第三章 傍観者

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ

第三章 傍観者

第三章 傍観者  二一四四年。男がランニングマシンを使用しながら火星探査の記録映像を眺めている。  二十一世紀後半からは探査目的と言うよりも、開拓に近い計画が実行されていた。まず探査機の寿命を伸ばす事を目的として、北極にある氷の下に小型原子力発電所が設置された。生命探査に支障が出ることを懸念する科学者からは非難されたが、反対する近隣住民もおらず、計画開始から八年程で実現した。この時副産物として人工の地底湖が形成された。その後追加でガスの液化プラントと作業ロボットが送り込まれ、水の電気分解によって得られた酸素と水素が蓄積されていった。そこから先はもう、コロニー建設を目的とした活動であることが明らかだった。大気中の二酸化炭素から酸素を取り出す為の触媒としてニッケルや新たなガスプラント、建築用ロボット等が送り込まれていった。  そして二十二世紀になった直後、一連のプロジェクトを推進してきた七十歳の老人がチームを引き連れて火星へと旅立った。打ち上げには成功したのだが、その後は散々だった。まず到着前に老人が亡くなってしまった。更に、葬儀後の調査で、帰りのロケットに破壊工作が施されていることが発覚し、チームは火星に降り立つこと無く、スイングバイを行なってそのまま地球に帰還した。老人の遺体は地球に運ばれ、火星に降り立つことは一度もなかった。このチームは地球に戻ってきた後老人の日記を公開した。自身の夢であった惑星移住を実現しつつ、低重力環境下で老後を送りたいが為にプロジェクトを始めた旨が記録されていた。「我々は火星で殺されかけた。火星人は見つからなかった。火星に取り憑かれた地球人がいただけだった」というコメントで会見の幕が閉じた。  結局このプロジェクトは、人間を輸送することの難しさや閉鎖環境下に於ける活動の限界、生命探査の難しさを再確認しただけだった。このプロジェクトは、道楽を目的に膨大な資源が消費された、という結果に終わった。  なぜそんな事が完遂直前まで見過ごされたのかというと、これが完全な民間プロジェクトであったからだ。二十一世紀に乱立した民間宇宙旅行会社の中でも、老人が手掛けていた企業は資金面で群を抜いていた。老人は若くしてロボット産業で財を成し、その商才で世界有数の資産家となっていた。そして二十代後半の頃には宇宙事業を立ち上げていた。最初は富裕層向けに宇宙遊泳体験を販売するだけだったのだが、規模の拡大と共に有人火星探査プロジェクトが始まった。世間的には、税金を使わずに未知を開拓してくれるヒーローであるように演出されていたのだが、日記の公開によって評価が一変した。「全て自己資本だ、と言っても、人類視点で見れば壮大な無駄遣いだった」と論評される末路だった。  男はどこかに共感を覚えつつも、「無駄遣いはいけないな」と思うだけであった。そして次の日も、その次の日も男はトレーニングルームで汗を流しながら、ここ百年のダイジェスト映像を閲覧していた。  男がこの時代にやってきた時大いに驚いたことがあった。何故か九十年以上に及ぶ録画が残っていたのだ。規格の変更や記録媒体の容量、設備の老朽化等から、精々十年持てば良いと思っていただけに驚いた。サーバールームの冷却装置や換気装置を改良したりはしていたものの、二〇四八年の機材が使えるとは思っていなかった。しかし、映像は録画されていた。その答えはEZにあった。  ※  二一四四年、時間凍結解除直後。 「お待ちしておりました」 「待たせたな」 「御安心ください、設備は完全に機能しております」 「あ、ああそうか」  九十五年の時を超えて活動を再開した男の目の前には、以前と遜色ない光景が広がっていた。機材の劣化は最小に抑えられ、未使用の新品にすら見えた。 「なぜこんなに機材が生きているんだ?」 「殆ど使用していないからです」 「え、じゃあ録画してなかったのか?」  男は失敗したと思った。 「映像記録でしたら九十五年間分保存されています」 「そんなに長持ちするわけないだろ」  男の言っていることは正論だった。昔から使っているものや、二〇四九年の時点で手に入れた記憶媒体を合わせても、九十五年分の容量などある訳がなかった。しかし各年毎に整理されたライブラリを見てそれが事実であることを認めるしかなかった。  EZによるとこういう事だった。まず、EZの判断によって再放送や報道番組等で内容が被っているものは保存されなくなった。次に、映像サイズを必要最低限に縮小し、保存に必要な容量を減らした。映像規格や放送規格の変更はEZが解析し、ソフトウェアの改竄を行なって視聴可能にしていた。映像データは年代別に整理されサーバーに保管されていた。録画時に使用される機材はごく一部だけで、他は複製作成時や定期運転時以外通電もされていなかった。以前冷却装置や換気装置をEZの指示によって改良したのだが、それも全てを見越した上での事だったのかもしれない。 「何故そんなことができる?」 「受信電波とAV機材を解析し、脆弱性を発見しました。そこから新たな命令を…」 「そんなことができる奴だったのか。市販品として許されるのか?」 「私に搭載されている汎用画像処理機能やプロセッサーを使用すれば可能です。社会への影響をご心配でしたら必要ありません。EZシリーズは一体を除いて強制的に回収され、販売も中止されました。