第四話 動き出す影

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 庸治は、朝早くから墓参りに出ていくめぐるを見送る。靴をトントン履く音がやけに響く。 「帰宅は夜になりそうか?」 「昼には戻りますよ」  口だけ微笑んだめぐるの背中は、いつもより小さい。 「いってきます。庸治さんも、お仕事頑張って下さい」  暗い横顔を引き留めようと手を伸ばすが、めぐるは呆気なく出ていった。 「俺も行くか」  この日、庸治は別の捜査に出ることになっていた。太陽が真上に差し掛かるころ、交代の時間になり張り込み先から署に戻る。 「達川刑事、大変です!」 向井田がロビーに走ってきた。 「どうした向井田」 「平嶋は、今日はどこに!?」 「今日は出かけている。そろそろ家に戻ってくるんじゃねえか」  向井田は、覆面パトカーの鍵を持っている。表情もただ事ではない。 「……めぐるに何かあったのか!?」  ジャケットを翻し、向井田と走って署を出る。運転席に乗り込み、エンジンをかける。 「サイレンは!?」 「鳴らさないでください。遠藤に俺たちの存在を知られてしまいます」 「どこにいけばいい」 「達川刑事の家に! 近くで遠藤が目撃されたそうです。平嶋を狙っている可能性があります」  めぐるを狙う放火魔がとうとう自宅付近まで迫ってきた。庸治は、唇を噛んだ。背中には冷や汗が流れる。自分に落ち着けと言い聞かせながらめぐるに電話をかける。しかし、出ない。 「急ぎましょう!」  向井田に急かされ、ただ一文「鍵をしめろ」とだけ送り、署を猛スピードで出た。  マンションの前に覆面パトカーを乗り捨てると、マンションへ駆けた。エレベーターを通り過ぎ階段を駆け上がる。  家の鍵は閉まっていた。急いで解錠し扉を開けると、並んでいない疲れ切った靴が一人分。家にいると分かり、安堵の溜息が漏れた。しかし、庸治の帰宅に対し、何の反応もない。 「めぐる!」 静かな廊下が恐怖となって襲いかかる。 「いないのか!?」  庸治は、めぐるがいると予想したリビングや部屋を探し回ったが、気配がない。トイレにも風呂場にもいない。最後の部屋の扉に疑心暗鬼になりながら手を伸ばす。そこは庸治の寝室。めぐるが絶対にいない場所だ。 扉を開けると、相変わらず飾り気のない寝室が広がっている。綺麗にベッドメイキングしたベッドの上で、めぐるは眠っていた。 安心感がどっと押し寄せ体がよろけた。ドアが激しい音を立てても、眠っている消防士は起きない。 「お前、何でこんなところに……」  ふらふらしながら近づいた庸治は、めぐるに覆いかぶさり、向こうを向いている顔を覗き込んだ。てっきり疲れてすやすや眠っているかと思いきや、めぐるの頬には涙が伝った跡が残っていた。相当泣いたのか、ひくひくとたまに痙攣する。  かさかさになった唇が小さく動き「父さん、母さん」と呟いた。  庸治は、衝動的にめぐるを抱きしめた。整髪剤に混ざって線香の匂いが鼻先をかすめる。 「絶対に捕まえてやるから、待ってろ」  しばらく抱きしめてから、めぐるを自分の腕から解放する。涙のあとを拭おうと顔をみると、ぱっちり目が開いためぐると目が合った。  熟したトマトのような真っ赤な顔が庸治を見ている。 「悪い!」  慌てて起こそうとした体は、鍛え抜かれた腕にホールドされてしまう。 「めぐる?」 「もう少し……このままでもいいですか?」 「……」 「庸治さんがいやじゃなければ」  鼻をすする音が一つ、寝室に響く。 「……好きなだけ、どうぞ」  小さくお礼が聞こえた後、庸治の胸に熱を帯びた顔が埋まる。過去の悲しみを背負ったままの大きな体が小さく感じ、スーツの背中を握りしめる手は震えていた。最近、おろしたばかりのスーツだったが刻み込まれる皺を受け入れた。  庸治が、めぐるの背中を撫でようとしたとき、玄関から音がし、二人とも現実に引き戻された。 「達川刑事!」  向井田の声がして、涙を浮かべていためぐるの瞳が、庸治に向けられる。  庸治は、めぐるを寝室に残して玄関に向かう。息を上げた向井田に頷くと、向井田はホッした表情をした。 「よかった」 「外に出るぞ。ここでは話せない」  散らかった靴を並べると、庸治は向井田と外に出た。 「非常階段も確認しました。マンション内に潜んでいる様子はありません」 「そうか」 「すみません勝手に家に入って」 「いや、いい」 「でも、平嶋、何か勘づきましたよね」 「その時は、俺から話す。時間がかかるかもしれないから、お前は署に戻って、このことを刑事課に伝えてくれ」 「電話で伝えておきます。まだ見回りもしたいので。そのあと、一緒に署に戻りましょう」 「分かった。少しだけ時間をくれ」 「はい。面倒な役回りをさせてしまってすみません」 「いいんだよ。あと頼んだ」 「はい」  庸治は、向井田を見送ると、めぐるのもとへ戻った。  めぐるは、リビングのソファーに座っていた。向けられた表情には緊張が走っている。 「……さっきの人、刑事さんですか? どうしてここに?」 「仕事だ。気にするな」 「仕事行かなくていいんですか?」 「行く。悪かったな急に帰ってきて」 「俺こそすみませんでした。庸治さんの寝室で寝てしまって」  眠くて寝ていたわけではないのは、涙の跡が物語っている。 「忘れものとかですか? 引き止めちゃいましたよね?」  めぐるの目じりがしゅんと下がる。 「とったらすぐに行く」  めぐるは気づいていなかった。庸治は、難を逃れたと踵を返した。用のない寝室に戻り、忘れ物を探すふりをする。皺だらけになったベッドのシーツを伸ばそうとしたが足が止まる。深く刻まれたそれを目に焼き付けた。  玄関では、めぐるが待っていた。 「鍵かけろよ」 「はい。あの、庸治さん」 「ん?」  めぐるの手がそわそわ動いている。 「いえ、何もありません。気をつけて」 「ああ。行ってくる」  庸治は、もう一度「鍵をかけろ」と言い、家を出た。  見回りを終えた向井田と合流する。 「どうでした?」 「ばれてなかった」 「セーフ……なんですかね」 「とりあえずな」 「でも、時間の問題ですよね。遠藤も近くまで迫ってるし」 「ああ。けど、今回は無事でよかった」  二人で息を吐く。その時、無線が最悪の知らせを告げた。遠藤がもう一度目撃され、さらにその付近で火災が発生したのだ。捜査本部の無線から、現場に急行するよう告げられる。同時に、庸治のスマホが震える。嫌な予感がしながら恐る恐るみると、めぐるからだった。 「くそ、最悪だ」 「どうしたんですか?」 「放火現場の消火にめぐるが向かうそうだ」 「まさか、それを狙って……」 「捜査の目くらましか、おびき寄せか、どっちにしろ捕まえるチャンスだ」  庸治は、ぐっと拳を握った。
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