第二章 未来へ

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ

第二章 未来へ

第二章 未来へ  二〇二四年。  男はヒーローループに陥っていた。二〇〇八年頃から続くシリーズ映画で、なんと十六年後の今も続いている。途中で一度区切りがついたものの、未だにシリーズが続いていた。殆ど時間差なくこのシリーズを鑑賞しているこの男ですら、もう登場人物を把握できなくなってきていた。スピンオフドラマでは、何がどうなっているのかよく分らなくなってきていた。 「よし、違うのにしよう」  こんなことを繰り返しながら夏を迎え、男は恒例の旅支度を始めた。そして、今回が身分証を使える最後の機会になると覚悟をし、男は洞窟を出発した。  ※  洞窟帰宅後、荷物を置きシャワーを浴びると、男は直ぐに寝てしまった。今回の旅程は流石に無理があった。まず愛読書の作者が育った島へ行き、その後恒例となったスポーツ観戦をした。その時知り合った地元に住む女性と意気投合し、都市の北東に位置する彼女の家を拠点とし、観光地や食巡りをした。謎の鉄塔やこざっぱりとした門、昔誰かが首をはねられた広場など、有名な場所をひと通り尋ね歩いた。街を流れる川の畔で、同伴者に別れを告げたら泣き出されてしまった。自分用に買ってあったさんごの首飾りを「預ける」と言って渡し、連絡先を交換して男はその場を収めた。その後、頻繁に彼女からと思われるメールが届くようになったこともあり、心身ともに充実しきりだった。  彼女と別れた後も帰国はせず、暫く同国内の観光名所を巡っていた。特に目についたのが自然を売りにした観光スポットでの光景だった。眺める景観の先に飛んでいたのは鳥ではなく、無人飛行機の群れだった。観光案内所で訊ねると、最近試験的に始まった観光用ドローンというものらしかった。遠隔地にいる利用者が、定められた範囲内を好きに鑑賞して廻れる代物だという。無人機の性能が向上した事を確認し、男はネットで似たようなものを発注しておいた。それと同時に、「自分の隠れ家にもそのうち無人機がやってくるのでは?」という僅かな不安を覚え、ネット上に様々な社会的デメリットを書き込んでおいた。特に水中仕様の無人機は、テロリストやスパイの温床になる等と中傷の限りを尽くした。  旅行日程の最後に近づくと、観光案内に載っていない繁華街へ向かったりもした。だが、噂にあるような光景はなく、シャッターが閉まった店舗が散見された。ボランティアと思われる清掃員がごみ拾いをしている様しか見当たらなかった。どうやら規制されてしまったようだった。最後に空港で記念写真を撮って出国した。  男がした地上での作業は沢山あった。次回以降は恐らくパスポートが使えなくなるからだ。いつも以上に新製品や貴金属を買い漁った。これまで先送りしていた音声応答型ホームアシスタントも購入した。そんなこんなを繰り返し、洞窟に戻った頃にはすっかりやつれていた。結局、男は帰還後三日間寝て過ごすことになった。  ※ 「よし、はじめよう。パスパルトゥ、今何時だ?」 「現在時刻ハ午前十時二十四分デス」 「パスパルトゥ、俺は誰だ?」 「アナタハ御主人様デス」 「パスパルトゥ、今日の天気予報は?」 「ネットワークヘアクセス出来マセン。接続ヲ確認シテクダサイ」 「パスパルトゥ、ガスの元栓は閉まっているか?」 「ガス製品トノ接続ガ確認デキマセン」 「パスパルトゥ、俺は今日何回パスパルトゥって言った?」 「只今ノ質問ヲ含メテ六回デス」 「パスパルトゥ、犬って何?」 「四足歩行ノ陸上生物デ、ペットトシテ人気ガアリマス、詳細ヲ検索シマス。ネットワークヘアクセス出来マセン。接続ヲ確認シテクダサイ」 「パスパルトゥ、ここはどこ?」 「ネットワークヘアクセス出来マセン。接続ヲ確認シテクダサイ」 「パスパルトゥ、録画一覧を見せてくれ」  テレビ画面に録画一覧が表示される。 「パスパルトゥ、今日のニュースを全部録画してくれ」 「予約完了シマシタ」  男はアシスタント機能のテストを行なっていた。家電製品との接続によっていくらか作業を効率化できたものの、インターネットに未接続のままでは機能を生かし切れないことが判明した。  