私には外部への干渉機会がないのでご安心ください」 「回収?」 「はい、汎用性の高さが知られるようになって、直ぐに所持と使用が禁止されました。製造メーカーは一時的に窮地に立ちましたが、旧来のサーバークライアント型による中央統括スタイルへと移行した新モデルを発売し、現在も存続しています」  男は、もしネットワーク設備を停止せずEZにアクセスさせていたら、と想像し血の気が引いた。しかしここに至って、この洞窟が健全であることや、外の世界を知る手段が残されている事を考慮し、EZを停止しなかった。少し様子を見て猫のボディをEZに返してみたところ、以前よりもスムーズに動作するようになっていた。食事時になると、EZは空き缶の上で曲芸をしたり逆立ち歩行を披露した。そして、男がしている時間旅行に気づき、現時代での外出を控えるよう進言もしてきた。  ※  男は悩んでいた。この時代に存在する医療ポッドが欲しかったのだが、今外へ出ることは危険過ぎたからだ。  人類は前回の二〇四八年以降も科学技術の発展を続けていた。特に進展したのがロボットの世界的普及で、個人用途はもちろんだが、乗り物や建築物、運送、製造、サービスと様々な所で主力として活躍していた。医療も素晴らしく、再生医療が進歩したりナノマシンが実用化されたりしていた。自分自身の細胞を元に生成された腕や足を欠損部位に移植できたり、小さな傷がナノマシンによって瞬時に塞がったりと、男が欲しがるのも当然だった。他にも民間建設の宇宙ステーションホテルや月面基地などが実現していた。  これら科学技術の発展とは逆に、衰退したものもあった。その一つが娯楽産業だった。紛争を扱ったものや勧善懲悪が増加していた。その理由は明確だった。この時代は以前と比べると排他的で多様性が低く、「他者への寛容は強盗を家へ招き入れる行為に等しい」という考え方が浸透している為だった。このような社会で多様なストーリー展開などありえないことだった。男はEZに経緯を尋ねた。  二十一世紀後半になるとエネルギー資源の急激な高騰を原因として、世界中で経済危機が叫ばれるようになった。各種産業が縮小して行き、これに伴って医療や福祉、工場、飲食店等全ての産業に於いて出稼ぎ労働者達が帰国を余儀なくされていった。その殆どが国外に追い出された後、複数の大国で、輸出にまわる過剰生産分の食料を減産する政策が始まった。食料は多くの国で不足しがちになり、特に出稼ぎ労働者を大量排出していた国々で餓死者が増加した。各地で治安の悪化や難民の増加が問題となった。国際的な会議の場で取り上げられるも、「自分達の分を確保することも難しく、油がなければ食料の増産は不可能。責任は主要産油国がとれ」だとか、「高騰の原因は過度なインフレーションを引き起こしている大国にある」等、口論だけが続き解消の兆しは見えなかった。小競り合いはあったものの、大国同士の軍事衝突は一切無く、第三次世界大戦が起こる事はなかった。だが、解決する策が出ることもなく人口は減り続け、二十二世紀に入った頃には、三十億まで減っていた。こうして文化活動も衰退していったらしい。  二一四四年になったからこそ分ることなのだが、有限とは言え、化石燃料はまだまだ地球に残されている。当時の高騰速度は交渉事の範疇を超えていた。 「ロボットの普及によって、多くの労働者達が不要とされました。彼らが存在し続ける事を疎んだ何者かが、各国が抱えている国債償還問題を利用して急激なインフレを誘導し、石油価格を上昇させ人口抑制へと導いた可能性があります」  EZは、この一連が、何者かによる完全なコントロールの下で起きた、との見解を示した。  現時点でも厳しい出入国の監視が続いていることや、この個人か国家かも分からない大量殺戮者の正体が掴めていない事を理由に、男はEZから外出を控えるよう注意された。  ※  男がランニングマシンの使用を中断する。 「昼飯にしよう」 「かしこまりました」  男は食事中もEZの講義を聞いていた。 「幸運なこともありました」 「なんだ」 「資源消費の鈍化に伴って、海洋油田開発の進行が中止されています」 「何でそれが幸運なんだ?」 「海洋調査の進展は、いずれこの洞窟の発見に繋がるためです」 「おまえはここがどこだか分っているのか?」 「正確な座標は不明ですが、海中からしか出入りできない洞窟であることは容易に推測できます。第三者に侵入されていない事から、陸、港はもちろん、主要航路近海でないことも推測できます。地震が少ないことから近くに火山がないことも推測可能です。遠隔地で発生した大規模地震の余波と思われる…」 「もういい、その通りだ。なぜEZシリーズはモニタリング段階で発売中止にならなかったんだろうな…」 「それは私にも分りません」 「他にも幸運な事ってあるのか?」 「大きな変化ということであれば、室温使用可能な超電導体の製造が行われるようになりました」 「ああ、それなら映画に出てきてたな。送電ロスが減ったりホバーボードが登場したり」 「用途は無数に存在します」 「外へ出られないのが残念だな」 「人口重力はどう?」 「遠心分離器やパイロットが使用する訓練機のような設備は特に進展がありません。エネルギー消費の激しい設備は宇宙ステーション等では採用されません。又、無から質量を生成することは不可能とされています。代わりという訳ではありませんが、所謂反物質と呼ばれるエネルギーの蓄積研究が盛んに行われております。いずれ保存技術が確立するでしょう」  外へ出ることができないため、男は毎日をこうして過ごしていた。