第三話 怪我の功名

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第三話 怪我の功名

「家がない」  火災が発生した日は、署に泊まった。しかしずっとというわけにはいかない。急いで物件を探すも、時期的に見つからない。後輩の長野に家に誘われたが、それも申し訳なくて断った。家具や家電も一からそろえなければならない。犯人が捕まっていない今、保険と自分の財産頼みだ。そしてめぐるにはもう一つ気になることがあった。庸治だ。 「達川さん、あそこで何してたんだろ。それに……」  あの日のことを振り返ると、よみがえるのは人命に背を向けた庸治の姿。めぐるは命を何よりも重んじる。だからこそ庸治の行動が受け入れられなかった。何もできなかったとしてもちらりとも見ずに彼は去ったのだ。 「でも捕まってなかったんだ」  色々な疑問が渦巻く。めぐりはデスクに頬杖をつき「連絡先交換しとくんだったなあ」と呟いた。  そんな先輩に長野が声をかけてきた。 「平嶋先輩」 「ん?」  めぐるは首と視線だけ上げた。 「大丈夫ですか? やっぱりうちに」 「いいよ。で、どうかしたの?」 「先日の火災の件で河島警察署の刑事さんが来てます」 「俺、犯人なんてみてないよ。救助に必死で」  そんなことより、家はどうする、家具家電は、そして庸治はなぜ女性宅におしかけたのか──そればかりが気になっていた。  一つ大きなため息が漏れた。 「とりあえず行ってください。もうそこで待たれてますから」  長野は自分の後ろを指差した。それでもめぐるは気乗りしない。そんな彼を呼ぶ声がする。 「こっち来い、めぐる」  待ち焦がれていた低い声に、めぐるはいきおいよく立ち上がった。反動で椅子が大きな音を立てて後ろに倒れる。それをまたぎ、めぐるはオフィスと廊下を隔てるカウンターに駆けた。目の前には達川庸治の姿。 「たたた達川さん!」  めぐるはカウンターを超えて庸治に抱きつきそうになった。 「何してるんですか?! 長野君、ごめんけど刑事さんに断っといて!」  長野も庸治も苦笑いした。 「先輩その人が刑事さんですよ」 「へ?」  素っ頓狂な声を上げためぐるは急にご飯が消えた犬のように目を点にした。 「久しぶりだなめぐる。そして改めまして……」  庸治は胸ポケットから何かを取り出し、中身が見えるように開いた。警察官の制服姿の庸治の写真が堂々と現れ、めぐるは、釘付けになる。長野が後ろで「本物の警察手帳だ」と感嘆の声を上げている。 「河島警察署の達川庸治だ。今回の放火事件の担当刑事だ。先日の火災の件で調書をとらせてもらいたいんだが」 「刑事って会社員でしたっけ?」 「いや、おまえと同じ公務員だ」 「でもこの前は会社員って」 「完璧にそう断言してないだろ」  今なら庸治の鍛え抜かれた身体と職業は一致する。 「とりあえず話を聞きたい。署まで同行願いたいところだが、職業上ここを離れられないだろ。どこか空いている部屋でいいか?」  署長がそれに返事をし、二人は談話室へ通された。お茶を持ってきた長野が退場した後、さっそく庸治が口を開く。 「火災発生時やその前日に怪しい人物をみたか? 例えばゴミ箱を物色しているとか立地を確認しているとか」 「……特には」 「そうか。だったら……」  庸治は薄いのにダブルクリップで厳重に封をされている茶封筒を取り出した。その中から写真を取り出す。  写真は2枚。1枚は男らしき人物。ポケットに手を突っ込み歩いている。斜めからの撮影ではっきりと顔が分からない。2枚目は真正面から撮影された年配の女性。 「この男に見覚えは?」 「ありません。たぶん。斜めからの写真なのでよく分かりませんが」 「この男は、真正面からの写真がないんだ。悪いな。次はこっちだ。この女に見覚えは?」 「この人は知ってます」 「本当か? どこで見た」 「どこでって……ジムの前で。