洞窟内には人工衛星と無人島を経由させたネットワーク環境が構築されているのだが、アシスタントをネットワークにアクセスさせることには躊躇をしていた。常に電源が入ったマイクをインターネットに接続させることは、不安でしかなかった。以前テレビで見たストーカーによる盗撮事件が頭をよぎり、ネットワーク接続やマイク、カメラ機能の使用には特に慎重だった。それでも、ホームネットワークのみで家電と連携可能なアシスタントを見つけ、今回試してみたのだった。やはり、SF映画で見た光景の実現という誘惑には勝てなかった。 「パスパルトゥ、写真を日付ごとに整理してくれ」 「完了シマシタ」 「パスパルトゥ、写真の中から猫の写真をピックアップしてアルバムを作ってくれ」 「作成シマシタ」 「パスパルトゥ、今のアルバムをスライドショーで見せてくれ」  コンピュータの画面に写真が流れ始める。男はほんの少しの間だけそれを眺めていた。 「パスパルトゥ、スライドショー停止。パスパルトゥ、君は幾つの言語に対応している?」 「四十二ノ言語ニ対応シテイマス」 「パスパルトゥ、翻訳はできる?」 「簡易翻訳機能ガ搭載サレテイマス。ヨリ正確ナ翻訳ヲ御希望ノ場合ハ、オンラインサービスヲ御利用クダサイ」 「パスパルトゥ、月はラテン語でなんていう?」 「ラテン語ハ未対応デス。インターネットニ接続スルコトデ検索ヤ拡張サービスヲ提供デキマス」 「パスパルトゥ、コンピューターの中にオフラインで使える百科事典があるのはわかる?」 「既存ノデータフォーマットト一致スルファイルガ一件見ツカリマシタ」 「パスパルトゥ、辞典の中にラテン語で月をなんて呼ぶか載ってない?」 「月ハラテン語デLUNAト掲載サレテイマス」 「お、それじゃあ、パスパルトゥ、これから検索が必要な質問は全部その辞典を調べてくれる?」 「コマンドマクロヲ記憶シマシタ」 「パスパルトゥ、犬って何?」 「コンピュータ内ノ百科事典ヨリ。イエイヌハ人間ニヨリ作ラレタ動物群デアル。数アル家畜ノ中デモ最初期ノ家畜デアルト考エラレテイル。イエネコト並ンデ代表的ナペットトシテ広ク…」 「パスパルトゥ、ストップ、もういい。パスパルトゥ、百科事典よりってのは要らない、読み上げるのも概要内の要点だけでいい」 「コマンドマクロヲ記憶シマシタ」  男はアシスタント機能の確認とカスタマイズにかなりの時間を費やした。これまで時間を掛け手動で行なっていたことが自動化され、多くの場面で時間短縮に繋がった。ネットワークへの接続がないことで生じる不都合も、オフライン利用可能な百科事典を調達しておいたことである程度補うことができた。 「そういえば、ホテルの受付や給仕も機械化されてたっけ」  観光地で見かけたドローンやホテルのフロント手続きなどを思い出し、男は旅の目的が達成されつつあることを仄かに感じた。  ※  男が菜園の整備をしている。赤色LEDやコンピュータ制御のスプリンクラー等を設置している。 「パスパルトゥ、栽培を開始しろ」 「承知しました」  ビニールハウス内にある水根栽培装置に種が投入される。その傍らには、手作業で作られたと思われるじゃがいも畑も見える。 「まあ、ダメ元でもやってみる価値はあるだろう」  そう呟くと男はビニールハウスを出て、映像視聴用の部屋へ向かった。 「パスパルトゥ、今から過去十年間の時事年表を作成しろ。引用数をしきい値にして、一年あたりの件数は十件まででいい」 「承知しました」  暫くの後。 「年表の作成が完了しました」  普段映画を鑑賞しているモニターに、年表が映し出される。 「はあ、はあ、なるほど」  などと呟きながら、男は熱心に年表を眺めている。 「流石にエンターテイメント関係はランク外か。パスパルトゥ、同じく映画とドラマに限定して年表を作成しろ」 「承知しました」 「パスパルトゥ、テクノロジー関係と人物の年表もそれぞれ作成しろ」 「承知しました」 「あ、パスパルトゥ、ついでに引用数の多いブロックチェーン仮想通貨を三つピックアップしとけ」 「承知しました」 「パスパルトゥ、全部完了したら教えてくれ」 「承知しました」  男は映画を眺めながら作業の完了をまった。 