プロローグ 結晶

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プロローグ 結晶

 ※ この物語はフィクションです。実在する個人、団体とは一切関係ありません。 プロローグ 結晶  一九九九年九月。某国洞窟内。  食事を終え、一人の男がいつもの作業に取り掛かった。タバコの吸殻に火をつけ、コーヒーをすすり、「地底旅行」と題された本を開いて以前の続きを読み始めた。  ※ 「さて、そろそろ行くか」  昼食後の作業を済ませ、男が洞窟の探査を始める。男は探検家だった。  二十歳になった頃、男は宝くじを買った。買った人間の九十九パーセントが損をする仕組みのくじで男は大当たりを引いた。慣例では当選者の氏名が公表されることになっているのだが、男は公表の差し止め裁判を起こし、世間に知られる事なく億万長者となっていた。宝くじの当選金で好きなことだけをしていられるとなった時、それでも男は限界を感じ憂鬱でいた。当選後、男は世界から抜け出すことばかりを考えていた。そして男は大学を辞め、職にも就かず、子供の頃漠然と憧れを抱いていた洞窟探検家へと転身した。スポンサーを探すでもなく、本を出すでもなく、単なる探検家へと。  男の目的はお宝を見つけることではなかった。水晶の洞窟や、隠し財宝、新たな観光資源、研究対象、果ては地底文明、そんなものは一切求めていなかった。子供の頃、ジュールベルヌの地底旅行を読み始めるも直ぐに興味を失い、途中で読むことを止めてしまったこの男が欲したもの、それは、何者にも翻弄されない、自分だけの世界だった。宝くじを当ててからの一年で身辺整理を済ませ、それから三年を経てようやくこの洞窟へとたどり着いた。  水中からしか出入りできず、人類未到達、無生物のこの洞窟は格好の隠れ家となった。男は私財を投じてそこに居住スペースを築き上げた。一ヶ月はここで過ごせる程の設備、物資を持ち込んでいた。ただし、外への連絡手段は無かった。「もし崩落が起こって死んだとしても構わない」と考える程、生きる事そのものへの執着が薄かった。ただ好奇心は持っていたし、退屈しのぎには余念がなかった。本、音楽、ゲーム、映画作品等持ち込める限りの娯楽を持ち込んでいた。地上部分にソーラーパネルやテレビ用のアンテナをこっそり設置して配線もしていた。コンピューターネットワークも持ち込もうとしたが、面倒が多くそれは後回しにしていた。隠れ家はこのように築かれていった。  洞窟内にビニールハウスがいくつも並んでいる。その内の一つから手が伸び、外にある金属製の足場に靴が降ろされる。探検家らしい格好をした男がヘッドランプをつけ、明かりのない洞窟の奥へと向かっていく。補強が必要な箇所を探したり、部屋を設置できそうな空間を探すことも日課の一つだった。  ※ 「なんだこれは」  空中に鏡面の様な球体が浮かんでいる。それはあたかも水中で見られる気泡のように周囲の景色を反射しながら浮かんでいた。男は暫く凝視した後小石を放り投げてみた。コンという鉱物同士の衝突音とともに石が跳ね返される。球面に傷はなく何も変化が見られない。落ちた石を拾ってみてもなんの異変も感じられない。今度は素手で触って見ることにした。が、触れた瞬間に手を引いてしまう。それには人の手の温もりや感触が感じられた。今度は金属の棒で叩いてみた。固い感触と甲高い音が返ってくる。信じられないことだが、この物体は完全な反射を行なっているように思えた。  男は辺りの様子をうかがった。周辺にはありきたりな岩石が見えるばかりかと思えた。しかしよく見てみると、直径五ミリ程の結晶のようなものがあちこちでキラキラと輝いている。それをいくつか採取してみた。男は大学で地質学を専攻していたこともあり、宝石を含む大概の鉱物を知ってはいたが、これはそのどれにも似ていなかった。何故ならばそれを手にとった時の感触がさっき球面に触れた時同様の感触をもたらしたからだった。男はサンプルを採取して詳しく調べて見ることにした。まず周辺の写真を取り、次にサンプルを削りだしていった。サンプルを三十個位採取したその時だった。突然先程の球体が消滅し中から液体が降り注いできた。わずかに温かい空気を感じたような気もしたがそれだけだった。男は一瞬驚きこそしたが、次の瞬間にはその液体を舐めていた。 「しょっぱい、海水か」  ※  夕食の時間を終え一息つくと、男が先程のサンプルを分析し始める。色、形、感触、どれをとっても先程見た大きめの球体をそのまま小さくしたもののように見えた。男は球体が消失した前後の行動をよく思い出してみた。やはり作業的にサンプルを削りだしていただけだった。男は現場に戻って最後にサンプルを採取した箇所に欠片を近づけてみた。すると、欠片がまるで磁石のように吸い寄せられ窪みに引っかかった。向きを正してやるとすっぽりと収まり、空間に先程の球体が現れた。何度か再現してみたあと、今度は下に落ちた海水を調べてみた。大部分は流れてしまっていたが、窪みに溜まったものが少しだけ残っていて、塩分濃度も酸性値も周辺の海と大して変わらなかった。男は一旦引き上げることにした。現状ではこれ以上調べようが無かったからだ。「勉強し直さないといけないこともありそうだ」と独り言をいいつつ、一旦地上へ戻ることにした。  二週間後。地上。  検査の結果、サンプルは「未知の物体」としか言いようがなかった。誰にも頼れず、独りで可能な限りの参考文献や資料を見たが、類似物は見つからなかった。そもそも金属なのか土類なのかさえ判別できなかった。地下で再現したような現象も起こせなかった。そうして手詰まり状態のまま一週間が経った頃、男は発見した時の事を思い浮かべてみた。サンプル自体は万力をかけても、熱しても、冷やしても破壊できず、組成を調べることが出来なかったのだが、これと同じようなものなら作ったり消したりできたことを思い出した。確かめるにはもう一度現場へ戻らなければならない。男は再び洞窟へ潜る準備を始めた。
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