後編

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後編

 給油中の車が三台あった。一番手前の車に向かった。助手席に女性が座っていたが、トイレにでも行っているのか運転手の姿は近くにはなかった。  一輝は勝手に運転席を開け、エアコンのスイッチ下のシガーライターを押し込んだ。同乗者はスマホに目を落としたまま闖入者に気付いてはいないようだった。  すぐに戻って車の反対に回り込み、ジャケットを脱ぎ地面に広げた。  アイス・ジャスティスは今にも現れるはずだった。  給油口に突き刺さっているノズルを引き抜き、レバーを引いてジャケットをガソリンまみれにした。  ノズルを給油口に戻した時、アイス・ジャスティスが現れた。 「スーパー能力のない悪党の小細工など、私には効かんぞ」 「いいか、話を聞かなかった、お前が悪いんだからな」 「フローーズーーンコメーーット……」  そういう仕組みなのか、気分の問題なのかアイス・ジャスティスは技名を唱えなければ技が発現しないのだ。そこに隙があった。 「学習しない奴め」  一輝はジャケットを拾い上げ、中空のスーパーヒーローに向かって放り投げた。ガソリンを吸って重くなったジャケットは回転しながら投網のように飛んでいき、アイス・ジャスティスの頭を覆った。  ジャケットの行方を見ることもなく、一輝は運転席に走りシガーライターを抜き取った。アイス・ジャスティスにジャケットを振り払う暇を与えず、シガーライターを投げつけた。  期待通りにアイス・ジャスティスは炎に包まれ、落下するように地面に降り立った。  轟轟と火柱が上がっている。  瞬く間にあたりが真っ白な蒸気に覆われた。視界は真っ白になり何も見えなくなった。炎と氷が闘い、しのぎを削って当たりに霧を生じさせているのだ。  強い風が吹き、霧を吹き払う。空中に幾つもの白い渦が現れては消えていく。霧が晴れ、徐々に姿を現したのはフォームチェンジしたアイス・ジャスティスだった。  炎の攻撃は通じなかった。ダメージを与えるどころかパワーアップさせてしまった。  オーロラ・フォーム。  両肩から氷の角が生え、両足のふくらはぎと踵からも上向きに棘が伸びている。そして一番の変化が背中の翼だ。氷で出来た大きな白鳥の羽が広げられている。体の青い流線の模様も濃く二重になっていた。  氷結能力は三十パーセント向上。  そして究極技トリプルAこと『アブソリュート・オーロラ・アポカリプス』が出せるようになるのだ。  スーパー能力を持つ悪党相手に一度だけ見せたことがある伝説のオーロラ・フォーム。美しい死の天使の降臨だった。  霧が完全に晴れる前に、一輝の方も準備は終わっていた。  アイス・ジャスティスは足を肩幅に広げ、両手を天地に開いた。 「アブソリュート・オーロラ・アポカリプス」  あっさりと究極技名を唱え終えた。  アイス・ジャスティスを中心に空間にある水分はすべて凍っていく。あらゆる生物の体内に含まれる水分は氷と化すのだ。血液は固まり、体中の全細胞は凍って破壊される。微生物を含め生き残れるものは存在しないのだ。アイス・ジャスティスが技を止めない限り、死の同心円はゆっくりと確実にどこまでも広がっていく。 「スーパーヒーローに盾突く悪党よ。何をする気か知らぬが、もう何をしても遅いのだ。オーロラ・フォームを纏った私に勝てるものはいない」 「それはどうかな。俺はオーロラ・フォームを待っていたのさ」  一輝は脇に抱えた高圧洗浄機のレバーを開けた。アイス・ジャスティスを目指して凄まじい勢いで水が放出されていく。だが水の奔流はアイス・ジャスティスに触れるや否や次々に凍っていく。  アイス・ジャスティスは人差し指を立て軽く振る。 「ビー・クーール。悪あがきとはこのことだ」  一輝はそれには答えず高圧水の放出をひたすら続けた。  やがてもう十分だとみると、ゆっくりとレバーを閉じた。  一輝はまだ生きていた。  一方のアイス・ジャスティスは巨大な氷に囚われていた。広げた翼もすべて氷塊に閉じ込められていた。  スーパーヒーローの氷漬けだ。 「能無しとは甘く見たな……」  一輝はアイス・ジャスティスのファンだったのだ。炎が効かないことも、まして冷気が効かないことも知っていた。  だがスーパーヒーローといっても一輝と同じ生き物。酸素が遮断されれば窒息する。それにアイス・ジャスティスは、凍らせることは出来ても溶かすことは一切、出来ないのだ。  一輝は高圧洗浄機のホースを下においた。  迎えの時間が過ぎていることに気が付いた。 「スーパーヒーローなら自分で何とかしな」見物人も集まりつつある。何とかなるだろう。  一輝は駆け出した。  詩穂が心細さに泣きじゃくっていないか、それだけが気がかりだった。  車道から住宅街に向かう路地に入っても走り続けた。  やがて保育園の看板が見えてきた。閉じられている門の手前まで来てやっと歩き始めた。誰も見当たらなかった。  肩で息をしながら、インターフォンを押す。迎えの時間を三十分も過ぎていた。  すぐに返事があって、若い男性の保育士が詩穂を抱きかかえてやってきた。詩穂は眠っていた。 「いい子にしていましたよ。お絵描きやお遊戯をして疲れたみたいですけど」  良かった。心配し過ぎだったかもしれない。  保育士が門をあけ一輝を招き入れた。  詩穂を受取りながら尋ねた。 「泣いたりしませんでしたか?」 「いいえ。とっても楽しそうでしたよ。すぐに他の子とも打ち解けて仲良く遊んでいました」  それを聞くと胸になにか暖かい固まりがこみ上がってきて、目に涙が浮かんでくる。詩穂は泣かなかったのに自分が泣いてしまいそうだと思った。  娘の寝顔は安らかでそして儚かった。両腕の重みがとても切なく感じられ、我慢した涙がまたあふれて出てきた。 「お父さんも大変でしたね、強盗に間違われて。ネットに動画が上がってましたよ」 「あぁ、そうですか。濡れ衣と分かったのですね」  詩穂の寝顔から目を離さないまま答えた。 「アイス・ジャスティスはどうしたのです? 勘違いって分かってもらったのですよね」  心配して保育士が聞いてくる。 「いいえ、まだ誤解も氷も溶けていませんよ」  一輝は保育士に笑顔を向けた。  戸惑った表情を浮かべる保育士に背を向けて帰途についた。  一輝の腕の中で詩穂が身じろぎした。詩穂を抱え直したが目を覚まさず、また眠りに戻った。腕に我が娘の重みを感じながら、たとえスーパー能力がなくてもこの娘のヒーローでい続けようと誓った。(了)
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