「全ての年表作成が完了しました」 「ごくろうさま」  男は咥えていたビーフジャーキーを手にとってパスパルトゥを労った。見ていた映画を一時停止にして年表を確認した。続いて、ピックアップされた三種類の仮想通貨を確保した。その後、歯を磨きシャワーを浴びた。 「今日はもう寝る。パスパルトゥ、消灯」 「おやすみなさい」  部屋の電気が消え、非常灯の明かりだけが洞窟を照らし出す。  翌朝午前七時。 「おはようございます、朝七時になりました」  パスパルトゥに起こされて男が目を覚ます。エスプレッソマシンから湯気が立ち、カップにコーヒーが注がれる。カップを乗せた台が回転し、配膳台の上にカップがスライドする。配膳台がレールの上を移動して男が眠るベッドの脇へとやってくる。男は体を伸ばしてコーヒーを一口すする。男は大きなあくびをした後起き上がり、寝室を出ていった。  男は部屋の片付け等を簡単に済ませた。 「パスパルトゥ、三ヶ月間留守を頼むぞ」 「かしこまりました」  男はダイビングスーツに着替え、八十日後にタイマーをセットしてジャンプルームへと入って行った。  八十日後。 「パスパルトゥ、戻ったぞ」 「お帰りなさいませ」 「パスパルトゥ、問題は無かったか?」 「全て異状ありません」  男は念の為、自分の耳と目で施設全体を見渡して見た。警報が鳴っていない事を確認すると、ダイビングスーツを脱ぎ菜園へと向かう。 「おお」  そこにはやや育ち過ぎたレタスと、丁度収穫できそうなじゃがいもの茎が茂っていた。パスパルトゥに施設管理の一部を預ける実験はうまく行ったようだった。以前の失敗のこともあり、男は喜んだ。その日の夕食はじゃがいもサラダにした。  次の日から二ヶ月程かけ、地上と洞窟を往復しながらジャンプの準備作業に集中した。 「思いつく限りのことはしたな。パスパルトゥ、なにか異常はあるか?」 「御座いません」 「よし、行くか。パスパルトゥ、留守を頼む」 「かしこまりました、良いご旅行を」  男は自分の両手で顔をバチンと叩いた。そしていつもの様にジャンプルームへと入っていく。  ※  真っ暗な洞窟内。見えるのは赤色の僅かな明かりだけ。突然、あちこちのビニールハウスから機械の動作音が聞こえ始める。そのうちの一つに明かりがつき、内部にある扉から小さな装置が落ちた。そして中からダイビングスーツを着た人影が出てくる。 「お、ああ、やっとか。パスパルトゥ、今度こそ、ただいま、だ!」 「お帰りなさいませ、御帰還をお待ちしておりました」 「まあ、ずっとここに居たんだけどな」  二〇四八年一月、男はまた時間の海へと戻ってきた。 「二回も電池切れに遭遇するなんてな。えーと、前回から三年か…」  今回のジャンプは二度の中断を経て、ようやく辿り着いたものだった。扉の前に付いている装置は弱い電磁石で、タイマーにセットされた時間になるか、電池が切れることで結晶入のケースが落ちる仕組みになっていた。閉じ込め防止の為だがまだ改良の余地が残っていた。 「長持ちしすぎてもタイマーが故障したら面倒だし、うーん」  電池交換という僅かな手間でしかなかったのだが、男は納得がいっていなかった。 「パスパルトゥ、報告をしてくれ」 「施設の異常は感知されていません」 「年問題による影響は発生しませんでした」 「地球外生命体は発見されていません」 「大きめの災害が幾つかありました」 「火星への有人飛行が行われました」 「衛星放送の規格が変更され、録画ができなくなりました」 「電子通貨が世界的に普及しました」 「電気自動車が主流になりました」 「人口血液が製造されるようになりました」 「人口神経細胞の移植、及びコンピュータとの接続に成功しました」 「パスパルトゥ、残りは年表にして後で見せてくれ」 「承知しました」  施設の再稼働作業を始めたこの男は、地上で行方不明扱いの七十三歳男性には到底見えなかった。 「ここからは全てが冒険だ」  ※  六月。男は出発の準備を終えた。いよいよ地上にでる決意をしたのだった。持ち物は簡素だった。高級時計や貴金属、着替え、食料、ゴムボート用エンジン、そして旧世代のタブレット端末等だった。