四章 竜と歩けば棒に当たる

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「まさか……王立学術協会(アカデミー)か?」  厳めしい顔つきのまま、ジーヴは深く首肯した。  科学の()である学術協会の会員。  例えば彼らが、害獣を駆除するために毒ガスの研究をしていて、作成法や現物を所有していた、そんな事実があってもおかしくはない。けれど、それを竜相手に使う理由が考えつかない。竜に手出しをしよう、という発想そのものが常軌を逸している。というか、端的にイカれている。  それに、兄も協会の人間だ。竜の研究にも熱心に取り組んでいた兄の姿と、竜の里に毒ガスを撒いたという科学者の像は、結びつかないどころか乖離(かいり)しすぎている。  しかも、あたしの街を焼いた奴らは明らかに科学者ではなかった。訳が分からなくなってあたしは頭を抱える。 「でもジーヴ、兄さんだって協会の人間なんだ。それに、協会に所属してるのは学者だけ。あたしの街を焼いた人間は武装していたんだ、あんな風に」  あたしは窓の外、ちょうどすぐそばにいた騎士たちを指差した。馬の手綱を握る屈強な男たち。腰から()げた銃と剣の装備。遠くからでは見えなかったが、革製の胸当てに紋章が焼き付けられている。それが、日暮れの弱い光のなかでも分かった。  羽ペンを象った紋章。  あの日の甲冑の外観が脳裏に(よみがえ)る。  思わずあっと声が漏れた。窓枠に取りついて、騎士をまじまじと見る。視界がきゅうと狭まって、心臓がどきどきと強く脈打っていた。 「あれだ……」 「どうした」 「あの騎士だよ、あたしたちの街を襲った奴らは! あの焼き印、間違いない……どうしてこんなところに……」  ぎらりと碧眼をきらめかせ、ジーヴが窓に顔を寄せる。彼らに冷たい視線が送られる。 「ふむ……あれは、イゼルヌ教団の紋章だな」 「イゼルヌ教団……」 「多神教の一派だったと記憶している。彼らは教団お抱えの聖騎士たちだ。お前はそんなことも知らないで、よく今まで生きてこれたものだ」 「……どうしてあんたが人の事情に詳しいの」  ジーヴはこちらに向き直り、お得意の姿勢をとる。つまり、腕を組んでふんぞり返り、ふんと鼻を鳴らす。 「イゼルヌ教の教義を、お前は知らんのだろうな。あそこの教えでは、人間こそが神の祝福を受けた大陸の支配者ということになっている。つまり、人以外の知的生物の存在を認めていないのだ」 「え……」 「(なげ)かわしいことよ。人に言葉を教えてやったのは竜だというのにな。お前も知らぬだろう。人の(おご)り高ぶりにはほとほと閉口させられる。――イゼルヌ教団の聖騎士に遭遇してもさすがに攻撃はされないが、あまり顔を合わせたい相手ではない。向こうは我々の知性を否定しているのだからな。竜のなかでは常識だ」  あたしは窓から離れて椅子に深々と座り、考え込む。  あたしとジーヴの知る情報をまとめる。竜の集落でもあたしたちの街でも、実行犯は竜の知性を認めないイゼルヌ教団の騎士だった可能性がある。その背後には協力している科学者がおり、毒ガスを提供していた。  協会と教団。両者が手を組み、何かを企んでいた。  そこまで考えるが、共謀の意図は、いくら頭をひねっても分かりそうになかった。 「真相を暴くにはもっと情報が必要だな。イゼルヌ教団について街で聞き込みをしよう、ジーヴ」  皿に残る肉の塊をむしゃりと頬張り、テーブルに手をついて立つ。あたしはいても立ってもいられなかった。  対する竜の男は目を丸くし、珍しく驚いた顔をする。 「もう夕刻だぞ。それにお前の話が真実ならば、あの騎士たちが街を焼いた張本人ということになる。奴らがいる状況で、聞き込みをするのはまずいのではないか?」 「このまま湯船に浸かって寝床に直行、なんてできる気がしない。あんたは宿に行ってれば。あたしだけでもやるから」  黒髪の大男を今は見下ろしながら、あたしは宣言する。目と鼻の先に真実がぶら下がっているかもしれないのに、目を逸らして(だんま)りを決め込むなんてできない。  ジーヴは二、三度目をしばたかせ、本気か、信じられん、とごちる。それでも、結局はあたしの後に続いた。聞こえよがしに嘆息を漏らしながら。  藍色の薄い幕が引かれても、街は少しも賑やかさを失っていなかった。  むしろ、家々の窓の明かりや、店先の看板を照らす光がきらめく様は、昼間よりも喧騒をいや増して演出しているようだった。あふれる光源の間を、ジーヴと二人で縫っていく。  ほろ酔い気分の街人の割合も増えている。口が軽やかに、滑らかになった彼らからは、色々なことが聞き出せた。  ひとつ、従来イゼルヌ教は大陸全体では小さな宗教だったが、このところ勢力を拡大していること。  ひとつ、王の臣下にもイゼルヌ教団員が何人もいて、側近に取り入っていること。  