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祈り場
夜分にあれ程荒れ狂っていた嵐は、次の日の朝には嘘のように収まっていた。外に出てみれば、清々しい程の青い空が頭上に広がっている。
嵐が去るとともに、ノズチの熱もすっかりと下がり、腕の腫れもだいぶ引いた。
家々の前の広場では、早朝からムラの男達が集まって何やら話し合っていた。ノズチの父や兄達も加わっている。
皆、昨日の夜更けの嵐について話をしていた。吹きすさぶ風音の中、何か大きなものが倒れるような異音を、誰もが耳にしていた。
ノズチの一番上の兄・レイレは、あの音は山から聞こえたのではないか、と言う。
山の方の狩り場で、倒木や落石があったとすれば厄介だ。どこが崩れたのか把握しておかないと狩りの時に不慮の怪我を負う場合もある。
レイレと叔父のイリリが森の見回りに行くことになった。
兄のレイレはノズチとはだいぶ年が離れており、別のムラから嫁を娶り、子供も生まれたので、今はノズチ達とは別の家に住んでいる。叔父のイリリの方は、ノズチの父やモシキの末の弟で、まだ若く、年の頃はむしろノズチやカンザルに近かった。
レイレ達は、年少のカンザル、そして、ノズチにも声をかけ、四人は連れだって森に向かうことになった。
森では、至るところで木が折れ曲がり、森の中を流れる川も増水していた。
しかし、ムラにまで響くような大きな音を立てて崩れたような倒壊物は見つからない。
「祈り場に行ってみよう」
イリリが言った。
一行は、祈り場がある森の奥へと向かう。普段は限られた者しか踏み入る事のできない聖域だが、今日は、急を要する故、特別だ。
祈り場が近づいて来るにつれ、ノズチは両腕の刺青がしきりに疼くような落ちつかなさを感じた。邪念を振り払うように、他の三人の背を追って黙々と足を進める。
やがて一行が祈り場に辿り着いてみれば、昨夜の大きな音の原因は一目ですぐに分かった。
祈り場の際に立つ巨木が落雷のために真っ黒く焼け焦げて、縦に真っ二つに引き裂かれていたのだ。
引き裂かれた木の片方はなんとか地に根を下ろしたまま踏ん張っているが、もう片側は祈り場の方に無惨な姿で倒れ込んでいる。その下には、先祖が建てた祈りの石柱が下敷きになっていた。
一行は、倒木を持ち上げ、石柱の上からどかした。続いて、石柱も元の通りにしようと、四人がかりで起こそうとした。しかし、石柱は意外にもずっしりと重く、どうしても持ち上げることができなかった。
「仕方がない。明日あたり他の男達も集めて、改めてここに来るとしよう」
レイレが額に滲んだ汗を掌で拭いながら言った。
その時、ノズチは、レイレの足下を見て、あ、と思った。
レイレの左足を黒い影のようなものが取り巻いているのが見えたのだ。
グルルルルル……と獣のうなり声のようなものが聞こえた。
「どうした、ノズチ?」
唖然としているノズチにレイレが声をかけた。黒い影には気が付いていない。
「足に影が……」
「影?」
ほらそこに、と、ノズチはなんとか影を指で指し示そうとする。だが、気が付くとレイレの足からは影が綺麗に消えていた。
何と言っていいか分からず、ノズチがもごもごと口ごもると、レイレは不審そうに眉根を寄せた。
「いい加減な事を言うのはよせ!」
突然、カンザルが苛ついた声でがなり立てた。
「こいつはいっつもそう! 変な事ばっかり言うんだ。一人前になったと言ったって、ちっとも変わらないな。足手まといだよ。もうこいつを連れて森に来るのはやめようよ」
カンザルは、ノズチを嘲るように言った。
「そんな事を言うもんじゃない」と、イリリが叱りつけるが、カンザルは不満げに口を曲げ、そっぽを向いた。
一行の間に気まずげな空気が流れ、結局、四人は帰路、互いに一言も話さないままムラへ戻った。
皆と一緒にムラに帰ってきたはずのレイレが急に姿を消したのは、その日の夕刻だった。夜になっても、レイレはムラに戻ってこなかった。
夜が明けて、森の中に分け入った男達が、血塗れで倒れているレイレを発見した。
レイレの左足は、膝の下から引きちぎられたかのようにして失われていたのだった。
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