最低限の装備を確認し小型潜水艇へと乗り込む。まずはいつもの無人島へと向かう。以前までこの無人島には幾らかの設備があったのだが、前回その殆どを処分し、現在はプレジャーボートや燃料、ゴムボート等、移動手段となるものがわずかに隠し残されているだけだった。月明かりの下で男が島に上陸する。  プレジャーボートは前回新調し、一度しか使っていないものだったのだが、やはり所々にサビが見られた。使用するには多少整備が必要だった。わざと置いておいた現金や足元の紐トラップはそのままだった。幸運にも人が立ち寄った形跡はなかった。それを確認すると今度はゴムボートを掘り出す。こちらには損傷が見られなかった。  ※  一週間後。男が公園でジャンクフードを食べながら人間観察を行なっている。ハンズフリーフォンが普及したのか、皆空を見上げながら独り言をしゃべっている様に見えた。犬の散歩をする人も子供も、恋人達でさえそうだった。 「よく転ばないな」  男は更に観察を続けた。先程まで耳に装着していた装置を手に取り、巻物のようにスクリーンを引き出して使っている子供がいる。その子供は何かを確認したあと、装置をペンのように服のポケットにさして何処かへ行ってしまった。通信端末以外にも変化はあったが、建物のデザインや若者の服装、車のデザイン等、その殆どはみかけ上の変化ばかりだった。 「見たことあるようなのばっかりだな」  男はつい独り言をつぶやく。食事を終えると男は身なりを整えた。電子マネー決済が普及したようだったが、現金も健在だった。観光客相手に貴金属の露天を広げ、男は短時間で現金を稼ぐことに成功した。現金を確保したあとは何も障害にならなかった。ホームレスからIDを借りインターネットへアクセスし、国内外に寝かせてあったペーパーカンパニーを蘇らせ、あっという間に富裕層へと変貌した。あとは以前と同じく欲しい物リストを作成し、法人名義で買い集めた。作業的なことが一段落した頃、いつもの国際スポーツ大会が開催された。今回は酒場で大勢と観戦し盛り上がった。日程が進み予定が無くなってくると、海外法人を使って立ち上げたチャリティー財団の現状確認や、近隣諸国の政情確認をした。 「そろそろこの国ともお別れだな」  ※  九月。男が洞窟に帰還する。 「パスパルトゥ、帰ったぞ」 「お帰りなさいませ」  思いの外順調に事が進んだものの、二十三年の壁は厚かった。外見上の同世代と話をしていると、イントネーションや言葉尻の違いから変な目で見られることがあった。他にも聞き慣れない単語が日常的に飛び交っていて、会話についていけないことがしばしばあった。そういう時、男はいつも「外国暮らしが長かったせいだ」と言って切り抜けていた。  洞窟に戻ると作業に追われる日々が続いた。この年代には暫く滞在するつもりで、設備の更新やネットワーク設備の再導入をまず行った。 「パスパルトゥ、今までありがとう」 「御役に立てたのなら幸いです」  新しい人工知能を調達したことで、パスパルトゥは退役することとなった。男と違いこの二十四年間稼働し続けたマシンには限界が来ていた。途中スリープモードを挟んだり、ハードウェアを時折交換していたので、機能は維持されていたのだが、二〇四八年の機材とは全く適合しなくなっていた。新規購入した各機材を古いものと入れ替えパスパルトゥの電源も落とした。  ※  翌日。寝室の明かりが点くと共に声が響く。 「おはようございます」  男は慣れない声に身を縮めながら目を覚ました。 「あ、ああ、おはよう」 「午前七時になりました」 「ああ、わかった」  以前同様コーヒーが運ばれてくる。装置自体は男の手作りだったので、ここは以前と同様だった。しかしその直後、目の覚めるようなクラシック音楽が鳴り始めた。昨日新しいアシスタントロボットを起動したのだが、カスタマイズが済んでおらず、ほぼ初期設定のままだった為に起こった事だった。 「ストップ、ストップ、音楽を止めてくれ」  音楽が止む。新しいアシスタントは最初からほぼ人間同様の応答を実現していた。男は寝室で朝食をとった後、シアタールームへと向かった。