前編

1/1
前へ
/3ページ
次へ

前編

 野久保一輝は娘を保育園に迎えに行く途中、銀行強盗を目撃した。午前中で仕事を切り上げ、保育園に急ぐ日中の出来事だった。  銀行は商店街の入り口にあった。紳士服店、美容院、携帯電話ショップ、ラーメン店が立ち並ぶありふれた商店街だ。  最初、覆面をした男たちが拳銃を手にして飛び出してきたのを見ても、それが銀行強盗だとは分からなかった。あまりにも唐突で非現実だったからだ。  一輝は三十五歳の市役所所員。今は暴力とは無縁の生活を送っていた。それにここは日本なのだ。銀行強盗なんて百パーセント捕まる犯罪は絶滅したと思い込んでいた。  銀行から飛び出してきた強盗は全部で四人。全員そろいの黒のスーツに目出し帽。後ろの二人はアタッシェケースを持っていた。  一輝が立っている歩道からは十メートルほど離れている。周りにはほとんど人がいなかった。  地面に伏せた方がよいのか、それとも踵を返して逃げ出した方がよいのか、それとも携帯電話を取り出して通報した方がよいのかを逡巡していると、突然、四人全員が一輝に向かって猛然と駆けだしてきた。  一輝のすぐ後ろに黒のワゴン車が停まっていた。強盗はそこに向かっているのだ。  一輝は彼らの邪魔にならないように、そして撃ち殺されないように地面に身を投げ腹ばいになった。彼らが一輝の横を掛け抜け、何事もなかったかのようにワゴン車で立ち去ることを祈った。  だが近づいて来る足音が突然、止まった。  アスファルトから頬を上げ、前を見た。  先頭の男が駆けっこの姿のまま、固まっていた。スーツや頭は白い霜で覆われ、手や足は氷漬けになっていた。くの字に曲がったままの腕からはツララが数本、垂れていた。  他の三人は文字通りフリーズしてしまった男にぶつからないように、つんのめるように急停止していた。 「どこに行くのかな? 強盗諸君!」  強盗達の背後の空中から声がした。 「キミたちはよそ者だな。この街の警備が手薄なのは間抜けだからではないのだ。それは私がいるからなのだ」  一輝は伏せたまま頭をのけ反らして前方をみた。そこには彼がいた。 「そう、この『アイス・ジャスティス』がな」  一輝はアイス・ジャスティスの大ファンだった。正体不明のスーパーヒーロー。コスチュームは全身タイツタイプで、マントはなし。デザインはスーパークール。セルリアンブルーを基調に、白とシルバーの大きな横縞が走っている。そのラインが身体をまとう空気の流れのように見える。マスクの目の部分はミラー仕様の細いゴーグルになっている。マスクの頭部や両肩、肘、膝は角張っていて、氷を連想させるシルエットだ。  一輝は彼のフィギュアを二体、持っていた。一体は陳列用で、もう一体は二歳になる長女の詩穂のオモチャだ。詩穂と一緒にアイス・ジャスティスごっこをしたかったのだが、詩穂はフィギュアの頭をおしゃぶり代わりに咥えて涎まみれにしているだけだった。  一輝は思わず立ち上がった。憧れのアイス・ジャスティスが両足の裏から吹雪を噴射して飛んでいるのだ。  一輝の動きが合図になったかのように強盗はゆっくりと散開を始めた。氷漬けの男をそのままにして左に二人、右に一名。アイス・ジャスティスを取り囲むように移動している。  彼らは突然、スーパーヒーローに向け一斉射撃を行った。最初の銃撃とことなり、今回は五メートルほどの近さだったため銃音も大きく聞こえ、火薬の臭いもした。 「アイスシールド!」  銃撃に合わせて彼が叫ぶと、彼の左右に氷の盾が現れた。空中の水分を凝縮させて凍らせる技だ。アイスシールドは西洋の騎士が持つ盾の形をし、レリーフまで施されていた。  アイスシールドは、全弾受け止めてから地面に落下し、粉々に砕け散った。アイス・ジャスティスは、吹雪の噴射を止め地面に降り立った。 「アイススピアー!」  自分の右腕に氷をまとわせ、鋭い槍を作り出した。そしてそのまま右の男の肩を突き刺した。  一輝の位置からは男の肩から細い氷の矢先が突き出したのが見えた。男は甲高い悲鳴を上げたあと銃を落とすと崩れ落ちて動かなくなった。  アイス・ジャスティスが槍の腕を曲げて小さくガッツポーズをとると氷が割れて握りこぶしが現れた。  