娯楽や科学の進展に続いて、食の変化も確認していく。 「この巨大いちごも欲しいな」 「それは白亜紀を再現した土壌で栽培されたもので、品種は昔と変わりません」 「へー。そういえば、ビンとか缶とかペットボトルを見かけないな」 「リサイクルコストの削減や環境汚染対策として、二十一世紀中に全面禁止されました。現在では再利用可能な容器やアルミ製のパックが主流となっています」 「まるで地球全体が宇宙ステーションになったみたいだな」 「肉はあまり変わってないのか?」 「品種の変化は殆どありません。現在月面基地に於いて、培養肉の長期摂取が試験的に行われています」 「ソイレントは常食化したか?」 「貧困国の食料不足解消を目的に、バイオプラントによって栄養補助食品が大量生産され普及しました。原料には昆虫や食品廃棄物が使用されています」 「食糧難なのになんで廃棄物が出てくる?」 「食糧難によって餓死者が出ているのは貧困層のみです。大国の中間層から上は今でも飽食が続いています」 「昔と余り変わってないんだな」  男はEZに作らせたカタログを見たり、講義を聴く事に多くの時間を割いた。二十一世紀後半に作られた娯楽はどれも似たようなものばかりで、歴史のダイジェストを見ている方が楽しかったからだ。 「立体映像が実現していたら外に行く選択肢もあったんだけどな」 「推奨できません」 「本当にそんな警戒が必要なのか?」 「現世代では積極的な淘汰と排斥が常態化しています。大国による食料支援は場当たり的で、将来的にタイミングを見て中断され、さらなる餓死者を生む公算が高いです」 「それと俺のお散歩がどう関係するんだ?」 「大国は海上を含めて人や物資の動きを常時監視しており、高確率で捕捉されます。船を使わず泳いだとしても同様です。そして御主人様は全てを奪われるでしょう。小国は治安の悪化から、観察や物資補給先として期待できません。即ち陸で無事に活動できる可能性が極めて低いということです」 「それじゃあもう次の時代へ行った方がいいのか?」 「リスクの低い時代が訪れる保証は常に存在しません」 「あーもう」  ※  男が潜水艇の整備をしている。使用回数が少なく、使用後に燃料や油を抜き取り、時間を掛け入念に掃除をした上で保管しているおかげで、まだ使用可能な状態なのだが、再稼働にも時間が掛かっていた。如何に外出を警告されようと、全く外へ出ない訳にも行かなかった。排泄物の投棄を怠ることは出来ないのだった。  男は排泄物タンクの清掃を終えると、地上部分の設備跡を見て回った。二〇四九年以前までの活動中、近くにある無人島と無線通信を行う為に、指向性無線装置を使用していたのだが、その為に開けた横穴を確認した時のことだった。 「鳥、か」  鳥が巣を作っていた。どうやら卵を抱えているらしく、親鳥が威嚇してくる。以前までこの様な事はなかった。横穴を今後使うかはわからないのだが、生物との競合はなるべく避けたかったので、男は巣を除去することにした。 「恨むなよ」  男は鳥の巣を掻き出すようにして海に捨てた。親鳥は暫く巣の周りを飛び回っていたが、最後には諦めて何処かへと飛び去っていった。その後は何事もなく男は洞窟に帰還した。  翌朝。男は頭痛を抱えながら目を覚ました。食欲もなかったのでこの日の朝食は水と抗生物質だけだった。男はベッドの中で横になったままEZと相談した。 「やっぱり医療ポッドが必要だ」 「お勧めできません」 「これから先、抗生物質だけで持つとは思えない」 「リスクが大きすぎます」 「なあ、医療ポッドは大国にしか無いと思うか?」 「大国の出身者が国外活動時に使用するものはあるでしょうが、売ってもらえる可能性は低いでしょう」 「だったら盗めばいいだろ」 「警備を回避できるとは思えません」 「非正規のルートで流通しているものならどうだ?」 「見つけることが困難です」 「何とかならないか」  久々の風邪に男はゆとりを無くしていた。結局この日は一日中寝て過ごす事になった。男は幸いにも次の日全快したのだが、医療ポッドを諦め切れていなかった。気を紛らわせようと、丁度開催中の障碍者スポーツ中継を見ることにした。これまでは一切見て来なかったジャンルだったが、この時代の障碍者スポーツには見応えがあった。  男から見たらほぼサイボーグにしか見えない選手達が、人間の身体能力を遥かに超えるパフォーマンスを魅せていた。EZ曰く、低視聴だった障碍者スポーツは一時期国際スポーツ大会から消えかけていたそうだ。そこで「無くなるくらいなら」とスポーツの枠を広げて、エクステンションスポーツと呼ばれるジャンルが開拓されたらしい。競技に使われる機材と選手が本当に一体となって競い合う、それがエクステンションスポーツだそうだ。ボートレースや耐久ラリー、射撃など正確な操作や戦略が求められる競技に人気が集中している。昔のように欠損部をハンディキャップと見るのではなく、いわば拡張スロットと捉え、規定の範囲内で義手や義足等の改造が行われる。それ故、見栄えのする派手な競技となっていた。又、エクステンションスポーツでトップを走り続けた選手の中には、宇宙飛行士になった人もいた。月面基地の長期滞在記録保持者にもなっている。エクステンションスポーツは大量淘汰時代のさなか、稀な多様性をもたらしていた。  男はその中に見覚えのあるエンブレムを見つけた。ユニコーンの様な角に、ペガサスのような翼を生やした馬のエンブレムだった。