達川さん、この人の家の玄関のガラス破壊しましたよね?」 「それか」 「……あの日、何をしていたんですか? 強姦未遂ですか?」 「はあ?!」 「俺、一部始終を見てて、達川さんはあんなことするし、パトカーは来るし。あれからジムにも来てないから」  庸治が天を仰いでいる。 「俺はあのジムで張り込みをしていたんだ。あの女はある事件の関係者だ。今は留置所にいる。これ以上は職務上話せない」  めぐるは今まで抱えていた不安が消え去り、そして自分が見たのはドラマでしかみたことないような刑事の仕事姿だったことを知り、目を輝かせた。 「分かったか?」 「は、はい。よかった」 「俺も誤解が解けてよかった」 「ってことは、もうジムには来ないんですか?」 「行かない」   軽くなった胸が重たくなる。 「そっか……」 「俺の勝ち逃げで悪いな」  勝ち逃げがめぐるを落ち込ませているわけではない。もう好きな男に会えないのが問題なのだ。あからさまに落ち込むめぐるを庸治はじっと見つめた。刑事に見つめられるのは精神衛生上よくない。秘めた想いまで暴かれそうで、めぐるは言い訳をした。 「もうご飯いけないんだなって。また行く約束だったから」 「飯ならいつでもいいぞ」 「本当ですか?!」  また犬のようになるめぐる。それを見つめながら庸治は女の写真をくるくる弄んび、目を逸らした。 「やっぱり無理そうですか?」 「そうじゃない」 「?」  弄んでいた写真を茶封筒にしまい、庸治は手を顎に当て考え込んだ。  そして視線だけあげ、小さな声で言った。 「めぐるがいいなら……毎日作ってやってもいいぞ」  めぐるには聞こえなった。実際は聞こえていたのに、あまりにも夢のまた夢の申し出に聞こえていなかった。 「へ?」 「めぐるの為に飯つくってやるって言ってんだ。だから一緒に住まないか?」 「ええええ?! ちょっ、プ、プロポーズですか?!」 「なわけねえだろ! お前、家がないんだろ? だからしばらく俺んちにいろって言ってんだ!」 「それならそういえばいいでしょ! 誰が聞いてもプロポーズでしたよ!」  めぐるは両手を顔に当て真っ赤にする。 「悪かったよ。そういう意味で言ったんじゃない」 「あっ、別に嫌とかからかう意味では」 「分かってる。で? どうすんだ。一緒に住むか? それとももうあてがあるのか? さっきの兄ちゃんに声かけられてたみたいだけど」 「ないです! 大丈夫です! 住ませてください!」  土下座する勢いでめぐるは頼んだ。その勢いに庸治は「そんなに困ってたのか」と言う。  筋肉惚れからの失恋、そして誤解は解け、同居という急展開。めぐるは完璧に興奮しきっていた。鼻息は荒い。庸治はそれを住む場所に相当困っていたと受け取った。何故なら彼には家族がいないから。行くあてもなく途方に暮れていたのは想像に容易かった。 「とりあえず。何か思い出したら河島警察署に連絡してくれ。あと、これは俺の連絡先と……お前、帰宅時間何時だ?」 「日によって違いますけど。今日は八時には帰れます」 「そうか……同居初日悪いが、俺はもう少し遅くなりそうだ。先に帰っててくれ。ちょっと待ってろ」    庸治は差し出していた名刺を引っ込める。その裏には庸治の電話番号。警察官も名刺を持つのだと感心しているめぐるの前で太い指が滑らかにボールペンを滑らせていく。見た目に反して達筆だ。その達筆な字で庸治は電話番号の下に住所を書く。そして家の鍵と一緒に渡した。 「急で合鍵はない。そのうち作るからしばらくは帰宅時間調整してくれ」  めぐるは名刺と鍵を両手で受け取った。 「ふああ」  変な声を出してしまい、庸治は「本当、人懐っこいやつだな」と苦笑いした。そして仕事があるからと河島消防署をあとにした。  その後、退勤の時間まで時計を血眼で見るめぐるに長野は小さく悲鳴を上げた。
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