残った強盗二人に背を向けたまま、拳を作った両腕を胸の前でクロスさせた。 「デッドフロストッ!」  力強く腕のクロスを解いて、両手のひらを地面に向けた。手の平から吹雪が地面に向けて噴射された。たちまちアスファルトが氷で覆われていく。  くぐもった声の悲鳴が上がった。後ろの強盗の下半身が氷に捕らわれているのだ。激痛が襲っているのか、銃弾の入れ替えもせず、ただ二人は凍え震えているだけだ。  アイス・ジャスティスは慌てることもなくゆっくりと、動けなくなった二人に向き直った。  そのクールな仕草が最高に格好いい。  アイス・ジャスティスがすっと腰を落とし、二人の強盗に向けて両手を伸ばし指を広げた。  一輝は固唾を飲んだ。出るぞ、必殺技!FCFことフローズンコメットフラッシュ。 「フーーローーズーーンコメーーッ」ゆっくりと技の名前を唱えながら、全身にエネルギーを貯めていく。最後の「フラッシュ」は一気に叫び、同時に技が発動する。  だが、技名乗りは銃声に妨げられた。  どこからか飛んできた銃弾が、背中を向けているアイス・ジャスティスの肩甲骨を貫いた。セルリアンブルーのコスチュームに赤い点が浮かび上がっていった。  一輝はとっさに振り返った。すぐ後ろで男が銃を構えていた。強盗たちと同じ黒いスーツだが目出し帽は被っていない。ワゴン車に残っていた運転手に違いない。逃げずに、アイス・ジャスティスに立ち向かうなんて、馬鹿か間抜けのどちらかだ。  身体が勝手に動き、男にタックルしていた。男を地面に倒したが、すぐ体を入れ替えられ馬乗りにされた。男の肘が一輝の頬をアスファルトに押し付けている。  男は一輝を殴るわけではなく、片手で一輝を抑え、もう一方の腕を必死に横に伸ばしている。その先にはタックルで弾けとんだ拳銃があった。  この男に拳銃を渡すわけにはいかなかった。  一輝は勢いよくブリッジして上に乗った男を跳ねのけた。そのまま素早く起き上がり、拳銃に向かって踏み出した。男が一輝の背中に張り付かんばかりにせまり、銃を取ろうと腕を伸ばす。  一輝は拳銃に飛びついた。そのまま銃を拾って前転して立ち上がった。そして掴みかかってきた男に向けて前蹴りを放った。つま先が男のみぞおちに入り、男は呻いて両膝をついた。  無我夢中のとっさの行動だったが、自分がアイス・ジャスティスを救ったことに気が付いた。思わず頬が緩む。  テレビの取材を受けるかもしれない。感謝状がもらえるかもしれない。大きくなった詩穂が友達に「わたしのパパはアイス・ジャスティスの命の恩人なのよ」と自慢げに話す場面も目に浮かんでくる。次々と妄想が膨らむ。  一つくらい娘に自慢できることができて良かった。それがなければひどいことになるはずだった。「わたしのパパは若いころ荒れてて悪かったのよ」。いじけた表情を身につけた女子高生の詩穂が同級生に自虐的にしゃべっていた。相反するネガティブな想像が頭に浮かび、慌てて首を振った。  パトカーのサイレンが近づいてきた。いつの間にか野次馬が溢れていた。アイス・ジャスティスと一輝たちを中心に遠巻きに円ができていた。  アイス・ジャスティスはまだ一輝に背を向けたまま片膝立ちの状態で自分の肩に手を当てていた。 「キュアフリーズ」小声でそういうとゆっくりと立ち上がった。撃たれた肩が白く霜に覆われ出血は止まっている。元々、威力の小さい銃だったのか、弾が貫通したのか、とにかく大した怪我ではなかったようだ。  最初に氷漬けになった男と、肩を刺された男、下半身を凍らされた男二人、そして一輝の足元でうずくまっている男。計五人の強盗は完全に無力化された。  人垣が割れ、パトカーかすぐそばまでやってきた。自転車に乗った警官も到着した。  アイス・ジャスティスもやっと一輝の方に視線を向けた。警官とスーパーヒーローから賞賛を浴びる準備をした。 「銃を捨てろ! 私に銃は効かないぞ」  アイス・ジャスティスに言われて、初めて自分が銃を持ったままなのに気が付いた。 「えっ。俺? 違う、違う!」
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加