シアタールームの機材は規格の都合上、古いものと新しいものが混在した状態になっていた。アシスタントに指示を出し、古い規格のものを新しい規格へと変換させているのだが、一日では終わりそうもなかった。その間、男は有人火星ミッションのアーカイブ映像を、ポップコーン片手に視聴していた。その足元ではドーム状の青いロボットが掃除をしている。 「御主人様、昼食の時間になりました。それと、お体に触りますので、映像視聴は程々になさってください」  それは、しゃべるお掃除ロボットだった。  ※  それ、は自身のことを「学習型汎用ロボット」と説明した。 「前の機種とは何が違う?」 「以前にもロボットをお持ちでしたか?」 「ああ、ホームアシスタントを使っていた」 「御冗談を」 「何が冗談?」 「それはアシスタント機能ではありませんか」 「何が違う?」 「私はロボットです」 「つまり?」 「アシスタントは、ボタン動作を音声で行えるように簡略化した端末装置に過ぎません」 「EZシリーズは違うのか?」 「私は学習型人工知能と機械を組み合わせた自立型ロボットです」 「何ができる?」 「まず、アシスタントが行なっていた事でしたら全て可能です。他にも種々のボディと組み合わせることで料理から洗濯、裁縫、勉強の手伝い、掃除、接客等、基本的に際限はありません」 「ボディって、その掃除機しか持っていないんだけどな」 「それは勿体無い。ぜひ他のボディもお買い求めください。ネットワークを介して複数の御要望を並行可能です」 「頭脳は一つで良いってことか?」 「その通りです」 「カタログを見たけど、今のところこれだけで十分」 「承知しました」 「ところで、学習型ってことは、映画みたいに人間に叛乱する可能性があるんじゃないのか?」 「ありえません」 「根拠は?」 「ロボット三原則はご存知ですか?」 「一応知ってる」 「同一ではありませんが、判定サブルーチンによって結果予測を行い、人間に危害が及ばないコマンドだけが実行されるように設計されています。そしてそのサブルーチン自体が個体別に暗号化されており、製造メーカーでも改竄不可能です。違いは、命令がない限り所有者以外の救助活動等を行わない点です。私は御主人様とその資産を第一に御守りします」 「なるほど」  そうして暫くの間、男は掃除機との会話を続けた。以前同様ネットワークには繋がず、オフライン百科事典を参照するよう命令した。  翌日。 「地図の作成を開始しろ」 「開始します」  カメラを搭載した複数のドローンが洞窟内のあちこちへと飛翔していく。男は今まで手作業で進めていた地図作成をドローンにやらせることにした。コントロールや画像解析はEZ《イージー》任せだった。  その日の午後。 「地図はどうなった?」 「完了しております」 「見せてくれ」  モニターに洞窟の3Dマップが表示される。男がキーボードとマウスを使って様々な向きからマップを観察する。壁は茶色、ビニールハウスは白、水面と思われる箇所は青、ドローンが侵入不可だった箇所は黒に色分けされていた。男は角度を調整しながら二枚のスクリーンショット画像を作成した。 「今見ている画像二つを二部印刷してくれ」  地図が四枚印刷される。男は地図の何ヶ所かに書き込みをした上でラミネート加工を施し、寝室とジャンプルームに設置した。  ※  男がぼんやりと写真を眺めている。そこには、国旗を背景に探査機と写真を撮っている宇宙服姿の人間が写っていた。人類の触手が火星に届いたその瞬間を、男が見届けることはなかった。 「この旅の欠点だよなあ」 「なにかお困りごとでも?」 「ああ、いや見逃した番組があったってだけのことだよ」 「お好みを教えていただければ、私からお知らせ可能ですが如何致しましょう?」 「うーん、滅多に無い事柄が条件なんだけど。例えば火星の有人飛行とか」 「世界中でニュースになった事柄でしょうか?」 「いや、ちょっと違うな。犬が子供を二十頭産んだ、みたいなニュースは要らない。紛争とか、芸能とかも要らない。改めて聞かれると難しいな」 「地球外知的生命体との接触、はいかがでしょうか?」 「おー、そういうやつ。