四章 竜と歩けば棒に当たる

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四章 竜と歩けば棒に当たる

 世界には円に近い形の大陸がひとつだけあり、地べたを駆けずり回るしか能のないあたしたち人間にとって、“大陸”は“世界”とほぼ同等の意味を持っている。  旅の途中。  休息をとるため、ジーヴと並んで川辺に腰を降ろす。川の水は澄み、角のない石を敷き詰めた川底に、魚が鱗をきらめかせて泳いでいる。あたしの掌ほどの大きさもあるし、釣りでもして捕らえようかと思ったが、魚は好かん、生臭いからな、というジーヴの言葉で阿呆らしくなってやめる。捕まえた後でまたぶちぶち小言を言われてはたまらない。川の石みたいに、時間をかけて流れに揉まれれば角が丸くなる、という一般論は竜には通用しないようだ。  尊大な黒竜の男と旅を始めて、もうじき四季が一巡りする。  大陸の真ん中にそびえる巨大な火山、その裾野をぐるりと取り囲むように点在する、街や村や都市を順ぐりに旅してきた。兄の足取りはまだ掴めない。あたしたちは一年かけて、円形の大地のほとんど真向かいにある王都に近づいていた。  あたしたちの前を流れる川の向こうには草原が開けていて、ぼんやり眺めやる先を、黒塗りの蒸気機関車が走り抜けていく。黒煙をもうもうと噴き上げながら、水彩画のような空を遠景にして。ぼーっと高く響く汽笛は、遠くからでもよく聴こえる。  鉄道のレールは急速に伸びつつあった。今はまだ王都を含む大都市と、その周辺の街を往復しているだけの機関車だが、切れ切れになった軌条(きじょう)はいま互いに手をめいっぱい伸ばし、結び繋がらんとしている。軌道敷(きどうしき)がひとつになったとき、そこには大陸周回鉄道の姿が立ち現れる。  ほぼ円形の、世界唯一の大陸を(めぐ)る鉄道の線。  つまりそれは、世界を一周する交通の()と言い換えることができる。人類の壮大な夢。しかしそれは決して夢物語ではなく、着実に実現へと迫ってきている。 「人間の進歩には驚かされることがある」  ジーヴがぽつりと呟く。その顔を見ると、視界の真ん中を横切っていく機関車を、青い隻眼が追っている。 「一代前の人間が到達できなかったところへ、子の代の人間たちはたどり着いてみせる。その歩みは不思議とたゆむことがない。進歩は常に次世代の人間の進歩によって塗り替えられる。俺にはどうも、人間はこぞって生き急いでいるように見える。そんなに急いでどこへ行こうというのだ? 目指した先に、何があるというのだ?」  淡々とした調子だった。  それは彼にしてみれば、ごく素朴な問いなのだろう。  竜は人間の何十倍、何百倍もの寿命を持つ。しかし、人間に与えられている時間はそう長くない。竜と人間の時間感覚。両者には深い溝がある。  あたしには、人間を先へ先へと駆り立てているものが分かる。飽くなき好奇心だ。  もっと速く、もっと遠く、もっと効率的に。  そしてもっと、たくさんのことが知りたい。  焦燥にも近いそんな衝動は、先を急ぐ必要などない竜にはきっと分からない。 「……先にあるのはきっと、竜には理解し得ないもの」 「くく、なるほどな。お前の言うとおりに相違ない」  ジーヴはあたしとの問答を楽しんでいるのか、快笑してその長躯を揺する。 「俺が生きているあいだに、人間はどこまで行くのだろうな」  遠い目をして投げかけるジーヴに、あたしは答えなかった。  彼はあたしより、ずっと未来の光景を見られるのだ。長生きしたいとは別に思わないけれど、ジーヴが少し、ほんのちょっとだけ、羨ましい。  さて、そろそろ出発するか、と腰を上げたあたしの目線の先で、機関車がまた高く長い汽笛を鳴らした。  さすがに王都に近いだけあって、踏み入れた街はよく栄えていた。  まず、人の密度がこれまでと違う。職業も身分もてんでばらばらな街人たちが、渦を成して街中を行き交っている。