四章 竜と歩けば棒に当たる

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 竜のなかでも、黒竜は特に珍しい存在であるらしい。それは以前、鱗を売ったときの相手の反応であるとか、街や森で見かける竜の姿(ジーヴによると火竜や氷竜が多いという)から察することができる。元々数が少ない彼らが、一夜にして一族全員を失ったのだ。どこかには別の集落があるはず、と楽観的になる方が難しい。この旅で、黒竜の息づかいはおろか、気配さえ感じたことはない。  ジーヴは別段思い悩む様子もなく、小首を傾げて答えを発する。 「さあな」  無責任ともいえる発言に、あたしは拍子抜けする。 「何なんだ、その返事。いないかもしれないのか」 「どうにでも考えられる、ということだ。いるかもしれんし、もう生き残りは俺だけかもしれん。残っているのは雄ばかりという事態も考えられる。しかし、それがどうしたというのだ? この大陸中を捜してみないことには、はっきりとは分からない。“ない”と証明するのは“ある”と証明するよりも困難なのだ。俺は可能性に懸けている。可能性がゼロでないかぎり、竜は希望を持ち続ける。竜に絶望はない」  きっぱり言い切って、話は済んだとばかりあたしから視線を外す。  ジーヴは大通りに向かって歩きだしたが、あたしの足は動かなかった。自分だったら、と考える。もし兄が生きている保証なしに、彼の生存を信じて大陸全土を捜しまわる、なんて芸当が果たしてできるだろか。きっとこの竜も兄と同じく、尊大さに見合うだけの芯の強さを持ち合わせているのだろう。  レンガ壁に挟まれた空間から抜け出すと、目線の先で、ジーヴは肉屋の主人と言葉を交わしている。  ふと別の疑問がもたげた。ジーヴの一族を滅ぼした何者かは、人間である公算が一番強いように思える。それはジーヴも薄々気づいているはず。なのに、ぶつくさ小言を漏らしつつも、あたしとの旅路に付き合っていることや、ああして街にその身を溶け込ませていることが、今更ながら奇妙に感じられた。  ととっ、とジーヴに駆け寄って、ねえと話しかける。 「あんたは、人間をどう思ってる。本当はあたしのことも、憎いんじゃないのか」  ジーヴは眉根を寄せた。躾のよくない、噛み癖のある犬でも相手にしているような表情だった。 「お前の質問はいつも唐突すぎて疲れる。――よいか、竜は誰かを憎んだりしない。禍根(かこん)を残すだけだからな。竜のなかに憎しみという感情はないと言ったろう。憎んでいたら、旅の初めにお前の提案を呑んだりしない」  この旅程で見慣れてしまった、辟易(へきえき)した呆れ顔で応じる。こういう顔はよくするのに、ジーヴは本気で怒った試しがない。度量の大きさなのかもしれないが、それを素直に認めたくない自分もあたしのなかにはいる。  ならいい、と言うとするが、ジーヴがすう、と目を細めてあたしを見つめたのが先だった。 「小娘よ、お前はどうなんだ。兄に再び会えればそれでよいのか。お前こそ、街を焼いた人間を憎いとは思わないのか」  冷や水を浴びせられた気分、というのは、こういう心境をいうのだろう。  無言で相対するあたしたちの周りを、顔に訝しさを貼りつけた街人が通りすぎていく。  街に火を放った何体もの甲冑たち。その正体について、あたしはあまり考えないようにしていた。許せない気持ちは確かに強かったが、犯人を明らかにしたって、何かが解決するわけでもないと分かりきっている。あたしは兄のことばかり考えていた。正直、自分の気持ちが分からない。ただ、言えることがひとつ。 「……憎いのかどうか、よく分からない。でも許せないとは思うし、なんであんなことをしたのか、知りたい気持ちもある」  火の海と化した故郷。  何の目的があって、彼らはあれほどの蛮行に及んだのか。  ふむ、とジーヴが神妙に頷いて、鋭い(すがめ)であたしをじっと観察する。彼の様子がいつもと違っていて戸惑う。 「それなら、俺の考えを話しておこう。頃合いかもしれんし」 「……え?」  マイペースを崩さない竜の御仁は、くるりと体を反転させると、どこかへ向けてすたすたと歩き始めた。