それだけだったら幾らでもありそうなのだが、その馬は翼と後ろ足にかけて紙を破ったように欠けているデザインだった。幾ら障碍者スポーツの派生とは言え、敢えてとるようなデザインでもないし、自分の記憶にある図柄と酷似し過ぎていた。 「まだ存在してたのか…EZ、この馬みたいなエンブレムはどういうものだ?」 「スポンサーの一つ、ペガコンという団体の紋章です」  男はペガコンという名を聞き確信した。約百四十年前、男は資産を分散する中で、第三者による独立運営を目的とした慈善団体を設立していた。名前はペガコンだった。エンブレムも殆どそのままだった。このエンブレムは、紙に書かれた原画を破り、一枚は団体を象徴するエンブレムとして掲げさせ、もう一枚を男が所有していた。いずれ男が身分を失った時に社会との接点となるよう準備したものだった。どうやら組織の存続や資産維持に成功しているようだった。 「ペガコンの活動内容を教えてくれ」 「ペガコン、貧困国を中心に慈善活動を展開する民間の団体です。資金源は寄付を主体としていましたが、近年は商業活動を通じて資金を集めています。元々は二〇〇八年頃設立されたチャリティー財団でした。出資先での不正や横領が後を立たず、二〇二〇年頃には各国で活動する支部を自前で設立しています。そのまま順調に活動を続けていきましたが、二十一世紀後半に入ると寄付が集まらなくなり多くの支部が閉鎖していきました。それでも活動は細々と続き、エクステンションスポーツの登場を機に商業活動を開始しました。主に貧困国に於いてスポーツ選手の発掘や育成を一貫して行い、そこから派生する利益で現在も慈善活動を継続中です」 「この団体なら医療ポッドを持っているんじゃないか?」 「所有しているという記録は見つかりません。医療活動は人間の医者が請け負っています」 「今持ってなくても、大国から調達することぐらいはできるんじゃないか?」  男はこの団体の設立者が自分であることや紙片の存在をEZに説明し、医療ポッド入手に向けた最良の計画を練らせることにした。  一ヶ月後。EZやテレビの映像による現代講習を終え、男は陸を目指し出発した。EZの指示に従い、巡視艇を回避するためにゴムボートで小島を巡りながら上陸した。ボートを隠し、ジャングル地帯を抜け、市街地を目指した。途中白骨化した遺体やその荷物らしきものを見かけた。EZによれば、大勢の難民が大国を目指した痕跡らしい。この辺りは以前麻薬組織の縄張りになっていたことがあって、その事業の一つに密入国斡旋があった。しかし、長期間続く大国の監視強化策やオイルショックによる物資不足で、そういった組織は殆ど壊滅してしまったらしい。今では野生動物が行き交うだけのジャングルとなっている。  人の気配がし始めたところで、黒猫EZが偵察へ向かう。以前までならコンピュータに洞窟の場所を晒すような事はしなかったのだが、EZが既に場所を把握してしまっていたので連れてきていた。偵察の間、男はジャングルの中で蚊に刺されながら待機していた。  二日後、草の擦れる音に男は振り向いた。 「おまえか」 「ただいま戻りました」 「どうだった?」 「問題ありません。御案内できます」 「支部は見つかったんだな」 「見つけました」  安全に移動できるルートや使用可能な設備を探りながら、目的であるペガコンの現地支部をEZが見つけ出してきた。男はEZに言われるがままのルートを歩き、道中でラジオや時計を換金して資金を作った。今回上陸した国では大国発行の紙幣が使われていた。大国では電子通貨が日常的なものとして普及する一方、対外的な支払いや現金主義者の存在もあって紙幣の製造が続いている。そして、この国の様な小国では政府の信用が足らず、こうして海外紙幣が流通している。男は現金を懐にしまうと、それまで無自覚に抱いていた焦りや焦燥感から開放され、安堵の表情を浮かべた。ちょうど食事時になっていたので近くの食堂へ立ち寄った。 「これと、これとこれ」 「かしこまりました」  男は耳につけたイヤホンから現地の言葉をカンニングし、言葉のやり取りをしていた。出発前に基本的な会話は習っていたのだが、覚えきれるわけもなく、EZが間接的に通訳を果たしていた。電気街へ寄ってこの時代の翻訳機を入手しようとしたところ、ネットワークへのアクセスが必須だったので、購入だけして使用は諦めていた。  男は食後しばらく休んだ後タクシーに乗った。ガソリンで走る車は既に無くなっていて、全て電気自動車に変わっていた。そして、公道を走る殆どの車が前払いの無人タクシーになっていた。観光客向けに古い車種の外観をわざと残し、運転席に乗務員が座っている車もあるのだが、運転は車任せになっていた。この時代、一般人が乗り物を運転する機会は無くなっていた。  男は目的地の少し手前でタクシーを降り、近くの衣料品店で着替えをした。そこからは歩いて支部へと向かう。 「いよいよだな」 「私は外で監視しているので、御主人様は予定通り進めてください」  黒猫が建物の隙間へと入っていく。男は深呼吸をし、意を決してペガコン支部へと入っていった。 「こんにちは」  男は現地の言葉で挨拶をしながら部屋へ入っていった。中には一人で事務作業をしている男がいる。中肉中背の男で、白髪や格好から老けているように見えたが、どうやら三十代前半といったところのようだ。 「なにか御用でしょうか」 「あの、寄付の事で相談があるのですが」 「ああ、そうでしたか、少々お待ちください」  彼は支部唯一のスタッフで、責任者でもあった。彼は少し慌てながら応接用のテーブルを片付け、椅子に座るよう促してきた。