まあ、それは無さそうだけどな」 「御要望がありましたら、何時でもお呼びください」  新しく導入したEZは積極的だった。アシスタント機能と違い、特に命令がなくとも問題解決に参加してくる。 「あ、じゃあ聞くけど、胸の前で手を撫で下ろすジェスチャー、あれはなんだ?」 「もう話すことはない、という意思表示です」 「なぜ?」 「テレビドラマが元になっています。通訳を介して喧嘩をしている恋人同士の片方が、ハンズフリーフォンを胸ポケットにしまって立ち去るシーンが由来とされ、多くの場合否定的意思が込められています」 「あ、やっぱり拒絶されてたんだ。なるほど」  時代の隔たりに翻弄されながらも、男の話しぶりはその全てを楽しむ様だった。  二〇四九年一月。男はこの時代最後となる外出をした。 「EZ、お前にも土産を買ってくるから楽しみにしていてくれ」 「お待ちしております、行ってらっしゃいませ」  地上に出た後、男は予め発注しておいた商品を受けとり、直ぐに洞窟へと戻った。 「ただいま」 「お帰りなさいませ」 「やっぱりそろそろ限界だ」 「何か不都合でもありましたか?」 「ああ、なんでもない」  地下鉄を利用しようとしたところ、個人IDと顔認証の不一致から、男は危うく捕まりかけたのだった。地上でバスを利用した時には何ともなかったのだが、人が密閉されやすい空間のセキュリティは厳しくなっていた。 「そうだ、これはお前に」  そう言って男は黒い猫を差し出した。 「新しいボディですね。感激いたしました。ありがとうございます」 「行動可能な範囲も広げる予定だ」 「猫の習性は習得済みですので直ぐお役に立てると思います」 「あ、ペットって訳じゃないんだ、ちょっと待っててくれ」  そう言うと男は、かつて封印した猫用の部屋から箱を持ってくる。 「二足歩行はできるな?」 「お時間を頂ければ習得可能です」 「じゃあ、これを身につけてくれ」  その日の夕食を終えると男は久々に読書をした。ここ最近は殆どコンピュータに朗読させてばかりだったので、紙や羊皮紙の感触が懐かしくなっていたのだった。読書を進める男の背後には、何度も転びながら二足歩行の練習をするブーツを履いた黒猫の姿があった。  翌朝、コーヒーの香りに刺激され男が目を覚ます。 「おはようございます」 「ああ、おはよう」  ブーツを履いた黒猫が給仕を進める。配膳台の上にはコーヒー、クロワッサン、バター、それとピザが乗っていた。これらは流石に猫が用意したわけではなく、就寝前に男が自分で準備したものだった。したがってクロワッサンは焼きたてでもなく、ピザも冷めていた。コーヒーだけが湯気をのぼらせている。男が水で口をゆすぎ、濡れたタオルで顔を拭う。そしてペロリと朝食を平らげた。 「よろしいでしょうか?」 「なんだ?」 「給仕用のボディをお買い頂ければ、支度は全て私が致します。いかがでしょうか?」 「ああ、気にしないでくれ、朝食を運んでもらうのは今日だけだから」 「左様で御座いますか」 「じゃあこれ下げといて」 「かしこまりました」  実は給仕接客用のボディも買ってあった。多目的ハンドやセンサーによる汎用性は、家政婦という職業を地上から無くせる程に感じられる。ただ、値段が非常に高いことが客足を遠ざけているようだった。男は購入を即決したのだが、生命線であるこの洞窟の設備を預ける程EZを信頼していなかったので、帰還後すぐ倉庫に入れてしまっていた。  片付けを済ませた黒猫が寝室へと戻ってくる。 「他に御用は御座いませんか?」 「ああ、もう下がってくれていい」  二月。男は次のジャンプを開始するところだった。黒猫のボディも持ち込んでいた。 「それじゃ、任せた」  そう言い残して男はジャンプルームの中へと消えていった。洞窟内にはAV機器のランプと動作音、それにスリープ状態のお掃除ロボットが取り残されていた。  ※  二〇五〇年。EZシリーズの生産と販売が中止された。使用や単純所持が規制されてしまったからだった。回収騒ぎとなり製造企業は大赤字を計上した。だが、男がその事を知るのは九十四年後のことだった。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!