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二章 竜子にも衣装
人間であるあたしと、竜であるジーヴは、別々の目的を持って、一緒に旅を続けている。
あたしは、行方不明になった兄を捜すため。
ジーヴは、滅んだ黒竜の生き残りを捜すため。
異なる目的を追うあたし達は、ひとまず今のところ、同じ方向を見据えている。
商人たちの威勢のよい声が飛び交う。果物や野菜、燻製肉や魚の干物、その他様々な日用品を積んだ馬車や牛車が、人々でごった返す往来を行き来する。人いきれの作り出す熱気は、むわっと全身を包むが、それでいて不快というわけでもない。土埃の匂い、香辛料の匂い、花や熟れた果物の匂い、それらが混じりあった、人の生活の匂いが立ちこめている。
何日ぶりかの街だった。
森や荒れ地での野宿も嫌いじゃないけれど、あたしは元々街で育った人間だから、やっぱり賑やかな場所はわくわくする。露店商が並ぶ光景など、心踊るものがある。そして何より街の良いところは、冷たい川や泉の水ではなく、温かい湯に浸れることだ。
一つの街から街への移動は、竜の飛行速度をもってしても概ね数日はかかる。当のジーヴはというと、街に入ると決まってしかつめらしい顔をする。今だって眉間に皺を寄せて周りを睥睨している。上等な服を纏ったジーヴは、遠目からは貴族にも見えるが、近づいてみれば尖った耳の形からして竜であることが明白で、街ゆく人は竜の逆鱗に触れては敵わんとばかり、彼を遠巻きに避けていく。
探し人の兄の似顔絵を街人相手に手当たり次第に見せながら、傍らを歩くジーヴを盗み見る。街に対して、何か気に入らないことでもあるのだろうか。これまで特に詮索してこなかったが、戯れに理由を尋ねてみることにした。
「竜的には、街はどうなの」
「どこに在ろうと、竜は竜だ」
言葉を省きすぎた問いには、苦々しい声で、そんな若干ずれた答えが返ってくる。
「そういうことを訊いてるんじゃなくて。街に着くといつも不機嫌だから、良くない想い出でもあるのかと思って」
「そんなものはない。が……この、匂いがな。竜は人間と違って鼻が利く。この街はとくにひどい。こんな混沌とした匂いの中で、平然としていられる人間が羨ましいものだ」
ジーヴはぐるると喉の奥から呻き声を漏らす。繰り出される皮肉も、常よりどこか覇気がなかった。
不意に、彼の青い隻眼がぐるりと動き、ずいぶんと下にあるあたしの顔を捉える。
「そんなことよりも、小娘。人探しはいいが、ここで買うべきものが山ほどあるのではないか」
「買うもの? 例えば」
あたしを数ヶ月間小娘と呼び続け、名前を一向に覚えない竜はそうのたまう。
「例えば、風避けの風防眼鏡などだ、人間の小娘よ。お前は俺に言われねば何も分からんのか? 装備が足りないせいで、また手を焼くことになるのは俺はごめんだ」
顔が熱を帯びるのを感じる。先日、鹿を追っていて、狩りの成功に安堵したあまり、ジーヴの背から落下したことを言っているのだろう。
確かにゴーグルがあれば、竜の背の上でもずっと目を開けていられる。もっと切れ味のよいナイフも必要かもしれない。バネ弓や吹き矢なんかも狩りには有効だろう。挙げてみたら必要品のリストはどこまでも長くなる。
しかし、である。
「そんなお金がどこにあるの」
そう、お金がないのだ。獲物から得た毛皮をこれから売るつもりではあるが、特に珍しい種のものではないため、今日の宿代くらいにしかならないだろう。
ジーヴがふんと鼻を鳴らす。
「小娘、手を出せ」
有無を言わさぬ命令口調。
こういうのには黙って従った方が利口だと、彼との数ヶ月の旅で学んでいた。無言で手を差し出すと、掌より二回りほど小さい、黒光りする平らなものが、ジーヴの指先から落とされた。
「何これ」
「俺の鱗だ。それを売れば、ちょっとした金にはなるはずだ。それで必要なものを買うがよい。余ったらお前の好きに使え」
「……竜は人助けはしないんじゃなかったの」