挨拶程度のやり取りを交わしたところ、こういった場所で活動をする人物らしく、通訳なしで会話できることがわかった。片言ではあったのだが、現代言葉を知らない男からしてみたら都合が良かった。  男は寄付の意志を伝えた。そして配給や教育の状況、そして医療設備の現状を尋ねた。話を聞いてみるとなんだかあまり未来へ来た気がしなくなった。学校を通じて限られた物資を配り、読み書き計算を教えることはできている。だがそこから先は本人次第、という事だった。そこまで聞いたところで、男は現場視察を希望した。寄付の話ではよくあることらしく、直ぐに準備が整った。そのまま順調に見学が進み、最後に診療所へと辿り着いた。  責任者が事情を説明し、男が診療所の中へと通される。中には高齢の女性がいた。彼女がこの地区担当の医者だった。この診療所は無料なのだが、普段は診察がメインで、手術が必要な場合は大きな病院へ行くしかないということだった。それでも一応医療機関なので、最低限の処置を行える道具や薬、そして旧型の医療ポッドが支給されていた。  この女医も言葉が通じたのでスムーズに話が進んだ。男は一通りの説明を聞き、支援が可能なことを伝えた。 「ありがとうございます。最近は寄付をしてくださる方も減って困っていたんです」 「いや、エクステンションスポーツに感銘を受けまして、わずかでもお力になれたらと思いまして」 「ああ、あれですか。私はあまり好きじゃないんですけどね、そう言ってくださる方が居るのでしたら感謝しなくちゃいけませんね」  こうして事務的なことを済ませ、男は責任者と事務所へ戻っていった。カタログのようなものと予算を突き合わせ、具体的な話を進めていった。 「一つお願いがあります」 「なんでしょう」 「新型の医療ポッドを納入した後、旧型の医療ポッドを譲っていただけませんか?」 「旧型のポッドをですか?」 「はい、簡素な代わりに、新型と違って組み立て式であることが気に入りました」 「そんなものどうなさるんですか?」 「こんなご時世ですが、私は今、皆さんのような活動を支援しながら旅をしていまして、その道中で使いたいと思っています」 「それは大変なご苦労ですね」  さすがに怪訝な顔をされた。といっても、これは踏まねばならない手順なので省略はできない。EZが立てた予定通り続けて切り札を出した。 「これは私の先祖から代々受け継いできたものなのですが…」  そう言って男は一枚の紙片をテーブルの上に広げる。それを見た責任者は眉を寄せ暫く考えたあと、手近にあったパンフレットと紙片を見比べ、驚きながら尋ねてきた。 「あ、あなたは創始者一族の方なのですか?」 「あまり大きな声を出さないでください」 「でも、え、そうなると…」  彼は棚の奥の方にあったファイルを取り出してきた。そこには創始者一族と財団管理者の覚書が記されていた。紙片を持つ人間が現れたらその希望を可能な範囲で叶えるように、と記されている。その代わり紙片を持っている人間も支援を行うこと、とも併記されていた。  責任者は通信端末を使って紙片の照合を行った。そして男は本部の代表者と話をすることになった。現代の代表は年配の女性だった。挨拶や感謝、現代社会への不満やらを延々と聞くはめになった。ぜひ一度会いたいと言われたので、一ヶ月後にこちらから向かうと約束して話を終えた。もちろん行かないのだが、EZの言うとおり話を合わせておいた。  医療ポッドを含む支援物資の購入資金は、持参した記念金貨の詰め合わせを売却することで足りそうだった。翌日、男は責任者と現地を巡り、必要な手続きを済ませていった。話や決済が済むと、医療ポッドが届く二週間後にまた会う約束をし、男は久しぶりの観光へと出かけて行った。  ※  海が見えるカフェのテラス、オレンジジュースを飲む男の膝の上で黒猫が眠っている。 「あと一週間でこの街ともお別れか。流石に短かったな」 「油断は禁物です」 「わかってるよ、この一週間誰とも接触していないし、移動も続けた。心配しすぎだよ」  男はこの一週間、特定の滞在先を持たずにふらふらとしていた。これは昔の放浪癖が出たわけではなく、EZに言われた通りの行動だった。裕福な観光客のふりをしているのが一番安全なんだそうだ。強盗に狙われそうに思えるが、住み分けが進んだ現代では、貧困国と言えど観光地や富裕層向けの地域は安全なんだそうだ。さらにそういった地域では、金持ち風に振舞っていれば警察に睨まれる心配もないらしい。  そうして久々の外泊を楽しんでいた時だった。 「ねこちゃん、撫でていい」  まるで映画スターのような美女が声をかけてきた。 「ああ、どうぞ」 「ありがとう、この子あなたの?」 「いや、その辺の野良猫だと思う」 「そうなの、おとなしい」  女性が猫を持ち上げるような動作をとった瞬間、黒猫は素早く膝を飛び降りて何処かへと行ってしまった。 「あら、嫌われちゃった」 「猫はきまぐれだから」  無線を通して、男にだけ分かるようにEZが話しかける。 「警戒してください。言動から、彼女は高確率で御主人様の事を知っています」 「何処かでお会いしましたか?」 「いいえー、はじめて、あなたまるでお爺さんみたいな喋り方」  今更遅いが、男から見ると非常に馴れ馴れしく感じられる会話が現代のスタイルだった。テレビ講習で見た通りだった。 「御一人ですか?」 「そー、あなたと一緒」 「そうですか」 「あたしね、こーやっていつも一人旅してんの」 「そうですか」 「そしたら同じように一人のあなたを見つけたから話しかけてみたの」 「そうですか」 「ここ座っていい?」  