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「この時期は仕事が忙しいのか?」
学校が夏休みの今は観光シーズン最盛期だ。椅子で眠ってしまった長谷川も休みなく働いているのではないかと思い、何の気なしに訊ねてみた。
「ん? 昨日は休み。おれってさ、実はもの凄く船に弱いんだ。それなのに! 一昨日、人繰りがつかないからって熱海の花火大会を船上で愉しむっていうツアーの添乗に行かされちゃって、案の定ゲロっちゃったワケ。まあ、想定範囲内の不調だったから、予め昨日は休みを入れといてもらったんだ。そんでもって、久々の休みだから頑張り過ぎちゃってさぁ――」
「何を? スポーツとか?」
「はあ?! 頑張るっていったら、アレしかないでしょー!」
「……アレ?」
思い付かずにいると、長谷川が憐憫の眼差しを眼鏡越しに寄越し「まさか……! オーマイガー!」と小声で呟き、両手で頭を抱えて大仰に蹲った。
「もしかして――。違ってたら、ごめん。進ちゃんって、まさかの童貞だったりしちゃう?」
ビールをグイッと飲み干し、とんでもないことを訊いてきた。驚いた進次郎はタイミング悪く長谷川が買っておいてくれたウーロン茶を飲んでいて、それが変なところに入って盛大に、ゲホゲホとむせてしまった。
「……ッ!」
「あーッ! なんだか……図星っぽい感じ?」
「そ、それが、長谷川に……! な、なんの関係があるんだよッ!」
いつの頃からか、進次郎は親しみを込めて長谷川を名字で呼び捨てるようになった。夜の、この時間帯だけ。
「進ちゃんさあ、この話の流れでまだ分かんない? おれが、昨夜、なにを頑張ったのか?」
「もしかして――?」
顔から火が出るのではないかというくらい頬が熱くなり、急に恥ずかしくなった。
「な、なんだよッ! こ、恋人と過ごしたんなら、最初からそう言えばいいだろッ! なんだよ、リア充自慢かよ!」
恥ずかしさをごまかしたくて少し強い口調になった勢いで、本音が口を吐いて出た。
「おれ、リア充じゃないし。それに恋人じゃねーよ! セックスだけのお友達と、気持ちイイことをシただけ。恋人は一生作るつもりもないし、太く短くがおれの座右の銘。それともうひとつ! 進ちゃんが童貞でも、おれは絶対馬鹿になんかしないからな? もしもおれの言い方で不愉快な思いをさせたなら、謝ります。ごめんなさい」
直ぐにペコッと頭を下げ、悪戯っぽい表情で「これで許してな? おれ、進ちゃんに嫌われたくないから……」と言って、おどけた仕草でニヤリと笑った。こういう素直で愛嬌のあるところは、長谷川の美点で決して憎めないところだ。きっと、交友関係も広いのだろう。
本人はリア充じゃないと言うが、進次郎から見た長谷川は別世界の人間で、リア充どころか満ち足りた理想の人生を送っているのだろうと容易に想像がつく。
だからこそ田舎者で了見の狭い自分と懇意にしてもらえていることは、特別なことだと思っている。
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