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一週間なんて、あっと言う間だ。
ツアーで数時間しか留まったことが無かった上高地は、24時間どの時間帯を切り取っても想像以上の美しさだった。そして、死ぬ前に訪れたいと思った自分の考え方に間違いは無かったと安堵した(勿論、もうそんなことを考えてはいないが)。
「今日は、俺の家族の墓参りに付き合ってくれて有難う」
「何言ってんだよ! おれの彼氏の家族だろ。心の中で、挨拶させてもらったぞ」
「そうか。――俺も、心の中で優太を紹介した」
初日、少し早めに東京を出て進次郎の家族が眠る菩提寺に寄った。
嬉しかった。何だろう、自分がゲイであるという現実を認識し母親に罵られた時点で、おれには一生こんな日が訪れるとは思っていなかった。しかし、進次郎の両親が存命だったら……きっとおれなんか、拒否されたに違いない。
「――俺が中学生くらいの時だったかな。若い二人連れの男性が、実家の旅館に泊まりに来たんだ。その時、仲居の一人が『ホモよッ!』って、食事を運んで戻ってきてから笑い出したんだんだ……」
それを聞きつけた女将(進次郎の母親)が、鬼の形相でその仲居を叱りつけたという。
「自分の母親があんなに怒った姿を見たのは、後にも先にもあの時だけだ」
その中年の仲居は憤慨して「辞める」と騒いだが、女将は一切引き留めなかったらしい。今みたいに同性愛が手放しで肯定されるような世の中ではなかったが、女将も板長だった父親も一貫して同じ姿勢を貫いたというのだ。
「優太。もしも俺の両親が生きていて、付き合っていると紹介したとしても、喜んでくれたと思うんだ――」
「――っ!」
不覚にも、墓前でボタボタと涙を流してしまった。夏真っ盛りの墓参、いくら標高が高いといっても炎天下だ。暑いものは暑い。かなり発汗していたので身体中の水分量は減っていると思っていたが、驚くほどの水分が両目から流れ続けた――。
「だ、大丈夫、か?」
「んッ……」
その後も嗚咽が止まらず下を向いていたら、進次郎が少し離れた場所の自販機でコーラを買って来た。おれは基本的に甘い炭酸を好まないが、この時は炭酸の弾けるパチパチがおれの心を少しずつ落ち着かせてくれた。
菩提寺の住職は進次郎の昔馴染みだったらしく、進次郎の元気な姿を自分の孫のように喜び「今後の供養も心配ないから、いつでも来られるときに来なさい」と包み込むような優しい笑みを進次郎に向けた。
自分の両親の墓参に行ったのはいつだったか――ふと脳裏を過ったが、有名人が多く眠る墓苑の中にある長谷川家の墓は、母親の実家の管理だから自分が行くと嫌がられる。そのことを思い出し、直ぐにそれらの考えを脳の片隅に追いやった。
「そろそろ新島々に戻ろう。終バスが都会より早いんだ」
こうして、最高に幸せな時間が始まった。
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