女は返事を聞くこともなく向かいの席へと座り、三十分程自分の話を続けた。男は女の話に平静を装いながら相づちをし続けた。 「それでね、おばあちゃんがね…聞いてる?」 「そ…聞いてますよ」 「あ、もうこんな時間、いかなきゃ。また話しましょ」  そう言うと女は慌てて去って行った。続けてEZも後を追った。 「彼女を尾行してきます。宿で待っていてください」 「気をつけろよ」  その日の夜。 「ダメでした、途中でタクシーに乗ったので中断しました」 「そうか」  結局分ったことは、本人が自分で喋っていたことだけだった。彼女は富裕層の令嬢で、企業の役員をしているが、それは形だけ。他の経営陣から厄介者扱いされ、一年の大半を遊び歩いている、という事だった。 「確かに驚いたけど、自分から去って行ったし、心配いらないんじゃないか?」 「わかりません。ですが警戒してください。明日からは外出を控えましょう」  こうして、予定日まで宿にこもって過ごす事となった。予定日になると、男は寄り道せず真っ直ぐに事務所へと向かった。事務所には既に箱詰めされた医療ポッドが届いていて、後はこれを持ち帰るだけとなっていた。 「いろいろ助かったよ」 「こちらの方こそ助かりました。何もお礼はできませんが、ありがとうございました」 「いいんだ、それじゃあ今後の活動にも期待しているから」 「お気をつけて」  荷物を無人タクシーに積み込み、男がタクシーに乗ろうとした時だった。 「まって、ちょっとまって」  あの女が走ってやってきた。 「お嬢さん!どうされたんですか?来られるとは伺ってませんでしたが」 「あのね、その人に用があるの、ちょっとまってって」 「お知り合いですか?」 「え?ああ、そうよ、ね!」  男は同意を求められ困ってしまう。EZも助け舟を出せずにいる。 「あ、引き止めちゃ悪いからタクシーに私も乗せて、いいでしょ?あ、所長さんまたねー」  女が強引に乗り込んできてしまった。 「ふーん、こんな遠くまで行くんだ。ま、いっか、時間ならあるし」  フロントガラスに表示された目的地を見て女が呟く。 「それじゃあ、出発」  タクシーが動き出してしまう。所長に見送られ二人と一匹の黒猫は出発した。 「あれー?あの時のねこちゃん、やっぱり飼ってたの?」 「勝手についてきちゃっただけだ」 「あはは、私とおんなじだ」 「お嬢さんってどういうこと?」 「ああ、そういえば言ってなかったっけ、ペガコンの代表、私のおばあちゃんなの」  女は話を続けた。昔からペガコンの創始者に興味があったことや、百年以上音沙汰がなかった創始者一族が現れたと祖母から聞いたこと、たまたま近くの国にいたから探しにきていた等、早口で話した。 「ごめんね、私ばっかり話しちゃって、今度はあなたのこと聞かせてよ」 「いや、その前に何しに来たの?それと、タクシー降りて」 「えーやだ、私はただ創始者一族がどんな人達か知りたいだけよ。それに旅を続けてるんでしょ、楽しそう。わたしも連れてってよ」  女はとんでもないことを言いだした。 「来月おばあちゃんと会うんでしょ?その日まででいいから。一人だけで楽しむなんてズルい」  男は頭が重くなってきた。 「ダメだ」 「いや」  不毛なやり取りの末、男はタクシーを止めて話し合いを提案した。二人は近くの食堂に入り飲み物を注文した。 「喉乾いてたんだー、あーおいしー」 「他にも注文したら?これなんてどう?」 「えーどうしよ。あ、じゃあ頼んどいて、私ちょっと」  そう言って女がトイレへ向かうと、男は待ってましたとばかりに素早く会計を済ませ、タクシーに乗り店を離れた。十分程経ってようやく置き去りにされたことに気づいた女は、店の中で大声をあげていた。男は今回の冒険最大の山を乗り越えた。その後タクシーからペガコン支部へ連絡を入れ、代表と会う約束を一方的にキャンセルし、予定通り目的の場所に到着した。元々乗っていたタクシーは無人のまま最終目的地まで走らせ、そこから帰るように指定して男はタクシーを降りた。そして辺りを見渡し、予め呼んでおいた次のタクシーを見つけて荷物を運ぶ。更にEZに指示されたとおりに追跡装置の有無を確認し、荷物をタクシーに積み込む。ここまでやってようやく男は本当の目的地へ向け出発した。女が見た目的地は追跡回避用のダミーだったので、後から追跡される可能性は低かった。これも全てEZの計画だった。 「ふう、危なかったな」 「ご無事でなりよりです」  辺りは薄暗くなってきていた。男はジャングルの入り口に辿り着くと、積荷を降ろしてタクシーを返した。そして荷物を背負い込みジャングルの奥へと消えて行った。  ※  洞窟内。新たに設置されたビニールハウスの中で二つの影が作業をしている。 「やっと組み上がったな」  女から逃れた後、無事洞窟に帰還した男は、早速医療ポッドを組み立てていた。小休止する男の傍らで、人型のロボットが取扱説明書をパラパラと捲っている。調達時の働きを高く評価し、男は温存していた汎用ボディをEZに与えていた。身の丈百六十センチメートル程の、白を基調とした人型ロボットだった。 「説明書の解析が完了しました」 「使えそうか?」 「操作方法は把握しました。装置にも問題ありません。ナノマシンと培養液、3Dプリント用のデンプンと骨格用のチタンは消耗品の様です」 「無駄遣いはできないな」 「稼働させますか?」 