商人めいた者もいれば、役人然とした者、農民や貴族らしき者だって見受けられる。  頭ひとつ抜けたところから街の様子を見回しているのは、馬に乗った騎士たちだ。短剣と銃とを水平に腰に提げた姿は、賑やかな雰囲気と異なり物々しい。  大通りでは大道芸人が、火を吹いたり物をジグザグに放ったりパントマイムをしたり、興味深い一芸を披露している。彼らの前には帽子や空き缶が置かれ、通行人が硬貨をそこに投げ入れる。彼らは娯楽を提供することで暮らしを成立させているのだろう。そういう生き方があるのは軽い驚きだった。この街はきっと豊かなのだ。  人の数も多ければ、その質も多様性に富んでいる。旅の格好をした者も多く見え、様々な服、様々な装飾、様々な顔だち、多様な民族が街角で混じりあい、生けるモザイクを作り出す。これだけ人がいれば、兄の手がかりも得られる期待が持てそうだ。 「つかぬことを聞くが、お前の兄は生きているのか」  兄の似顔絵を商い人中心に見せつつ街を歩いていると、ジーヴがだし抜けに尋ねてきた。  あたしの故郷は丸ごと燃え果てて無くなった。あの惨状を目にしたら、そこにいた者の生存を疑うのは当然といえば当然だ。しかし、それは旅を始める前に聞いておくことではないだろうか。一年経ってから尋ねるのは、のんびりしすぎというか、かなり間が抜けていると言わざるを得ない。竜の感覚はまた違うのかもしれないけど。  あたしは直接答えずに、路地裏へ踏み入りそこで立ち止まる。常に持ち歩いているあるものを小物入れから取り出し、ジーヴに見せた。 「これ、何だか知ってる」  手のなかには、きれいな三角錐の形の、透き通った鉱石がある。石の内部には、細く尖った、赤い線みたいなものが何本か見える。真っ赤な針が結晶の中に浮いているようだ。 「石だろう。見るからに」  ジーヴのとんちんかんな返答。  この石は兄と交換した、大切なおまじないなのだ。あたしはこれを、焼けてなくなった生家から持ち出してきた。  鉱物の種類には詳しくなさそうな竜に、手短に説明する。 「まあ、石は石だけど。これは双宿石(アジスナイト)っていうの。元の大きさの結晶を二つに割って、二人の人間の血を別々に染み込ませて、交換するんだ。相手に危険が迫ったら、石にひびが入って知らせてくれる。命があるうちは、完全に割れることはない。あたしはこれを兄さんと交換した。だから兄さんは生きている」  双宿石は、元は正八面体の結晶だ。それを兄が半分に割って、互いに指をナイフでちょっとだけ切り、一緒に血を垂らした日のことを、あたしは鮮明に覚えている。街を焼き出されたときから、いやそれよりずっと前から、兄が持たせてくれたこの石を、肌身離さず持っているのだ。  兄は船乗りで、調査のため何ヵ月も海から帰らないのはざらだった。航海には危険が伴う。あたしたちの父や母も海洋学者だったが、二人とも海で亡くなった。昔と比べたら船の強度も航海術も向上してはいるけれど、船旅の危険性は無いとは言えず、万一兄の身に何かあった場合にそれと分かるようにと、兄自身が提案したのだった。  兄は両親の研究を引き継ぎ、黙々と航海を重ねていた。彼の表情から、恐れは微塵(みじん)も感じ取れなかった。普段はのほほんとして柔和な(かぜ)を纏っているが、その(じつ)兄は強い人なのだと思う。  ――兄さん、今どこにいるの。  心のなかで双宿石に呼びかける。ただの鉱物にすぎない透明な結晶は、言わずもがな沈黙している。表面のひびが心なしか増えているように思えて、あたしの胸は痛んだ。  自ら聞いたくせに、ジーヴは関心の薄さを隠そうとしない。鋭い歯で、込みあげてきた欠伸(あくび)を噛み殺している。 「まあ、徒労に付き合わされていないならそれでよい」 「あんたの方こそ、本当に黒竜の生き残りなんているのか」  あたしは機に乗じて、常々感じていた疑問を黒竜の元族長にぶつけた。
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