている。タイミングよく目が合った相手は、揚げたての天ぷらを口に運んでいた。少し髪型が変わってはいたが、紛れもなく長谷川だ。 「は、はせ、が……」  「アチチチチッ!」と言いながら、口に入れた天ぷらを咀嚼し飲み込んだ長谷川が「し、ん、ちゃん?」と言ったので深く頷くと、途端に恐ろしい形相になり「テメー! テメー! 何でこんな所に居やがるんだッ!」と急に怒り出した。  何事かと厨房から出てきた高倉が、進次郎の斜め後ろに立つ。長谷川と一緒に食事をしていた男が「申し訳ありません。優太、ちゃんと謝れ」と長谷川を(たしな)める。 「進、知り合いか?」 「は、はい。あ、あの……赤羽のッ――……」  目を見開いた高倉が「閉店は24時です。それからゆっくり話してはいかがですか?」と長谷川に声を掛ける。 「――いえ。おれには話すことは無いんで。ネギ坊主の天ぷらは進ちゃんが作ったの?」 「……ぅん」  話すことはない? 何故だ? 進次郎は狼狽していた。 「美味かったです。ご馳走様でした。お会計をお願いします」  「おい! いいのかよ? ずっと気にしてた奴だろ?」と小声で言い募る男を邪険に振り払った長谷川は、会計を済ませ店を出て行った。 「すみません、お騒がせしました」  ざわつく店内の客に大きな声で謝り頭を下げる長谷川の連れは、高倉にも謝罪し、進次郎に複雑な視線を寄越してから軽く会釈し「キミ、優太の家に通ってメモ置いて帰る子?」と訊いてきた。 「はい……。丸山と申します。何度行っても、家にいないんで――」  ふぅーと大きく溜息を吐いたその男は、30代だろう。整った容姿で洒落たスーツが良く似合い、落ち着いた雰囲気を持つ勤め人といった風情だ。 「あのですね、丸山さん。せめてメモには、連絡先を書くべきでしたね。優太が怒る気持ちも分からなくもないですよ」  呆れたように言いながら、自分の名刺を進次郎の手に握らせる。 「キミの連絡先は?」 「俺、携帯とか持ってないんです。おやっさんの家に居候していて……」 「――そういう時は、店の名前とか、残すべきだったんじゃないかな? まあ、こんなところで言ってもしょうがないか。……優太と連絡を取りたいときには、僕に連絡をしなさい」  そう言い残し、男は店を後にした。
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