急速に遠ざかり、人混みに紛れんとする大きな背中を慌てて負う。 「ちょっと待て、考えって何なんだ。今言ったらいいだろ」 「いや、長くなりそうだからな、飯でも食べながらにしよう。ちょうど夕飯時だ。先刻、ここらで放牧されている羊が美味いという話を聞いた。それを食べさせる店にしよう」  さっき肉屋とそんな会話をしていたのか。相変わらずちゃっかりしている男だ。 「あんたが勝手に決めるのか」 「何だ? 不満があるのか」 「別にいいけどさ……」 「ならば黙って着いてこい」  それは最高に着いていきたくなくなる台詞だ、と言っても、この竜は絶対に耳を貸さないのだろう。  羊の肉は聞いた通り美味しかった。変わった香草を利かせてあり、なんとも形容しがたい魅惑的な風味を持つ。しかしながら、対面に座るジーヴの前に山と並ぶ肉料理の皿と、それをものすごい速さで腹に収めていく様が、あたしの食欲をごっそり持っていった。  竜の食事風景は、羊の美味しさを相殺(そうさい)するに余りある負の影響を有していた。だからこの男と向かい合ってものを食べたくないのだ。あたしは気分の悪さを覚えながらジーヴを睨む。黒竜の生き残りはまったく意に介さず、豪快な夕食を続ける。  皿を半分以上空にしたところで、ようやくジーヴは口火を切った。 「お前は俺が、一族の生き残りのことしか頭にないと思っていただろうが、俺はずっと、竜の里に忍びいってきた不逞(ふてい)の輩について考えていたんだ」 「……普通に言ってよ」 「そう睨むな。俺のなかで、一応の答えは出せた。だが――お前が下手人を憎くてたまらないと思っているのなら、話さないでおこうと思っていた。新たな憎しみを生み出したくはないからな。しかし、そうではないようだから話すことにしたのだ」 「だから普通に言ってってば……」  ジーヴはあたしの質問が唐突で疲れる、とのたまっていたが、あたしだって、ジーヴとの会話は回りくどくて疲れる、と釈然としない思いを抱える。竜がみんなこうなのか、ジーヴだけが特別なのか、それはあたしには判断がつかない。  でも、どうやらあたしの心情を(かんが)み、結論を話すか決めたらしいところに、何やら思いやりのようなものを感じる。すごく気味が悪い。  ジーヴが鉤爪の生えた指で、光を失った右目を示す。重々しい声が、ギザギザの歯が揃った口から流れ出した。 「黒竜の一族を滅ぼし、俺の目から視力を奪った元凶。俺はその姿を見なかったが、そもそも姿などなかったのだと思う」 「……どういうこと?」 「つまるところ、その何者かは、毒性を持つある種の気体(ガス)を使ったのではないか、ということだ」 「つまりそれって、毒ガス……?」  声が震える。こんなところで、これほど汚らわしい響きの言葉を口にする羽目になるとは。あたしは二の句を継げない。騒々しく人いきれで暑いほどの料理店にあって、背筋がぞっと冷え、身震いした。  周りをそっと見回す。旨い肉に舌鼓を打っている誰も、こんな物騒な話が同じ店内で交わされているなど想像だにしていないだろう。 「お前も知ってのとおり、黒竜が住む里は窪地になっていた。空気より重い気体ならば、窪みの底に溜まる。咎人(とがにん)はそれを承知だったのだろう。穏やかな眠りに就いていた我々の一族は、撒かれた毒ガスによって、何が起こったのかも分からぬままに、苦しみのたうちまわって死んでいった。それが俺の達した結論だ」  重苦しい語りのあいだ、ジーヴの片目の奥に怒りは見えなかった。そこは無風の湖面ぐらい滑らかで、穏やかで、張りつめた静けさが逆に怖かった。 「何の目的があって、そんな……」 「それは分からん。その下手人に尋ねてみないことにはな」 「でも、窪地全体に行き渡るほどの毒ガスなんて、途方もない量だろう。そんなものを誰が……?」 「少しはその立派な頭を使え、人間の小娘よ。そんなものを自由に扱える人間など、ごく限られているだろう」  試すような鈍い目の光に曝され、額がひりひりする。  数秒ののち、あたしの中で明るい火花が弾け、信じがたい真実を思考にもたらす。
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