訝しんであたしは問う。あたしと出会った夜の、彼の言葉を忘れていない。“竜は人を助けはしない”。そして、それにあたしが何と返答したかも。
ジーヴは大儀そうに首を横に振る。
「これは人助けではない。お前の装備不足に、また振り回されたくないだけだ。つまり巡り巡っては俺のためだ……と何度言わせる気だ? 俺の手間を減らすためなら、俺は何でもしてみせよう」
竜の男は胸を張る。どうしてこう、いちいち偉そうなのだろう。それが竜の性質だと言われればそれまでだが。もっと普通に話せないのか。
あたしは鱗を握りしめ、ジーヴの長躯を見上げる。
「……あんたの言い分は分かった。じゃあ売りに行こうか」
しかしその軽い提案は、いや、という短い否定で却下されることになる。
「俺はしばらく、お前とは別行動をとる。ああそれと、鱗を直接俺から貰ったとは言うな。どこかで拾ったとでも言え」
あたしは首をひねる。不可思議な頼みだ。
だがしかし、なぜと問う前に彼の姿は人混みに紛れて消えていた。
換金所。
この世のあらゆるものを金へと代えてくれる場所。
市場の端に、それはあった。
三方を幕で囲まれた店の内部は薄暗く、こぢんまりとした床面積で、まるで占いの館のような雰囲気だ。ジーヴのくれた鱗を鑑定士に見せると、後頭部まで禿げ上がったその老人は、目の色を変えて拡大鏡に食い入った。
「お嬢さん……これをどこで手に入れたんだい」
「旅の途中で拾った」
「ふうむ……これは、黒竜の鱗じゃ……なんと珍しい……」
そうか、ジーヴは珍しい存在なのか、と灰明るい店内でぼんやりと考える。あたしにとっては、毎日小言をぶつけてくるだけの、しかし切り捨てるわけにもいかない、目の上のたんこぶみたいなものなのだけど。
直接貰ったと言うな、という指示と、黒竜の存在が珍しいことは、何か繋がりがあるのだろうか。
「換金するとしたら、そうじゃのう……」
そう呟きながら鱗に見入る老人の眼に、邪な光がぽっと灯ったのを、あたしは見逃さなかった。
「ちょっとあんた、ちゃんと正当に鑑定してくれよ。足元を見るつもりなら、他へ持っていくからな」
「いやいや、そんなことはしない」
慌てたように、その店主はぶるぶると顔の前で手を振る。十中八九、買い叩くつもりだったのだろう。
老人は一度、布の幕で仕切られた店の奥へ引っ込み、両手いっぱいほどの布袋を持って現れた。受け取ってみると、重さからいって全て金貨であるらしい。少々上前をはねられている可能性大だが、それでも大金といってよい。
揉み手をして下卑た笑みを張りつけた老人に、形だけの礼を言って背を向ける。鱗一枚でこれほどの額になるなら、ジーヴの体中の鱗をひっぺがしたらどれほどの財産になるのか、と想像する。確実に、一人の人間が遊んで暮らせる金額は優に超えるだろう。ジーヴのいないところで暗に計算してみたら、少し後ろめたく、それでいてどことなく楽しい気分になった。
換金所のテントを出ると、すぐ前の煉瓦造りの建物の壁に、ジーヴが背中を預けるようにして泰然と立っていた。
「首尾よくいったか」
「金の塊……」
「何か言ったか?」
何でもない、とあたしは答える。金算用はしてみたけれど、お金には正直あまり興味がない。それより、兄との再会の方があたしにとっては重要だ。
しかし、他の人間はどうだろう、とふと考える。
ジーヴの部族――黒竜の一族は、何者かによって攻撃を受け、滅びたらしい。竜同士は決して争うことはないというから、その何者かは、素性が分からないものの人間には違いない。
金など重要でないと考える人間は、全体においては稀有な存在だと思う。もしかしてその人間たちは、金のために竜の集落に攻め入ったのだろうか。
「俺の質問に答えろ。何を考えている、小娘」
「何でも。鱗ならなかなかいい額になった」
ジーヴは当然だ、とばかり得意げな顔をする。
「金が手に入ったなら、ぼうっとしていないで買い物を済ませろ。日没も近いぞ」
伸びる影とは反対の方角を見やる。いつの間にか、陽は山の稜線へと近づきつつあった。
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