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あたしの胸は沈んでいるのに、騎士団長はなぜか、口の端に引きつれに似た笑みを貼りつけている。
「おやおや、切りつけられても口を割らないとは。強情な娘だ」
「だから何も知らないって、言ってるだろ……」
「ふん。どうしても隠しだてするつもりなら、少々手荒な真似をせねばならないようだな。聖職者である我々としては、本来なら女子供相手に乱暴事はしたくはないのだが。しかし、真実を語らないのであれば、致し方あるまいな」
「何を言って――」
さっきから嘘なんかついていない。あたしは混乱し、そこに立つ三人を順に見て、ぞっとした。
全員の口元が、卑しい笑いで緩んでいる。闇色の光を映した三対の濡れた目が、あたしの頭のてっぺんから足の先までを舐め回す。ねっとりとまとわりつくような、嫌らしい視線。聖職者の瞳なんかじゃない、それは飢えた獣の目だった。
悪寒で全身に震えが走る。あたしは右腕で体をかき抱き、寒々しい石牢のなかで後ずさる。けれどすぐに壁に背が着く。
これからここで演じられるのは地獄だ。きっと死ぬよりも陰惨な絶望だ。
――嫌だ、誰か助けて……。
心は悲鳴をあげている。そしてその叫びが、どこにも届かないことを知っている。
騎士の仮面をつけた悪漢どもが、じり、とあたしに迫る。騎士団長が鍵を持った手を錠前に伸ばし、
「騎士団長! 伝令です!」
駆けてきた別の騎士の声が、鋭く空気を割った。三人の動きがそこで止まる。
新しく現れた伝令役はあたしに一瞥をくれると、騎士団長に何事か耳打ちする。憮然としていた団長の顔が、みるみる喜色に染まった。
ああ、これ以上の責め苦を、あたしに与えるのか。
騎士団長はにやにや笑いながら口を開く。
「お前はどうせここからは出られん。あの街の生き残りを生かしてはおけぬ。だから、冥土の土産に教えてやろう。お前はなぜ、我々があのようなことをしたのかと問うたな。答えてやる、我々の理想の世界を作るためだ。この世界は、新しい秩序を手にいれるのだよ」
男の目は熱っぽく、夢見心地だった。
どういう意味だろう。分からない。けれど、今からこんな屑みたいな人間たちに辱しめを受けると思うと、もう何もかもがどうでもよかった。
「それと、たった今王都から連絡がきた。お前の兄は捕まったそうだ。きっと奴も、過酷な尋問を受けることになろう。ただの学者風情が、それに耐えられるとは思えんなあ」
騎士団長の高笑いが石壁に反響する。
――ああ、兄さん。どうか兄さんだけでも、何とか生き延びて。あたしの分まで……。
懐に手を入れる。双宿石はまだそこにあった。硬い三角錘をひとなぞりして、あたしは瞼を閉じる。せめて、惨苦の光景を見ずに済むように。
男たちの荒い呼吸音。錠前が持ち上げられる小さな音。
そして何の前触れもなく。
轟音とともに、城全体が強い衝撃で揺さぶられた。
* * * *
城の巨大な扉の脇に立っていた二人の騎士たちが、ふもとの街から何かの影が一直線に向かってくるのに気づいた。
「なあ、あれ、何かこっちに来てないか?」
「んー? ああ、本当だ」
ただの黒い点はやがて塊になり、塊は翼のある生き物となり、それが竜だと判別できる頃になると、もうすべてが手遅れだった。
「おいッ、あの竜止まらないぞ!」
「衝突するつもりか! そんな馬鹿な――」
あたふたする騎士たちを尻目に、莫大な運動エネルギーを持った竜の強靭な巨体は、最高速度を保ったまま、凄まじい勢いで城壁に突っ込んだ。
何のためらいもなく。まるで矢のように。
全身をふっ飛ばすほどの衝撃と、耳をつんざく暴力的な崩壊音とが、城にいる人間を翻弄する。
状況を飲み込めぬまま、見張り役の騎士は入口の扉を開け放ち、慌てて衝突の現場へと駆けた。城の内部はもうもうとした白煙が立ちこめ、数歩先すら白んで見えない。二人は砂埃をまともに吸い、げほげほとしこたま噎せこんだ。