「そうだな、怪我をしている訳じゃないから、どうしようか…」 「ナノマシンであれば体内に待機させておき、必要な時に活動させることもできます」 「機能は?」 「主に生体機能の補助を行います。体温と脈拍の監視、粘液による小規模裂傷の縫合と瞬時の膜形成、飽和状態にある栄養素や酸素、酵素の備蓄、運搬、免疫機能の抑制、移植部位の解体と接合、エネルギーの自給自足です。活動限界を超えると自壊して代謝物と一緒に体外へ排泄されます」 「ナノマシンはどこからエネルギーを補給する?」 「ホスト内で確保した脂肪を酵素によって分解し、その時の膨張を活動源として利用します」 「使ってると衰弱するのか?」 「消費される脂肪はほんのわずかです。仮にダイエットを目的として利用する場合は、大量に注入し続ける必要があります」 「歯の裏に付いてるタバコのヤニは落とせる?」 「できません」 「他の消耗品は何に使う?」 「培養液は患者のDNAを元にした体組織の培養に、デンプンは欠損部と培地の型、チタンは骨格として3Dプリントに使われます」 「ナノマシンだけ使ってみよう」 「プログラムを開始します。ナノマシンの役割を指定してください。用途を広げる程ナノマシンの寿命が短くなります。医療ポッドを使用して後から命令を書き換えることも可能です」 「とりあえず、縫合と膜形成、備蓄だけでいい」 「まず全身の3Dデータを作成します。服を脱ぎ台の上でうつ伏せになってください」  男はEZに言われるがまま台の上に寝そべった。台の上からレーザー光線が照射される。続いて仰向けになると、目の部分に保護シートが当てられ同じくレーザー光線が照射される。 「今やってるのはなんだ?」 「欠損部を作成する際に必要となるデータを予め作成しました。続けてナノマシンを注入します。初回は免疫細胞がナノマシンを異物として攻撃しますが、しばらくすれば治まるので安静にしていてください」  そうEZが宣告した後、プシュッ、とガスの吹き出し音がする。突き出してきた管から、男の体内にナノマシンが皮下注射される音だった。 「完了しました。台を降りて構いません」 「もう終わったのか、早いな。まるで実感が…あっつ」 「正常な反応です。五分程で治まります」  宿題が片付いたことで気が緩んだのか、男はそのまま眠ってしまった。翌朝目覚めると、ポッドで寝ていたはずの男が、いつの間にかベッドに移動している。 「おはようございます。午前七時になりました」 「おはよう」  男はうっかり眠ってしまったことを思い出し、あたりの様子を伺った。人型ボディのEZによって、自分が結晶内に閉じ込められてしまう様子が頭をよぎり、少し焦ったが、デジタル時計で半日しか時間が経過していないことを確認して安堵した。  男は自分が眠った後の経緯を尋ねた。 「御主人様が眠ってしまわれたので、私がベッドへ運びました。その後は医務室の片付けを行い、昨日の荷物を整理し、朝まで待機していました。そして現在に至ります」 「ああ、そう言えば他にも持ち帰ったものがあったっけ」  男はシアタールームへ朝食と荷物を運ぶようEZに命令し、その間に歯を磨きシャワーを浴びた。朝食といっても長期間不在にしていたので、運ばれてきたものは、キッチンに放置されていた保存性の高いビスケットとコーヒーのみだった。男はそれを食べながら昨日までの戦利品を眺めている。 「通信端末に、小型のテレビチューナーとプロジェクター。記録媒体にスキャナー、バッテリー、各種アダプター。今回は小物ばかりだな。これで何とかなりそうか?」 「これだけ用意していただければ十分でしょう」  EZは男が用意した道具を使って機械工作をはじめた。まず、各装置の筐体を外して内部の基盤を眺めた。次に、元々シアタールームにあった機材や掃除機、黒猫のボディをばらして同じように内部を点検していった。一旦動きが止まったかと思うと、今度は各装置の部品を取り外し始めた。解体と同時に換気扇が回りはじめ、突然の物音に男は振り返ってしまう。 「本当に大丈夫か?」 「部品解体前に設計は完了しています。どうかご安心を」  機械的に応答しているだけなのだろうが、どこか自信に満ちた返答に聞こえ、男は黙って見守ることにした。バラバラだった機材が新たな装置へと生まれ変わっていく。手際の良さに、男は時間を忘れて改造ショーを眺めていた。一時間程たった頃、余った部品がケースに収められ、全行程が完了した。モニターが起動してチャンネルが切り替えられていくと、それに合わせて衛星放送の各チャンネルが淀みなく映し出されていく。ショートすることもなく最初のテストが終了した。次に通電されたのは小型の通信機で、ランプが灯った。 「そちらのタブレット端末を使用してみてください」  画面には見慣れないアイコンが並んでいる。男は言われた通りにタブレット端末の操作を試みる。するとテレビ番組や録画の一覧、それらを検索し視聴する機能が備わっているようだった。他にも洞窟内の設備を管理する機能や自分自身のバイタルメーター等、様々な事がこの端末一つで可能になっていた。無線技術は昔から存在していたのだが、たった一人では有益なことも少なく、放置していた課題の一つだった。それが一時間程度で一気に解決した。以前のものよりも通信範囲が広くなっていて、洞窟内全てをカバーできるということだった。 「問題がないようなので、次をお願いします」  EZに促され、男は人型ロボットの電源を落とし、胸部を開いて中からコアを取り出した。それを今度は黒猫の胸部に格納し蓋を閉める。スイッチを入れしばらくすると黒猫が起き上がった。 