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「兄ちゃん……。俺、どうしたらいいんだろう――」  進次郎は不安定な気持ちで兄の元を訪れていた。 「兄ちゃん! 早く起きてくれよ……」  どんなに進次郎が強く握っても決して握り返してくれることのない、兄の大きな手……軽く持ち上げてから離すとそのままの状態で、シーツの上にすとんと落ちる――まるで無機質で人形(・・)みたいな兄。でも……触れれば体温を感じることができる。呼吸をしている音も聞こえる。髪も髭も爪も伸びてくる。  点滴で栄養を摂取し、背中に床ずれが出来ないようにと身体の向きを変えてもらい、排泄をすれば交換してもらう。身体が固まらないようにと、リハビリで関節を動かしてもらっている。進次郎の憧れだった兄は、ひとりで生きることが出来ないのだ。  『大学で経営を学んで、旅館を大きくしたい』そんな夢を語っていた兄。父親みたいな板前になりたいと進次郎が言うと、『立派な板前になれよ』と力強く励ましてくれた兄。進次郎は、そんな兄を全身全霊で守り抜く覚悟でいる。 「――な、んだ…………?」  帰宅部の進次郎は、ホームルームが終わると一目散に帰宅の途に就いた。今日、東京の大学に通っている兄が久し振りに戻ってくると聞いていたから。  しかし――自宅兼旅館に近付くにつれて、消防車や救急車のサイレンの音や人々の叫び声が聞こえてきた。すぐそこが進次郎の家だというのに、一向に辿り着けないでいる。 「火事だー! 近付くんじゃない、危ないぞ!」 「あの! ここ俺の家なんです! 通して下さいッ!」 「見て分かんないのか? いま、消防が火消しをしてるから、ここで待ってろ!」  生まれた時から過ごしている旅館……その奥にある、進次郎たち家族が住まう家……目の前で火の粉に包まれているのが、それなのか……? 進次郎は、何もかもが信じられない気持ちで、ただ茫然とそれらが燃え尽きるのを見ていた――。 「あの、泊ってたお客さんは? 中で働いている人たちは? 俺の……俺の、家族は――?」  錯乱した進次郎は、平常心を失った――何度も、何度も。燃え盛る我家に飛び込もうとし、その度に周囲の人間達に取り押さえられた。そして大きな声で叫び続けた――父さん! 母さん! 兄ちゃん! 早く、早く逃げろッ! ――進次郎は、慟哭した。  客や従業員を逃がすことを優先した両親は、それらを成し遂げた後に逃げ遅れて焼死した――両親を手伝っていた兄は、一酸化炭素中毒で昏睡状態に陥り救急搬送された。辛うじて一命は取り留めたが、そのまま植物状態になって現在に至る。  あれから7年――管に繋がれながらではあるが、兄は生きている。日に当たる機会のない肌は青白く、筋肉の落ちた身体は細い。だが、生きてくれている。兄にとっては、不本意な状況かもしれないが……。  今の進次郎にとって、この兄だけが心の支えなのだ。だからこそ頑張って生きていて欲しい。 「兄ちゃん。俺、香奈ちゃんと結婚したくないよ――」  少なからず、兄も香奈に恋情を抱いていたことを進次郎は知っていた。 「兄ちゃん、早く目覚めてくれよ!」  進次郎は、香奈に対して恋愛感情を持っていない。  しかし……火事のあと伯父に引き取ってもらえていなければ、植物状態の兄と二人どうやって生きてこられただろう――。伯父家族は進次郎たち兄弟にとって、命の恩人なのだ。だから……、兄がこんな状況のいま、伯父の申し出に対して否を突きつけるという選択肢など端から皆無である。 「にい、ちゃん……俺――」
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