「おいおいなんだよこりゃあ、あの竜どういうつもりだ」
「まさか昨日の娘を助けようとして――」
「馬鹿言え、竜が人助けなんてするもんかよ。それに石壁に激突したんだぞ、竜といえど無事で済むはすが……」
コツ、コツ、という靴音が響く。
二人は霞む視界のなか、互いの真っ白けに煤けた顔を見合わせる。おそるおそる音のする方へ体を向け、背負った銃をそちらへ構えた。
足音が近づく。
二人は揃って生唾を飲む。コツ、コツ。ふたつの銃身は震えている。
コツ、コツ、コツ。
不意に、煙幕の奥から生まれ出ずるように、黒衣を身につけた長身巨躯の偉丈夫が、ぬっと姿を現した。
その額は大きく切れ、だらだらと真っ赤な血が垂れているけれど、口元には余裕すら感じさせる、不敵で悠然とした笑みがある。その口から赤々とした舌が伸び、額から筋になって流れる鮮血を、ぺろりと舐めとった。
男の右目は白濁しているが、残った青い目の輝きは鮮やかで力強い。そのまっすぐな視線が、人間たちを射すくめる。
「ひ、ひい……っ」
騎士たちは発砲するのも忘れ、人を超越した者の恐ろしい立ち姿に、腰を抜かす。
竜の男は、何かを貰い受けようとするように、尖った爪の生えた右手を、情けなくがたがた震える二人へ差し出した。
「さあ、返してもらおうか。俺の非常食を」
猛々しい外見に反し、よく通り品のあるバリトンで、竜はのたまう。
「小娘はどこにいる。無益な殺生をしたくはない、教えろ」
二人の騎士は歯をがちがち言わせながら、弱々しく牢の場所を指で示す。
* * * *
「騎士団長!」
焦った様子で騎士が駆け寄ってきた。
「何だ今の揺れは! 地震か?」
「いえそれが、竜に侵入されました! こちらに向かっています!」
騎士団長が軽く舌打ちをする。錠からは手が離され、剣の代わりに銃が手に取られた。
「馬鹿な、早く抑えろ!」
「目下応戦中ですが、何ぶん物凄い勢いでして――」
「加勢する! 総員で当たれ!」
「はっ!」
どやどやとその場の騎士たちが離れていく。しん、と辺りが静まり返る。
あたしは長く息をはき、冷たい床にへたりこんだ。命拾いした。極限まで張りつめていた緊張が解け、ぼたぼたと涙が溢れてくる。
でもまだ助かったわけではない。袖で目元を拭う。
侵入してきた竜。それは、ほぼ間違いなくジーヴだろう。どうやって城に入ったのか知らないが、彼のことだ、きっと腕ずく力ずくに決まっている。どちらかというと、なぜ彼はここへ来たのか、そちらの方が強い疑問だ。人は助けないと、あれほど言っていたのに。
錠前は未だしっかりとかかっている。開けてから行ってくれたらよかったのに、と都合のいいことを考えてみた。
遠くから、パン、パンという破裂音と、キンキンという剣戟の音が響いてくる。ジーヴはきっと素手で応戦しているのだろうなと思う。大陸中央の火山くらい気位の高いジーヴのことだから、人間から剣や銃を奪って使う、なんて真似はしないはず。いくら竜だからって、あんまりそれは無茶だ。
竜の鱗は刃物でも銃弾でもびくともしないが、人型になった場合はどうなんだろう。もし、ジーヴが八つ裂きにされていたら。蜂の巣になっていたら。彼が死ぬようなことがあったら、それは全部、あたしのせいだ。
交戦の音が徐々に近づいてくる。騒乱の響きや靴音はだんだんと減っていき、やがてやむ。そして、ひとつの足音だけがこちらに向かってくる。
あたしの緊張がぶり返す。もしもジーヴ以外だったら。その時は、体を汚される前に、舌を噛みきって自分で死のう。
心臓がどきどきと大きく速く脈打つ。コツ、コツという音が、悠々と近づいてくる。祈るような気持ちでそれを聞いている。
あたしは、舌を思いきり噛みちぎる用意をする。
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