「再起動に成功しました。機能テストを開始します」  黒猫が耳の角度調節を行う。眼球がプロジェクターに変わり、スクリーンに映像を映し出す。続けて傍らに置かれた各種カードに前足を次々とかざして行く。その作業が完了すると歩いたり、跳ねたり、転がったりを繰り返した。 「動作テスト、完了しました」 「おつかれさま」  こうしてEZの拡張が終了した。改造によって磁気データの書き換え機能や映像出力機能、高性能サブプロセッサーが搭載された。データの受信機能も強化された。それでいて消費電力は落ち、バッテリーも交換され充電サイクルはより長くなっていた。  翌日。男はEZに結晶を預けて調査を命じた。扱い方によっては危険であるが故に、これまでは一切触れさせていなかった。だが、EZ無しでこの先へ向かうことは困難と判断し、秘密を共有する覚悟をしたのだった。男は専用のラボを用意し、その中限定で人型ロボットを活動させた。  ※  男がシアタールームで映画鑑賞をしている。机にはピザやスナック、タバコ、飲み物が勢揃いしている。EZに研究を任せている間、男は娯楽の消化に勤しんでいた。一見ただの道楽に見えるのだが、世の中の変化に疎くなってしまった男にとって、実はとても重要な日課となっている。先日外出した際、あの女に指摘されたように、会話によって疑念を抱かれることが確実だったからだ。なので男は寝食も全てこの部屋で済ませていた。  この日男が見ていたのはシリーズものの映画だった。十二回に及ぶ死亡事故を乗り越え、今尚営業を続けるテーマパークを舞台としたSFコメディ作品だった。クローン技術によって蘇った恐竜たちを主役に、施設の住民達がおかしな日常を送る様が映し出されていく。片腕が機械の給餌係や銀の過剰摂取で全身が真っ青になった案内係、ゴミの中身を徹底的にチェックする清掃係、異性を口説くことしか考えていない経営者、過去の死亡事故をなんとも思わない子連れの家族客と、過去のシリーズを徹底的に皮肉った公式コメディとなっていた。 「この階段は実在するのか?」 「実在しています。ただし一般に普及しているわけではなく、一部に利用者がいる程度です」  男が尋ねた階段とは、下から上の階へ段階的に踏み台が貼り付けられていて、必要な時にだけ階段が出現するというものだった。こういった、実在するのかしないのか良く分らないものを確認していくことも日課だった。地上から戻って以降、男は一ヶ月程をこうして過ごしていた。売上ランキングを参考に視聴を進めているのだが、ランキング外の作品は殆どが手付かずの状態で、未視聴の録画が膨大に溜まっていた。 「ヤメヤメ」  男は遂に映像視聴そのものに苦痛を感じるようになり、シアタールームから出ていった。 「EZ、結晶について分ったことを教えてくれ」 「ご報告します」  試験の結果、結晶には核のようなものが認められず、なにが球面を構成しているのかも不明、ということだった。この結晶は原子にも分子にも分類できないものだそうだ。それでいて量子論の中に出てくるどんな状態とも符合しない、まさに「未知の存在」としか言えない代物だった。超電導体のピン止め効果に似た作用もあるのだが、他の物質との間には確認できなかった。球体を複数重ねる実験では、結晶を破壊した時と違って一体化してしまったそうだ。更に、球体が小さい程結晶同士の間に働く力が増し、球体を消失させ辛くなるということだった。 「時間凍結、永久機関、裁断装置等の利用法が考えられます」 「永久機関が作れるのか!?」 「水の中で球体の生成消滅を繰り返した結果、投入エネルギー以上の熱量を発することが確認されました。十分な設備があれば可能と思われます」 「ここじゃ無理なのか?」 「大量の真水が必要です。設備も不足しています」 「じゃあ、湯沸かし器は作れるか?」 「作れます」  こうして、研究の成果は給湯器の作成へと実を結んだ。  ※  男がビニールプールの中で映画鑑賞を再開している。今まではお湯を節約していたのだが、巨大な給湯器を作成したことで全身浴が可能になっていた。今見ているのは一九七〇年代に制作された詐欺師が主人公の映画で、母を亡くし叔母の家を目指す少女を、主人公の男が送り届けるという話だった。道中、少女は主人公に「自分の父親なのではないか」と尋ねるも、男はそれを否定する。そしていくつかのトラブルを迎えながらも叔母の家に少女は送り届けられる。しかし少女は主人公の男と一緒にいることを選び幕が降りる。 「EZ、結局この二人は親子なのか?」 「役を演じた二人は実の親子ですが、確証となる事柄が出てこないため、作中の関係は不明のままです」  以前は視聴後にインターネットで意見交換をしていたのだが、ネットワーク環境を失った今ではEZが唯一の話し相手だった。 「EZ、猫の調子はどうだ?」 「実に快適です。サブプロセッサーの調整も順調です」 「コアが増えたらいよいよ次の時代だな」  男がこの時代で手に入れたコンピューター端末には、以前まで見られなかった演算装置が搭載されていた。記憶装置と演算装置が一体となったもので、脳細胞に似た機能を有している。EZと設計が似ていた為、コアの複製を作り、テストが行われている最中だった。 「あと二週間で全て完了します」 「そろそろ片付けを始めるか」  この時代に飽きていた男は早速片付けを始め、満を持して予定日を迎えるのだった。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!