ひとつ、この街に駐在している聖騎士たちは、昔領主が使っていた、丘の上の城に逗留(とうりゅう)していること。 「しかし、聖騎士団は何ゆえこの街に留まっているのだろうな」  城がある方向へ顔をやりながら、ジーヴがぼやく。領主制はとうに廃止されているから、石造りの尖塔のてっぺんに、いるべき主はもういない。城は、まだ淡さを()った闇を背に、黒々とした影となってその存在を顕している。  ジーヴの疑問は、そういえば兄の消息を尋ねるのを忘れていたな、と思い出したあたしが、次に似顔絵を見せた髭面(ひげづら)の酔客の返事によって解決することになった。  その男は千鳥足で家路をたどっていたが、あたしたちが呼び止めると従順に振り向いた。だし抜けに似顔絵を突き出し、こんな人を見なかったか、と単刀直入に訊ねる。酔漢相手には仔細を説明するより、この手の唐突さの方が通じやすい。  ほぼまっすぐに切り揃えた前髪と、片眼鏡をはめた兄の絵を見た男は、しょぼついた瞼を動かしたあと、唇をああ、という風に動かした。 「この人は有名な人なのかい? 騎士さんたちもこんな顔の人を捜してるみたいだったけど」  反射的に、あたしはジーヴと顔を見合わせる。あたしが多分そうであるように、彼もまた不可解な表情を顔に貼りつけていた。  イゼルヌ教団の騎士が、なぜ兄を知っているのか。その上あたしと同じく、彼を見つけようとしているのはなぜなのか。  彼らがここで何をしているかは分かったが、事情の因果関係はより複雑に絡まったように思われた。しかしながら、聖騎士たちが兄を捜していることは、イゼルヌ教団が街に火を放ち、教団と学術協会が裏で繋がっている、との推論の根拠になり得そうだ。  「これはあたしの兄さんなんだ。見たことないか?」  勢いをつけて問うが、髭面の男は首をひねり、つまり反応は芳しくない。 「さあ、見た覚えはないねえ。にしてもその絵を誰が描いたか知らんが、騎士さんが持ってた絵に比べると相当下手くそだね」 「……」  思わぬところから不意打ちを喰らって絶句する。これはあたしが描いたのだ。自画自賛ながら、なかなかの出来映えだと自信を持っていたのに。  隣でジーヴが肩を震わせて笑いだしたので、思いきり肘鉄(ひじてつ)をお見舞いしてやる。 「……これはあたしが描いた」 「おやそうかい、そりゃすまねえこと言ったな、悪気はなかったんだよ――」  肩を落とすあたしの前から、酔いどれはばつが悪そうにフェードアウトしていった。  くつくつと含み笑いを続ける無礼な竜と二人、その場に取り残される。 「おい小娘」 「うるさい!」 「まだ何も言っていないだろう」 「うるさい黙れ! よし決めた、これからは別々に聞き込みしよう、その方が効率的だし。一時間経ったら宿で落ち合おう、それじゃあな!」 「おい、俺はまだ――」  口の端に笑みを浮かべたままのジーヴを置き去りにして、あたしは人々がさんざめく往来を突っ切っていく。頬がかっかと熱い。あんな恥をかくなんて。よりによってあの竜のまん前で。  肩を怒らせて歩くあたしを、街人が何事かと見やる。そんな彼らに手当たり次第に似顔絵を見せる。ああ騎士さんたちの、おや騎士さんがたが、そんな反応ばかりだ。むしゃくしゃが募る。  煮えきらぬ怒りを弱火であたためるあたしは、どうも視野が狭くなっていたらしい。四つ角を曲がろうとしたとき、風を切って闇雲に進むその速度のまま、誰かの背中に激突した。  目の前に火の粉が散り、直後の臀部(でんぶ)の痛みで、自分が尻餅をついたことを知る。  衝撃で手を離れた兄の似顔絵が、ひらひらと宙を舞って地べたに落ちる。衝突した背中の持ち主が振り返った。その屈強な腕が伸び、下手くそと評されたあたしの絵を拾い上げる。  ひどく嫌な予感がしておそるおそる目線を上げると、濡れたような瞳を暗く輝かせた男が、こちらをじっとりと見つめていた。その胸当てには、羽ペンの焼き印。  ごくり、と喉が鳴る。しくじったと悟るがもう遅かった。 「お前か、我々と同じ人間をこそこそ捜し回ってる娘ってのは」  腹の底から滲む愉快な感情を、意地の悪さで上塗りした淀んだ声。問いかけではなく確認だった。頭を押さえつけられる重圧を感じる。どこかから聖騎士がわらわらと集まってきて、あたしは完全に取り囲まれていた。冷や汗と動悸と体の震えに襲われる。  万事休す。  似顔絵の紙を持った騎士が、元領主の城に向けて顎をしゃくる。 「騎士団長のところに連れていけ」  ささやかな抵抗も虚しく、頭から麻か何かの袋が被せられ、目の前が真っ暗になる。鳩尾(みぞおち)に強い力を感じるか感じないかのうちに、あたしの意識は夜よりも深い闇に落ちた。
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